2018年04月17日

日本は闇の支配勢力が支配してきたが、かつて共同体に立脚した国家も存在していた

以前のエントリー「幕末・明治維新の歴史観を見直す」では、歴史を裏側で動かす勢力について幕末・明治維新を題材に記した。その中心であった長州藩は古くから諜報ネットワークを持ち、長く自らの私権を保持し続けてきた。

なぜ長州藩(田布施)が、このような勢力を持つに至ったのか。

にほんブログ村 政治ブログへ

明治の長州藩による支配を支えたのは、突出した諜報システムにあった。以下、るいネット「明治の日本を支配した長州の諜報ネットワーク」より引用します。

○長州支配を支えた諜報組織

明治18年から始まった内閣制では明治45年までの27年間に、内閣総理大臣は長州閥の伊藤、山県、桂で20年間も独占された。明治維新の主力は「薩長土肥と公卿」と教科書には書かれているが、明治17年岩倉具視が死去し太政官制が廃止されると、日本の国家中枢は圧倒的に長州の天下となった。明治17年までは維新当初は薩長は五分五分であったが明治6年には西郷と大久保の薩摩勢力が分裂し、西郷は西南の役で殺害された。明治11年には大久保も暗殺、薩摩の有力者は一掃され、長州の独走体制となった。

このように長州が幕末の明治維新の中核と成り得、明治以降強固な支配体制を築きえた理由は、長州藩(毛利藩)の突出した諜報システムにあった。もともと、長州をつくった毛利元就は最初は小さな勢力から、中国地方10ヵ国を支配するような大大名に伸し上がったが、それはもっぱら諜報と謀略活動によるところが大きかった。関が原で減封となって以降もその諜報機関が温存された(この組織を「黒手組」と呼ぶサイトもある)。
それは、「上忍」「中忍」「下忍」の三段階より成るもので、この諜報機関は、後述するように大内氏に由来するものである。
長州においては1836年(天保7)の天保の一揆時に、斉煕、斉元、斉広と、1年で3人の藩主が相継いで変死しており、これらはおそらく毒殺であったと推測されている。つまり長州は実質上この頃から諜報機関が実権を握っていた可能性が高い(後述するようにこの時期から藩公認の密貿易が開始されている)。
当時長州にはウラ毛利と呼ばれる組織が存在し、そのトップは幕末においては、益田弾正家老(産業振興役であり、軍資金調達係を兼ねる)等益田家が歴任している。
黒船に乗り込み敵情視察しようとした吉田松陰は「中忍」で、彼の行動は弾正の命を受けたものである。桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文もこの組織出身で後に「上忍」に昇格している。長州の倒幕過激派勢力の中核はこの部隊であり、彼らが組織した民兵「奇兵隊」は、この諜報組織を核に、被差別部落出身の若者を主体として作られた組織である。

 

○長州の諜報ネットワーク、商業ネットワークは大内氏由来

その大内氏が拠点としていたのが、山口県熊毛郡田布施=鞠府(麻里府)である。この地は平安時代の中期頃から大内氏の拠点で、高麗からの渡来民たちの末裔が住民の多くを占めていた。大内氏の傭兵となった因島村上水軍も、漕ぎ手の大部分は半島からの渡来民の末裔だった。百済琳聖太子の後裔を名乗り、多々良姓を称した大内氏は、大内氏を頼って渡来してきた半島系民族集団を配下に置く渡来民の長として存在していた。
大内氏は室町時代には有力守護代名として、和泉・紀伊・周防・長門・豊前・石見の6カ国を領有し、幕府と並ぶ勢力となる。堺商人と結ぶ細川氏との応仁の乱を制して以降は、衰弱する幕府に代わって李氏朝鮮や明との交易をほぼ独占する。と同時に朝鮮近辺を襲撃していた倭寇をほぼ制圧し、傘下に組み込む。
この大内のもとで築かれた渡来人のネットワーク(商業・諜報)は大内氏が滅ぼされて以降も、毛利氏の下に引き継がれ、江戸時代も長州藩に引き継がれた。当時の長州の下関、上関は日本海、太平洋、瀬戸内海を結ぶ中継地点であり、江戸時代になお続いていた朝鮮特使が必ず立ち寄る場所でもあった。それだけではない。天保一揆ののち3人の藩主が変死したあと、1836年毛利敬親が藩主に就任して以降は藩公認のもとで密貿易を行い、巨万の利を得ている。
また同じく朝鮮交易を継続していた対馬藩(宋氏)との親交も深い。(あまりクロースアップされる事はないが、対馬藩は薩長土肥と同じく倒幕を主張する藩であり、1861年にはロシア軍艦滞留事件を期に尊皇攘夷運動が隆盛し、長州の尊皇攘夷派と同盟を結んでいる。)

(後略)

かねてより、諜報ネットワークを持つ田布施だが、では彼らだけで江戸幕府を終わらせ、自分達の政権とも言える明治維新を興すことが出来たわけではない。欧州ロスチャイルドは、周到な調査の結果、田布施の存在を知り、彼らを利用して日本を市場化させ田布施による間接統治を実現させた。るいネット「市場論・国家論19.明治維新と日本の闇勢力」より引用します。

 では、日本を支配する闇勢力とは、一体、何者なのか?それを解明するためには、明治維新にまで遡る必要がある。それまで無きに等しい存在であった「天皇」が、幕末に突如として表舞台に登場し、あっという間に天皇絶対の新国家が作られたのは、なぜなのか?要するに、明治維新とは何だったのか?
ここでも、権力支配の公理に則って見直せば、答えは割と簡単に見えてくる。

ロスチャイルドは、19C中頃、中国・ロシア攻略(清朝とロマノフ王朝の解体)の足掛りとして日本に目を付け、日本支配⇒新政権樹立に向けて工作を開始する。例によって、幕府を仏ロスチャが支援し、薩長を英ロスチャが支援するという二股戦略で、そのために’59横浜と長崎にマセソン商会(横浜はケズィック、長崎はグラバー)を設置。他に神戸、大阪、函館にも設置。
問題は、反幕府勢力の育成だが、’62英諜報員アーネスト・サトウの調査によって、長州と薩摩に存在する「田布施」という朝鮮人部落の存在と、その背後にあって長い間幕府に圧迫され、諜報・神社NWを保持して対抗してきた闇勢力(秦NWと八咫烏)の存在を知る。ロスチャは南朝復興を悲願とするこの闇勢力をロスチャイルドの代理人=反幕府勢力の中核として支援することに。
ロスチャと闇勢力による反幕府勢力の工作対象は、松蔭はじめ長州・薩摩の下級武士と京都の南朝派の下級公家と同じく南朝派の水戸の不満分子、および将軍慶喜。         
                                                    
  マセソン商会--黒船の松蔭-上海の晋作-欧州留学5人組→長州クーデター
  /      |
ロスチャイルド     |-南朝派の水戸藩-水戸浪士:尊皇攘夷を掲げる不満分子
  \      |     ↓                   
  闇勢力(秦NW)-南朝派の公家--将軍・慶喜
闇勢力の殺し文句は「我々のバックには世界を支配するロスチャがついている」
→公家や武士の不満分子は喜んで飛び付く

将軍は、ロスチャの脅し(勝ち目はない)+敗けいくさと引き換えに徳川家存続+南朝再興という話に乗った。仮に民を第一に考えても、ロスチャ支配は避けられず、せめて、日本中を内戦に巻き込むよりも、抵抗せずに無血開城した方が被害は少いという判断。

クーデターに成功すると、ロスチャは新政権に産業と軍備を強化させた上で、’94日清戦争、’04日露戦争に誘導し、資金支援。そして、本格的に清朝とロマノフ王朝の解体に向けて動き出す。
更にその後、1次大戦の覇者ロックフェラーの圧力を受けて、日本の闇勢力はロスチャからロックに鞍替えしてゆく。

こうして特に戦後以降は、日本はロックフェラー・ネオコン・CIAの強い支配下に置かれてきた。田布施とその背後にある秦NWや八咫烏は、今も存在しており日本の政治や金融を現在形で支配しているが、それとて幕末以降、欧米の金貸し勢力が、日本の支配勢力を取り込み支配を続けてきたのが事実である。

ロックフェラーの死後は、ネオコン・CIAといった勢力は目に見えて衰退、欧州ロスチャイルドも、次第に力は衰えている。世界はこれまでのグローバリズムから民族自決主義へと大転換の渦中にある。これは、日本がこれまでの支配を脱し、自らの意志で自立していける好機と言える。

実は、日本はすでに日本の闇勢力の支配もなく、欧米勢力からも支配を受けずに国家として自立していた歴史的事実がある。それは260年続いた江戸時代である。武家政治を貫き、当時世界最大の都市を実現させ、優秀な人材と豊かな文化を生んだ江戸にこそ、金貸しや闇勢力による支配を脱し、これからの日本が進むべき糸口がある。

参考:「共同体に立脚した江戸幕府と、共同体を破壊した明治国家

 

(by   ken)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/04/7525.html/trackback


Comment



Comment


*