2021年07月05日

戦後薬害の歴史 それでもお上を信じろというのか~その2~

「戦後薬害の歴史1」リンクの続きです

薬害の歴史は平成に入っても続く。昭和での薬害の教訓はほとんど行かされることなく、相変わらず対応の遅れ、判断ミス、事実の隠蔽の連続である。その結果平成ではついに死者800名に上る致命的な薬害事件を引き起こす(今回ワクチンとして採用されているアストロゼネカ社)。
コロナワクチンの推進キャンぺーンの渦中。政府は公的機関のいうことだけを信じろというが、これでもお役所のいうことを鵜呑みにせよというのか。以下「健康と病気事典」https://kenkoubyouki.com/?p=3700よりの引用

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①1989年から1993年 MMRワクチン

MMRワクチンははしか、おたふくかぜ、風しんを予防することを目的に接種されていましたが、1989年4月から1993年4月までに接種した子供に無菌性髄膜炎の副作用が現れています(無菌性髄膜炎の症状は発熱、頭痛などがあります)。被害者の数は約1800人で、亡くなった子供は6人、その他にも重い後遺症を被ったりしています。

これらの原因は次に示すように厚生省の対応の遅れです。

MMRワクチンの定期接種は1989年4月から始められたのですが、1989年9月時点で「菌性髄膜炎の発生リスクを10万から20万に1人」という項目を添付文書に記載するように指示しています。
しかし、厚生省は1989年10月時点で「6000人から3万人に1人に菌性髄膜炎の発生リスクがある」と県に報告しています。1989年12月には菌性髄膜炎の発生リスクが「2000人に1人」だと分かり、MMRワクチンの接種を親からの申し出がある場合にだけ接種するように指示しています。
そして、1990年2月に添付文書に菌性髄膜炎の発生リスクが「数千人に1人あること」を記載するように指示。さらに、1991年の6月に添付文書に菌性髄膜炎の発生リスクが1200人に1人あることを記載するように指示。

結局は1993年にMMRワクチンの接種は中止。
このように厚生省は対応が後手になり、被害者の3家族は1993年12月に国と阪大微研会(製造会社)を相手取って裁判を起こしています。結果は被害者側の勝訴で終わるのですが、損害賠償金を払ったのは阪大微研会のみで、国は責任を認めていません(阪大微研会がお金を払ったため、国への請求は却下)。
国と阪大微研は、3件すべてについて、責任以前に、死亡障害と予防接種との因果関係を否定している。
予防接種健康被害救済制度上は、無菌性髄膜炎の医療費、死亡一時金等、または障害児養育年金等を支給しながら、訴訟では、死亡障害はMMRワクチンによるものではなく、因果関係がないものに責任があるわけがないという態度をとっている。
国・阪大微研は、死亡障害の原因をMMRワクチンではないと裁判で主張するために、被害児の体質や親の介護の責任を持ち出している。

②1996年から2001年 ヒト乾燥硬膜
ヒト乾燥硬膜「ライオデュラ」(Bブラウン社製造)は1973年に輸入することを承認されました(なんと、審査期間は3か月)。このライオデュラは人の死体から硬膜を取って製造されていた商品ですが、1人の硬膜から1つのヒト乾燥硬膜が作られていたわけではなく、複数の人の硬膜を集めて1つのヒト乾燥硬膜が作られていました。
本来であれば病歴を調べたうえで死者の硬膜を使用するかどうかを決めるべきでしたが、そんなことはお構いなしにエイズなどの病歴を持った人の硬膜でも使われていました。

そして、この「ライオデュラ」によって滅菌技術の不備も伴って、ヤコブ病病原体によるヤコブ病という病気に約90人が感染しています。
実は厚生省は1976年にヤコブ病の研究班を作って、色々情報を集めていました。しかし、厚生省はここでは何もアクションを起こしていません。1978年にはBブラウン社が行っていたガンマ線の殺菌でもヤコブ病病原体は死なないことが発表されていました。ここでも、厚生省は何もアクションを起こしていません。

そして、1987年にはアメリカで初めてヤコブ病に感染した患者の論文が発表されると、その年にアメリカはライオデュラの使用を停止しています。ここでも、厚生省は何もアクションを起こしていません。結局、日本ではこのような経緯があったのに、実際に使用を停止したのは1997年です(WHOの勧告によってやっと。アメリカに10年遅れて停止)。
このようにヤコブ病の情報があったにも関わらず、厚生省は何も対応をしてこなかった事実が明らかになっており、これが被害を拡大させた要因です。

被害者の58名は1996年と1997年に国とBブラウン社に裁判を起こしていますが(この時、ほとんどの被害者は死亡している)、2001年に和解をしています(1人当たり6000万円)。

③2002年 イレッサ(アストロゼネカ社)
イレッサ(アストラゼネカ社製造)は肺癌の抗癌剤として2002年7月に厚生労働省に承認されました。通常、1年から2年かかる審査がイレッサの場合には5か月ほどで承認(日本が初めての承認国)。承認された月には早くも副作用による死者が発生しています(承認された日の10日後に死亡)。薬害イレッサ弁護団によると2002年から2010年までで合計約800人近くの人が亡くなっています。
イレッサの副作用で一番多いのが間質性肺炎です。イレッサの海外の臨床試験(薬の承認を受けるための試験)で196人が副作用を被りましたが、その内12名の患者が間質性肺炎や他の肺炎になって死亡、国内の医師独自の試験(医師が輸入してイレッサを使っていた)でも286人の中で1名が肺関連の病気で死亡しています。
しかし、イレッサの審査の過程でこれらの事実を承認の判断材料にしませんでした。その後、審査に通ってイレッサは承認されるのですが、承認後に行なわれた臨床試験で延命効果がないことが判明しています。しかし、日本人以外のアジア人には効果があるとし、様子見をしています。

アメリカでは2005年に新規にイレッサを使う患者への投与を禁止しています。日本は2011年になってやっと、EGFR遺伝子変異陽性の人にだけイレッサ投与を認めるようになりました(つまり、イレッサを使ってよい患者の範囲を狭めたということです)。
イレッサで亡くなった人の遺族が国や製薬会社を相手取って裁判を行いましたが、敗訴しています。裁判官は「添付文書に間質性肺炎の危険性が書いてあり、それを見逃した医師が悪いのであって、製薬会社や国は関係ない」とする判断をしています。

個人的はアメリカが2005年に新規患者への投与を禁止しているのに、なぜ日本は2011年まで様子見をしていたんだろうと思います。2005年で止めていれば180人ほどの人は副作用で死ななくて済んだのに…。

④2009から現在進行中 子宮頸がんワクチン
平成の薬害で進行中なのが子宮頸がんワクチンです。「サーバリックス」の承認は2009年、「ガーダシル」は2011年です。被害者数は「子宮頸がんワクチン副反応追跡調査」によると調査の対象1739人の中で、1550人が回復、3人が死亡、186人が未だに回復していません(参考記事「厚労省の子宮頸がんワクチン副反応追跡調査結果はやはり嘘だった」)。
サーバリックスを承認した時の大臣が元東京都知事の舛添さんで、承認時の不透明さが指摘されています。「サーバリックス」の承認時の審議会では神山美智子さんから子宮頸癌ワクチンについて以下のような反対意見が出されていました。

584人の中の「発症日などが把握できない845人」を除いた1739人が調査対象です。
その中の1550人が回復、3人が死亡、186人が未だに未回復という内容です。
問題なのはここからです。
1550人の中の1297人は「7日以内に回復した」として追跡調査から外れていますが、この中に未だに回復していない人が相当数含まれていることが分かったのです。
彼女は子宮頸癌ワクチンの副作用のせいで歩行補助道具がないと歩くことができません。さらには視野の4分の1が欠けているそうです。

こんな状態なのに七海さんは「7日以内に回復した1297人」に含まれていることが厚生労働省への問い合わせで分かったそうです。
この「子宮頸がんワクチン副反応追跡調査」を請け負った東京医科大学医科総合研究所の西岡久樹所長はこの厚生労働省の調査結果に怒っています。

「私達が請け負っているだけでも回復していない人が200人いますので、186人なんて少なすぎる」って言ってます(集計結果の最終的な判断は官僚だったから、西岡所長は口を出せなかったのでしょう)。
なぜ、回復していないのに回復したことになっているのか。
それは「子宮頸がんワクチン副反応追跡調査」は製薬会社と医療機関の副作用報告書を元に作成されたのですが、同じ人の副作用報告書が2つの機関で重複した場合、製薬会社の報告書を採用することになっていたからである。

つまり、製薬会社が提出した副作用の報告書より医療機関の副作用報告書に記載されている症状の方が重いので、医療機関の方を無視したのである。

List    投稿者 nihon | 2021-07-05 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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