2009年01月09日

帝国主義→民主主義→そしてグローバリズムの失敗   ~ホブソンの『帝国主義論』以降~

帝国主義やら民主主義やらやたら難しそうな言葉を並べてしまいましたが・・・・・今日は金融破綻を語るにせよ、米大統領を正確に見るにせよ、不可欠の構造について。 
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  J・A・ホブソン

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ホブソンは、19世紀のイギリスを中心に帝国主義について分析した。この分析ほど金貸し(国際金融資本)による支配構造を正確に構造化した分析はないと思う。現在もこの延長上にある。
『グローバル資本主義の物語』より

帝国主義で他の何ものにもまさって重要な経済的要素は、投資に関連ある勢力である」(J・A・ホブソン著/矢内原忠雄訳『帝国主義論 上』岩波文庫、一〇二頁)。
「(帝国主義が)誰のためになるのかという簡単な実際的質問を出すならば、その最初の最も明瞭な答は、投資家である」(同、一〇七頁)。
「イギリスの近代対外政策は、主として有利な投資市場をめざしての闘争であった」(同、一〇四頁)。
「イギリスは、しばらくの間は、とびはなれて最大の債権国であった。そして投資階級が私的な事業上の目的のために国家の機関を利用した政策は、イギリスの戦争と併合の歴史の中に、極めて豊富に例証されている」(同、一〇五頁)。
侵略的帝国主義は納税者には甚だ高価につき、製造業者および貿易業者には甚だ価値が少なく、国民にとっては甚だ重大で測り知れない危険をはらむものであるが、投資家にとっては大きな利得の源泉であって、彼は自己の資本のため有利な用途を国内に見つけることができず、したがって彼の政府が彼を援助して有利かつ安全な投資を国外になさしむべきであると、主張する」(同、一〇六―七頁)。
「……これら金融業者の富、彼らの活動の規模、ならびに彼らの世界的な組織は、彼らをして帝国政策の主要な決定者たらしめる。彼らは帝国主義の事業について、最大の明確な利害関係を持ち、そして、その意志を国家の政策の上に強要する最も豊富な手段をもっている」(同、一〇九、一一一頁)。
帝国主義とは、私的利益の所有者、主として資本家たちが、国外で自分の経済的利得を獲得するために、政府機構を利用することを意味する」(同、一五二頁)。
 ホブソンの考えは現在でも有効である。現代の世界経済を指導しているのは、投資・金融業者である。ただし、主にアメリカのそれである。そして、それがより大規模になった。

金融寡頭制(financial oligarchy)という概念がある。金融寡頭制とは、少数の金融資本が国内の経済を支配している体制である。二〇世紀になって、競争的資本主義ではなく、独占(=寡占)的資本主義の時代になり、カルテル、トラスト、コンツェルンなどができる。この独占諸企業が大銀行群と結びつき、この双方の資本の癒着したものを金融資本という。
 金融資本は、少数の資本(大企業)の結合体であり、その力が強大なので、国内の経済全体を支配することができる。こうして金融寡頭制が成立する。この金融寡頭制は、しかし、経済だけでなく、政治・社会の分野でも国を支配するようになる。また、対外政策でも強力な力を及ぼし、帝国主義政策の担い手になる。(中略)
 ロックフェラー財閥は、一九七三年には米欧日三極会議を作って、実際は米欧で世界の政治経済について協議している。そのうえ、二〇世紀に限っても、アメリカ大統領は、選挙でアメリカの財閥から豊富な政治資金を貰って、当選している。実業国家アメリカでは、国務長官や国務次官の多くが、財閥の社長や重役を務めている。 
ロックフェラー財閥やモルガン財閥の人びとは、彼らの持つ大会社や大銀行の社長や重役になり、その関係者は、政府の閣僚、次官、補佐官などになり、政治を動かす。あるいは弁護士事務所に入り、ロックフェラーやモルガンの財閥の手助けをする。そして、やがては世界銀行の頭取や理事などになる。

 帝国主義、その帰結としての第一次大戦、第二次大戦の総括も、この分析を踏まえれば相当正確な見通しが立てられたはずである。日本の政界支配についても同じ。
 このような先人の優れた分析がありながら、後の学者etc達はこの分析に全く追いついていないばかりか、後退している。ほとんどの学者・マスコミが御用化している証なのかもしれない。
 そして米大統領選や今回の金融危機に際しても、このような基本構造が見えていれば、米政府やFRB世界銀行、IMFなどの背後で、金融破綻に対しての政策を出している者の正体もある程度は見えてくるし、何よりマスコミの御用報道をそのまま鵜呑みにすることはなくなるだろう。
・・・・・・・・・・・
戦後、むき出しの侵略的帝国主義は姿を消し民主主義が颯爽と姿を現わした。
それは金貸し(国際金融資本)が、大衆の欠乏を見越して"あからさまな帝国主義は、経済成長にそぐわない⇒アメリカ型民主主義という衣を付け直し、それを世界に広めて消費を拡大させたほうが儲かる”・・・と方針転換したからだろう。
★帝国主義以降、現在までの流れを大きく押さえてみた。特に人々=大衆の欠乏が鍵になっているのが分かると思う。
・帝国主義の時代:極度の貧困⇒金のためにはなんでもする人々
  ↓           ・・・⇒金貸し+その手先による政府支配が可能に
  ↓
・民主主義の時代:大衆の豊かさ欠乏⇒豊かさに憧れ、自主的に(洗脳され)働き消費する大衆
  ↓   ⇒金貸しは、経済拡大のためマスコミ・テレビを使い大衆を消費刺激。そのための個人主義
  ↓    
・1970年頃 貧困の消滅:市場拡大停止=豊かになり大衆も消費拡大必要なくなったため。
  ↓
・新自由主義・グローバリズム・戦争へ金貸しは、新たな帝国主義による再収奪に転換、
・一方で国家は市場拡大を命題として国債大量発行して経済拡大
  ↓
・必然的に紙幣ばら撒きによるバブル経済・マネー経済化
・バブルの形成と破綻の繰り返し(市場経済の行き詰まり)

  ↓
・市場経済の行き詰まりのなかで、世界的金貸し同士の生き残り世界闘争
(米ロックフェラーVS英ロスチャイルド
 そのためにバブル化・資源高騰→破綻の度合いも極端に拡大)

 大衆の欠乏は既に、物的欠乏を脱している。経済成長なんて先進国のだれも望んでいない。だから金貸し達はグローバル化で、中国・インドなどの新興国に経済拡大の夢を託した。しかし、もはやアメリカみたいにバカ消費をする国はどこにもない。むしろグローバリズムと戦争のやりすぎで英米政府と金貸しへの不信感拡大、そして英米日を除く国家は、国民との一体化を強めつつある。 
金貸しの存在基盤(大元は大衆の豊かさ欠乏)は消失したのだ。あとは手先のマスコミや政府による観念的な支配を脱するだけだ。
(by Hiroshi )

List    投稿者 ihiro | 2009-01-09 | Posted in 08.近現代史と金貸し5 Comments » 

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コメント5件

 hihi | 2009.04.28 21:46

本来、森も水もみんなの共有財産でしたね、日本では。
土地が本格的に私有化されたのは明治以降です。
江戸までは、所有権でなく、利用権。本当は共同体で管理するのが本当なんでしょうね。
少なくとも、森林資源や水資源は管理状況を公に明らかにしておく必要があると感じます。

 持国天 | 2009.04.28 21:57

 食糧自給が民族と国家の安全保障の要にあるように、森林資源も同じ事。とりわけ日本の山野は、(日本人の精神風土たる)縄文精神の源泉である。
 シベリアやカナダや熱帯雨林地域から大量の外材を輸入するだけなら、国内の森林資源を活用せずに貯めこむだけのこと。然し、外国資本による森林資源の買占めは国土(縄文の風土)の侵略につながり許せない。 
 

 taku | 2009.04.30 9:53

コメントありがとうございます。
東京財団の提言書では、「日本の森は民間所有が多」とありますが、hihiさんの言われるとおり、みんなで管理していたんですよね。
田舎に行くと山登りとか山菜採りをしていますが、これも誰かの所有物。でも、策を設けて立ち入り禁止、なんてしていない、(松茸なんかを採るとまずいことになりますが)
国が直轄管理をせずとも、地元の人たちみんなで守ってきた日本の森が今後どうなっしまうのか心配です。

 匿名 | 2009.04.30 10:11

持国天さんコメントありがとうございます。
日本の森を単なる「資源」と捉え、刈り取る一方の発想が、現代特有の損得勘定によるものかもしれませんんね。
「持国天」さんといえば、ちょうど上野で興福寺の阿修羅像が公開されています。ものすごい人出のようですが見に行きたい・・・

 hermes handbags price | 2014.02.02 5:42

hermes 650 日本を守るのに右も左もない | 日本の森林が奪われようとしている

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