2008年12月02日

日本支配の構造17”天皇の蓄財=日本の国家戦略その2”

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「日本支配の構造」シリーズでは、これまで明治維新~戦前の頃までの政府要人、国際金融資本と国内資本などについて追求してきましたが、横糸を紡ぐような現象として【天皇の蓄財】について調べてみました。
【一体何故天皇に蓄財させたのか?】
ここに引用している文章は天皇の蓄財を視点にして蓄財=悪というように書かれていますが、それは個人主義に毒された感覚だと思います。
前回の続きです。これらを調べていて実は天皇家の蓄財というのは日本の国家戦略といえるのではないかと思い至りました。(その⑤~⑧)
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◆⑤〔木戸幸一が巨額の皇室財産を海外に逃す指示をした〕
天皇の蓄財②(1944年太平洋戦争終戦)
さて、再び『神々の軍隊』の続きである。

 「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、なかでも国際決済銀行、通称バーゼルクラブは、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣ではなく、すべてを金塊で決算する銀行であった。
 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」
 昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。

 
◆⑥〔日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。国策会社の興隆に伴う財産が増加した〕天皇の蓄財③ 『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)より抜粋・引用します。

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。
「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」
日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。<中略>天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。
日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。
「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」
福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。
<中略>
至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。
<中略>
日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。
1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。
<中略>
片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。
片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。略

◆⑦〔敗戦後GHQは生活費を除くすべての皇室財産を凍結するとの指令により財産の1部は国庫へ〕
天皇の蓄財④引き続き『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)より抜粋・引用します。

天皇家が味をしめたのは日清戦争であった。この戦争で清国から奪った賠償金は三億六千五百二十五万円。このうちの二千万円が皇室の財宝となった。天皇家はこの戦争で味をしめた。
1945年8月、敗戦となった。「降伏後における米国の初期の対日方針」の中で、「皇室の財産は占領目的の達成に必要なる如何なる措置においても免除せられることなかるべし」と明記されている。
敗戦後の10月22日、宮内省はGHQにより、四十数項目にわたる報告書を要求された。11月18日、GHQから覚書「皇室財産に関すること」が出た。GHQは生活費を除くすべての皇室財産を凍結するとの指令を出した。
この年、GHQの財務調査官たちは、昭和天皇の個人資産を1億ドル以上と査定した。財務調査官たちは「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書」を作成し、マッカーサーの承認を得た。皇室財産も課税計画から除外されないとした。
それでは、1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容をみよう。
「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」
当時の財閥の住友吉左衛門は1億1738万円、三井高広は9628万円。皇室財産は、GHQの公表分であるが日本の財閥の約30倍。しかし、この数字は正確ではない。天皇も、三井も、三菱も、敗戦前にほとんどの金をスイスの秘密銀行に入れたからである。
さて、この皇室財産はその90%が旧憲法のもとで無償没収され、残りの10%は憲法88条の規定により国に属することになった。日本の戦後史を書く学者のほとんどは、皇室財産には触れることがない。井上清がこの程度触れただけである。

◆⑧〔皇室財産の一部はスイスラテンアメリカに流れた可能性がある〕

・では、マーク・ゲインの『ニッポン日記』を見ることにしよう。マーク・ゲインは戦後日本にやってきた記者の一人である。
「ある総司令部の専門家が言った。『天皇の財産は5億ドルから10億ドルの間だろう。このひらきは、我々の到着直前に彼の財産がどれだけ隠匿されたかという我々の知らない、また多分将来も知り得ない事実によって生じるものである」この、「多分将来も知り得ない事実」について、エドワード・ベアは『裕仁天皇』の中で次のように書いている。
「皇室はこれらの資産の大半を失ったが、SCAPの厳しい監査の目をのがれて、残された資産もいくらかあったようである。敗戦の濃くなった1943年、44年、専門家の助言に従って、海外の仲介人を通じ、日独伊枢軸国に好意的だったスイスやアルゼンチンのようなラテンアメリカ諸国の銀行に資産を移されたとも言われる。1948年7月19日付のSCAPの報告書には、『日本の公的、私的財産は共にSCAPの十分監視の行き届かないラテンアメリカ諸国に流出した』とある。」
あるASADの専門家は、戦時中に総額4100万ポンドの皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出されたと見ている。そのうち、スイスに流れたのは850万ポンド、ラテンアメリカに流れたのは1004万ポンドであった。こうした不明な財産の回収作業を行われないまま、1951年に占領が終結した。
マッカーサーに関する限り、彼は全般にわたって、天皇の海外資産の調査に明らかに弱腰の態度を見せていた。(略)
敗戦直後に宮内省がGHQに報告した皇室財産の総額は約16億円。皇居、御所などの建物のほかに、山林面積は群馬県と栃木県の二県の合計に等しく、農地は奈良県の全耕地面積に匹敵するといわれた。この報告書を見たGHQの係官は、皇室は金銭ギャングの最たるものだと言ったという。」
天皇の財産はどこへ消えたのか。謎は残る。

(つづく)

List    投稿者 tennsi21 | 2008-12-02 | Posted in 04.日本の政治構造7 Comments » 

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コメント7件

 ふしぶじゑ日記 | 2009.03.10 23:08

小沢氏秘書逮捕について続続稿。検察とマスコミによる一種のクーデターなのでは。

 日本人の持ってる資産を、特に日本の「宗主国」であり急激な信用収縮つか信用崩壊によって騙しと脅しの元手となる金(カネ)がスッカラカンとなった米国の支配層が…

 帝國ブログ | 2009.03.11 21:45

【テレビ左翼】小沢氏会見でまさかの自白。二階氏にも捜査の手【ヨット右翼】

小沢氏の疑惑は以前より週刊誌等で報じられており、小沢氏の金権体質は指摘されて
久しい訳ですがとうとうその公設第一秘書が逮捕されたという話はご存知の通…

 てつを | 2009.03.12 23:34

>金貸したちは(目先であっても)「明日の資金繰りをどうする?」と焦り、形振り構わぬ足掻きを繰り返しているのではないだろうか。
泥酔事件、小沢秘書逮捕等立て続けに何かしら仕掛けてきている感じを受けます。稚拙であれ、金貸しは保身の為にどんどん仕掛けてくるのでしょうね。
いつもうまく国民感情操っていますが、今度ばかりは、事実でもってマスコミに対抗して欲しい。
>形振り構わぬ足掻き<は、国民が不信感を抱くチャンスではないでしょうか

 米流時評 | 2009.03.13 7:55

シティバンク危機脱出!連邦政府のゾンビ蘇生術成功か?

  ||| ブライトライズ・ビッグシティ 後編 |||
 シティバンク危機脱出! ゾンビ銀行への財政注入金と、連邦政府の介入
 米国経済氷河期に…

 まー | 2009.03.16 20:35

>私が感じるのは、その手口があまりに稚拙で、あまりに拙速であることだ。
この稚拙な感じ、というのを少し前にあった、厚生労働省の方を殺した犯人の犯行動機にも感じました。
理解は出来ないが何となく納得してしまうような話といいましょうか

 chocolate hermes handbags | 2014.02.02 6:30

fake hermes ostrich bag 日本を守るのに右も左もない | 中川泥酔会見事件~小沢秘書逮捕劇に見える金貸しの焦り⇒資本主義終焉の最終局面

 http://www.schulz-classic.de/ | 2014.03.12 15:33

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