脱グローバリズムの可能性をインドに探る ~インド人の民族性と共同体2
今回は、先回に引き続き、カースト制度の成立から、インドの共同体社会に与えた影響や今後の注目ポイントについて扱いたいと思います。
■カースト制度
インドのカースト制度は良く聞くような単なる身分制と捉えることは出来ません。より実態に近づくには、縦軸の社会階層(ヴァナル制)と、横軸の職業区分(ジャーティ制)の二つを一体としてカースト制度を捉える必要があります。
まず、縦軸のヴァナル制は本来、「行為」や「知識」を下にした社会階層であると言われます。現在は、就いている職業の「浄」「不浄」の度合いで捕らえられ、階級的には祭祀階級であるバラモン階級が最上位となります。
この制度は元々は固定的なものではなく、古典的なヴァナル制は、秩序を保つのに必要な能力と知恵を基本とするものだったようです。これが、固定的に捉えられるようになったのは、比較的近年の植民地時代と言われ、当時行われた国勢調査や地誌は序列にしばしば言及し、司法(裁判所)は、序列の証明となる慣行を登録して、随時裁可を与えた事が影響しているようです。
次に、横軸のジャーティ制は職業毎に共同体を形成する職業世襲制度(分業制)ですが、これはヴァナル制より厳格な仕組みで、社会的ネットワーク、つまり共同体を維持する為に同族結婚の慣習とグループの団結を保持する為のものです。
各ジャーティがもつネットワークは、婚姻を通じて拡大し、それぞれの文化や生活、習慣の遵守によって強化され、ジャーティ内部の争いの調停、就職支援、病人・貧困者に対する扶助などもそのなかでおこなわれており、ジャーティへの帰属意識は非常に強いものとなっています。
・ヴァナル制の成立
アーリア人によりドラヴィタ人を支配した制度ですが、祭祀書であるリグヴェーダーで、これを正当化しています。具体的には、ドラヴィタ人が持っていた輪廻転生思想を身分制度を正当化する理屈としてヴェーダーに組み込み、生まれを前世からの宿命として甘受させたものです。
・ヴァナル制の維持
乾季と雨季のはっきりしたインドでは、農繁期が限られています。一方、職業の専門化が進み、農閑期は大工で、農繁期は農業に従事するなどの層が生まれていきます。
特に、グプタ朝(550年頃)以降は、ヴァナル最下部のシュードラより下に位置する不可蝕民が人工的に作り出され、村の不浄な役割や農繁期の労働力になる共に、シュードラの不満を抑える役割を果たしました。
さらに、10世紀に成立したシュードラ系の王朝(和名:奴隷朝)によってジャーティ制、つまり職業世襲制が、カースト制度を確固としたと言われます。
ジャーティは3,000以上あると言われ、前近代における経済発展の一定段階においては生産力を向上させ、それを保持していくのに効果があり、特殊技能を高度で精緻な段階に引きあげる役割を果たし、自給自足経済に呼応した安定性も有していました。
一方、これは為政者にとって、様々な共同体を専門職業集団化する事により、自らが担う統合課題から庶民の目を逸らす事が可能になったと言えます。このため、ヒンドゥー王国の支配者のみならずムガル帝国などのイスラム政権もこの仕組みを温存し、その上に君臨するという手法を採用し、イギリス帝国も同様の手法をとったのです。
しかし、戦後、特に1970年以降、産業構造が大きく変化しはじめると、異なるジャーティが同じ工場で働き、異なるジャーティが作った食事をとるなど、徐々に伝統的なジャーティ間の相互扶助の関係が金銭の支払いに変化し、プラスチック製品の出現で、金属加工ジャーティが職業転換を迫られるなど、都市部を中心に共同体に変化の波が押し寄せ、徐々に共同体の維持が困難になりつつあります。
インドのカースト制度は、アーリア人発の身分序列制度ではあるものの、被支配層であるドラヴィタ人などから見れば、元から持っていた輪廻転生思想や、血縁や出自などの集団を重視する共同体性とも合致したのであり、武力によらず、宗教による社会規範として追共認されているという面と、それも主体的に追共認されているが故に、支配層からみて転覆の可能性が低い構造となっているのです。
つまり、インドはヒンドゥー教により生き様を決められ、さらに人種を区別したカースト制や職業世襲制のジャーティ制で現世が肯定される社会構造が、2000年にもわたる安定と秩序をもたらしながら、祭祀階級としてカースト制度の頂点に立ったアーリア人は、被支配層の共同体の維持を第一義として、ヒンドゥー教を土台としたカースト制を作り上げ、一方の被支配層であるドラヴィタ人なども、共同体維持が第一であり、これら制度を進んで追共認してきたと考えられるのです。
インドは、戦後中道路線をとり社会主義的な政策を採って来ましたが、安易に金貸し資本を呼び込まず、国内産業の振興を重視してきたのも、ジャーティ制の延長上で共同体維持に努めた結果なのでしょう。
しかし一方で、産業構造の変化の過程に見られるインド企業の一族独占や、労働争議の多さなど、共同体性を重視するジャーティ制がある意味既得権益化につながる事も多いという側面もあり、良し悪しは別としてインドの近代化の障壁にもなっています。
IT産業への進出は、これまでのジャーティ制に属さない新しい職業の創造であり、一定の成功を収めたと言えますが、根本には共同体維持と近代化を同時に推し進めるハザマにおける政策がインドには求められ、過去から連綿と引き継がれる様々な仕組みを維持しながら、10億を超える人口を近代化へ誘う必要がある所にインドの舵取りの難しさがあります。
インドが世界中の共同体を破壊し続けて来た欧米の金貸し支配から一線を画すのも、アーリア人の私権性発の交渉術の高さと同時に共同体維持という政策方針が根本にあるのです。
インド政権は、今年に入り国民会議派に変わりインド人民党のモディー首相が誕生しました。モディー首相は低カースト出身である事が好感され、グジャラート州の首相時代に、石油、化学、肥料、鉱業などで、優良な州営企業を黒字で運営した実績を買われています。
ここはロシアの国益エネルギー戦略とも近い位相にある一方で、欧米の金貸しからは官営企業の民営化や小売業への障壁撤廃を期待する声が多く、これからどう金貸しと対峙してくのか?その手腕に注目して行きたいと思います。
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