脱グローバリズムの可能性をロシアに探る⑤~ソ連を崩壊させた金貸し(ロスチャイルド)
「社会主義国家は、市場の限界を感じた金貸しの実験か?」の論旨は、次の通りである。
資本主義国家で大衆からトコトンまで収奪すれば市場は縮小し、秩序崩壊の危険性がある。大衆から私有権を剥奪した上で、収奪の極大化と秩序安定の両立を企図したのが社会主義国家である、ところが、秩序を安定化するために大衆の生存を保障した結果、生存圧力⇒私権活力は低迷し、西側の援助なしには市場の維持さえできなくなる。だからこそ、先進国において豊かさが実現し、市場が縮小し始めると、わずか20年で、金貸しは社会主義体制を放棄せざるを得なくなったのである。
今回は、金貸しが作り上げた社会主義国家ソ連の崩壊とプーチンの登場までを概観する。
『金貸しは、国家を相手に金を貸す』「破局後の覇権獲得を狙うエネルギー大国ロシア」
■ ソ連成立から冷戦崩壊まで
1904年 日露戦争→敗戦
1914年 第一次大戦開戦☆日露戦争の敗戦と第一次世界大戦への参戦により、ロマノフ朝は疲弊していきます。そしてロスチャイルドの援助を受けたレーニンのロシア革命によって、ついにロマノフ朝は崩壊します。
それを明らかにしていくためにも、まずはロシアの歴史的背景からおさえていきます。
17年 ロシア革命→ロマノフ朝崩壊
22年 ソ連成立 ・・・世界初の社会主義国家
45年 ヤルタ会談 ・・・F.ルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ) 第二次大戦終了47年 マーシャルプラン ・・・米ソでドイツの取り合い
48年 ベルリン封鎖
49年 ソ連原爆実験成功
50年 朝鮮戦争☆世界初の社会主義国家となったソ連は、第二次大戦終了後には米国と並ぶ超大国となっていました。ここで第二次大戦の主戦場となって疲弊したロスチャイルドに対し、ロックフェラーは米ソ冷戦を仕掛け、軍需産業での更なる利権拡大を図ります。
55年 ワルシャワ条約 ・・・対米(NATO)の軍事条約
59年 中ソ対立 ・・・国交断絶
62年 キューバ危機
79年 アフガン侵攻 ・・・ソ連(ロシア)の衰退が顕在化☆冷戦構造によって、莫大な利益を獲得したロックフェラーに対して、ロスチャイルドは冷戦終結→ソ連崩壊(その後のEU→ユーロ設立)を仕掛けて対抗しました。ゴルバチョフ、エリツィンがその実動部隊として動き出します。
ゴルバチョフはその功績からノーベル平和賞(ロスチャイルド傘下)を受賞します。85年 ペレストロイカ ・・・ゴルバチョフによる構造改革
86年 チェルノブイリ事故⇒グラスノスチ(情報公開へ)
89年 ベルリンの壁崩壊
マルタ会談(ブッシュ、ゴルバチョフ)⇒連戦終結
90年 一党独裁の解体
ゴルバチョフ大統領(ソ連)の誕生⇒ノーベル平和賞受賞
ヤナーエフ副大統領⇒クーデター
エリツィン大統領(ロシア)がクーデターを阻止
⇒ロシアがソ連脱退し独立国家共同体(CIS)設立
91年 ソ連崩壊
⇒エリツィン大統領による市場経済化
サプチャークがレニングラード市長に選出☆ソ連崩壊後のロシアは、市場経済化に失敗し、経済危機に直面。その傍らでは、金融で財を成した新興財閥が登場します。彼らはオリガルヒと呼ばれ、マスコミや資源企業を買収し、政治とも癒着するようになっていました。
この危機的状況を打破するために、国民からの大きな期待を受けて登場したのが、プーチン大統領です。彼はまず、国家を揺るがすオリガルヒから企業を奪い返し(国有化)、その後は輸出全体の6割を占めるエネルギー資源を貿易の基軸にすえることで、国家経済の立て直しを図ります。
94年 サプチャークがプーチンを副市長に任命
オリガルヒ(新興財閥)の台頭⇒エリツィン政権と癒着
98年 ルーブル危機→インフレ、経済危機
99年 プーチン大統領就任⇒オリガルヒを次々と排除
エネルギー企業やマスコミが国営化される
2003年 米との対立姿勢が顕在化☆プーチンの国家再建政策の結果、ロシア人の実質収入は、プーチン登場の2000年以降(前年比)10%以上の伸び率を示し、失業率は1999年の15%から2006年の6%台へと半減しました。
その後のロシア(プーチン)の動向はご存知の通り、豊富なエネルギー資源を武器に(米国との対立も辞さない)強気の外交を展開しています。
豊富なエネルギー資源を武器に、強気の外交を見せたプーチンが、2012年には再び大統領に復帰した。プーチンをトップとするロシアの政財界に、金貸し支配がどのくらい及んでいるのか、いないのか?
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/09/4042.html/trackback