2021年09月28日

欧米民主主義の終わり(近代観念に頭をやられている日本)

大国ロシア その力の基盤は何か?-1 http://blog.nihon-syakai.net/blog/2021/09/12816.html
大国ロシア その力の基盤は何か?-2 http://blog.nihon-syakai.net/blog/2021/09/12843.html
「世界の力を読み解く」シリーズは、ロシア、中国の分析へと進みます。

 

なぜ、ロシア、中国に注目するのか?

 

私は、「欧米支配(アメリカ支配)の時代は終わり、すでに現実の世界は、ロシア・中国が主導している」という状況認識(事実)が重要だと考えています。
日本国内では一般的に、ロシア・中国といえば、得体がしれない国、独裁=民主主義でない、情報統制、人権抑圧、といったネガティブイメージがつきまといます。
いうまでもなくこれは事実か否か以前に、「日本のマスメディア」によって刷り込まれた像にすぎませんし、もちろん日本のマスメディアは欧米系金融勢力によって完全に指示命令(アンダーコントロール)されています。

 

何事であれ本質を見極めるには、マスメディアのつくりあげる幻影=洗脳支配から離れることが第一歩です。

 

例えば日本は世界の先進国であると都合よく思っている人も多いですが、

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それもすでに過去の幻想にすぎなくなっているようです。
(世界の多くの人々は残念ながらそう思っていないみたいです)

さらに言えば、マスメディアによる洗脳支配をより強固にしているのは、各人の頭の中にある「民主主義は正しい」という固定観念です。
これはかなり根深い。
自由、人権、個人は絶対といった固定観念もそうですが、思い込み=観念支配によって「現実」が見えなくなっている。おそろしいことです。

 

現代の日本人は古臭い近代思想に完全に頭をやられてしまっている、
現実に起こっていることが見えていない、
だから勝てない、負け続けるという自覚が必要だろうと思います。

 

ロシア・中国の指導者層が追求しているのは、おそらく「現実の力」だけ、「それで勝てるかどうか」だけです。軍事力とその基盤となる科学力、諜報力、あるいは経済力。それらの先端を担う人材をどう育成(教育)するか。民主主義云々といった「観念」自体に何の意味もない、たんなる支配の方便であることもよくわかっている。

ロシア・中国が目指す道は民族自決の多極世界なのか、世界覇権(権力支配)志向なのか、ここはまだはっきりしませんので、当ブログでも追求します。
ここではロシア・中国のやり方が良いとか悪いとかそういうことでなく、現実の力への追求スピードにおいて、欧米勢力(金融勢力)を着実に凌駕している事実が重要です。

 

この社会はどのように成立し、統合されるのか。http://blog.nihon-syakai.net/blog/2021/09/12779.html

私たちの追求テーマが、力の原理による支配ではなく、
「共認原理」(共に認め合うこと)によって統合される集団と社会のありようであることは変わりませんが、
「共認原理」とは「民主主義」とは全く異なるものであることも重要な論点です。
民主主義なるものの正体をはっきり見抜く必要があります。

 

※実現論序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=3 

【民主主義と共認原理】

共同体では、まず第一に、自然の摂理に学び、部族の歴史に学び、先人の経験に学ぶことが、根本規範となっている。従って第二に、共同体では、成員の誰もが自分たちの置かれている状況と課題を熟知している。従ってまた第三に、何かを決めるのは、全員合意が原則であり、緊急時の長老一任も、この全員合意の延長上にある。

 

【民主主義は、自我の暴走装置である】

何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我・私権の主体である。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。
また、民主主義は、自我・私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我・私権に立脚したものであることの証拠である。 

事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。

 

要するに、金貸し勢は、「民主主義」を人々に吹き込むことによって、

人々の自我をどんどん肥大化させると共に、どんどん無能化した上で、自分たちの好きなように染脳してきたわけである。

 

かくして、民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。

いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。

以上で明らかなように、民主主義は、決して共認原理に立脚しているのではない。

それどころか、民主主義は、共認原理を破壊する自我原理に立脚している。

それが、民主主義の正体である。

 

by Yusuke

List    投稿者 fuji-m | 2021-09-28 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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