2011年07月28日

民主主義の欠陥1~これまでの市民運動とはなんだったか(戦前編)

これまで私達は、近代国家において「民主主義」は至極当然のことと教えられてきました。そして、民主主義の象徴としてあるのが、国民による投票で選ばれた人たちで運営される国会(議会)です。しかし、経済問題にしろ、精神破壊にしろ、環境問題にしろ、社会問題は山積みですが、「民主主義」という旗印の下で運営される国会(議会)から皆が納得する方針が出てくる気配はありませんし、私たち国民もそこから答えなど生まれてくるわけがないと悟っています。
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この状況を鑑みて、一見するとみんなで決めるというようにとても良いものであるように信じ込まされている「民主主義」とは一体何なのか?を検証する必要があるのではないでしょうか?(そもそも、「民主主義」などお題目でしかないとなんとなく気づいている方も多いかもしれませんが・・・)
そこで、シリーズ「民主主義の欠陥」では、大衆によるものとして史実に残るいくつかの運動とはなんだったか?を改めて調べてみることで、「民主主義」とは一体何なのか?に迫っていきます。
記念すべき第1回は、史実上は大衆により革命が実現されたとされている「フランス革命」「明治維新」についてを書いていきます。
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●「フランス革命」とはなんだったか?

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フランス革命を支配していた狂気~革命歌「ラ・マルセイユーズ」
民主主義革命の例に挙がるのがフランス革命ですが、その実態はとてつもなく血生臭いものでした。
それを示すのがフランス革命歌として歌われた「ラ・マルセイユーズ」です。
歌は7番までありますが、1番だけ紹介します。
・祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
・我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
・血塗られた軍旗がかかげられた
・どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
・子どもや妻たちの首をかっ切るために、
・やつらは我々の元へやってきているのだ!
・武器をとれ、市民たちよ
・自らの軍を組織せよ
・前進しよう、前進しよう!
・我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!

私たち日本人が聞けば仰天するような、狂気に満ち満ちた歌詞です。「民主主義」の起源として取り上げられるフランス革命ですが、当時の「民主」とは、ヨーロッパの商業階級だけが該当し、それ以外は「民主」に含まれません。そのため、こんな殺戮の奨め以外の何物でもない歌がまかりとおっていました。しかも、驚くことにこのトンデモない歌が現在のフランス国歌なのです。
当時の「民主主義」なるものは、単に戦争を正当化するためのお題目でしかなかったことがよく分かります。

●「明治維新」とはなんだったか?

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歴史の教科書では、下級武士が決起したことによって倒幕が成ったかのように記されています。確かに、本居宣長をはじめとする日本主義思想が江戸末期から登場し、幕末には吉田松陰ら幕末の尊皇攘夷思想家を輩出しました。飢饉や各藩財政が困窮するといった行き詰まりから、世直しを自ら考え、それに共鳴した下級武士たちが立ち上がったという所までは事実ですが、それだけでは倒幕は実現できません。
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吉田松陰
成功に至ったのは金融資本家:ロスチャイルドの力があったからなのです。

明治維新~日露戦争~日米開戦全てロスチャイルドに仕組まれていた
■ロスチャイルド家の視点から見た明治維新
明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。
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ロスチャイルドの代理人であったグラバー
初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。明治新政府はこのように創設されました。
しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。そこで、内戦が起きます。戊辰戦争です。薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦です。
戊辰戦争は、まず新政府軍 V.S 幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」 に始まり、次は「東北戦争」、さらに北上して、旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろしました。
当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、 旧幕府軍が15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていました。
しかし、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転します。この錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したものでしたが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、「天皇には逆らえない」と旧幕府軍の戦意は低下します。慶喜が軍を捨てて京都から江戸に逃走したことも重なり、新政府軍の圧勝に終わります。 これにより、地方の下級武士と下級公家によるクーデターは完遂したのです。
また江戸では、新政府軍の司令官である西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟の話し合いにより、幕府側から新政府側に江戸城が明け渡されました。争うことなく、無血開城した江戸城でしたが、その裏には、後の貿易への支障を恐れたイギリス側から、新政府軍に「江戸城は攻撃するな」という指示がありました。
この幕末から明治維新にかけて、日本の背後では、イギリスが薩長倒幕勢力を通じて南方からの日本支配をもくろんでおり、フランスは幕府を通じて日本の支配をもくろんでいたのです。またさらにその上には、それぞれ英・ロスチャイルド家と仏・ロスチャイルド家の存在がありました。戊辰戦争を振り返って見ると、以上のようになります。
英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援します。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れます。

このように、これまで民主主義の代名詞として大衆の手により実現されてきたと信じ込まされていた「フランス革命」も「明治維新」も、みんながイメージする民主とは程遠いことが見えてきます。
次回は、戦後の市民運動はどうだったかに迫っていきますのでお楽しみに!!

List    投稿者 kura | 2011-07-28 | Posted in 08.近現代史と金貸し2 Comments » 

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コメント2件

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