2012年06月13日

江戸時代の思想20 西洋の侵略圧力は縄文体質(受け入れ体質)では回避できなかった

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画像はこちらからお借りしました。
前稿では、ペリー来航→開国以前に、富国強兵・脱亜入欧論が登場したことを述べ、海保青陵・本多利明・佐藤信淵の思想を紹介したが、彼らの中には、富国強兵論に止まらず、制度や文化、さらには文字に至るまで西洋の真似をすべしと唱える者が登場する。
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【1】例えば、本多利明は仮名文字をローマ字の改めるべきと論じ、キリスト教や西洋の英雄は自然治道の理にかなったものであり、神・儒・仏の道も本来はキリスト教に淵源があるとまで言っている。
近世越中国で展開された寺子屋教育や学問の状況についてより引用する。

国民人口増加の根源は夫婦にあり、人口増加率は十九・七五倍であるから、西欧では王侯でも一夫一妻である。当然食糧を増産せねばならず、これを開業(殖民)と貿易に求めれば、わが国はイギリスと並ぶ二大富国・大剛国になるであろう。そうすれば天からの預り者である人々を餓死させるなどということは無くなる。これはまさに永久不易の善政にして、自然治道の制度である。
 
渡海技術や天文・算術を学び、利益を収奪する商人には委ねず幕府や藩が管理せねばならないこと、異国との交易は戦争同様であるから是が非でも利益をあげねばならぬことを本多利明は強調する。
東アジア諸国は米を主食に草木の葉枝・幹根を次食、肉食を慰食としているため、温和・惰弱であり、家は木造のため、子供は草木のように智恵が脆く淡白である。一方後者の西洋諸国は肉や油を主食に、果実・穀類を次食としているため、勇猛で知性があり、家は石で出来ているので、子供は金石のような賢く才がある。
 
また蝦夷地は雲霧が深く湿地の多い寒国であるが、遍く焼き払えば百穀豊熟の良地となる。この開拓には奥羽・越後・佐渡・加賀・能登よりの移住者と囚人を用いればよい。やがて「カムサスカ」に都を移し、「西唐太島」に大城郭を建立し、「山丹」「満洲」と交易し、国号を古日本と改め、仮館を据え、貴賎の内より大器英才で徳と能を兼備した人物を選挙して郡県に任じて地方の開拓に力を入れれば、数年で世界第一の大良国となる、というように思いは拡大していった。そのためには西欧諸国に倣った改革が必要であり、賢君明主・英傑の仁政が必要であるとする。
加えて町並みとゴミ問題や仮名文字をローマ字に改める論などを展開し、慈悲を根本としたキリスト教を自然治道の理にかなったもの、西洋の英雄は自然治道の体現者であり、神・儒・仏の道も本来はキリスト教に淵源があるとまで言い、わが国に真の治道を得ない原因は支那の思想・文化を崇拝したからと、地動説を例に挙げて難じた上で、西洋式に万事切り替えることを主唱する。 

このように、西洋崇拝思想は1853年ペリー来航による開国より以前に登場している。
本多利明も佐藤信淵も1780年代の天明の飢饉を体験したことが、彼らが富国強兵・脱亜入欧思想に傾斜してゆく契機となっていることは間違いない。
しかし、それだけでは、本多利明のような極端な西洋崇拝思想は説明できない。
【2】江戸時代後期の日本は、西洋による侵略圧力(同類闘争圧力)に巻き込まれたが、それと似た状況が1万年~6000年前の部族連合時代にあった。人類が地上に進出し人口が増え、部族同士が縄張りを接し同類闘争の緊張圧力が高まっていた時代である。
『るいネット』「10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代」には次のようにある。

原始時代まで人類は200万年以上もの間、自然圧力に対応するために精霊信仰に収束していたが、部族連合時代の守護神信仰も、その基本構造は精霊信仰と代わっていない。加わったものは同類闘争圧力であり、それに対応して富族強兵共認が生まれ、それが守護神信仰に収束した構造。つまり、守護神信仰がこの時代の先端共認である。
ここで注目すべきは、富の拡大欲求や私権意識などの欠乏の全てが守護神信仰に包摂されているという点である。このことは、精霊信仰的な意識構造が如何に強く部族連合の時代にも残存していたかを示している。
部族連合時代の構造をまとめれば、
自然圧力×同類闘争圧力⇒富族強兵共認⇒守護神信仰で統合。
社会期待という概念で捉え返せば、原始時代の生存期待の上に同類闘争上の勝利期待が加わったということ。だから、この時代の人々は、生存期待も勝利期待も含めて全ての期待をかけて、守護神や祖霊に祈っていたのである。

部族連合時代に、富族強兵共認が守護神信仰という部族の正当化観念に収束していったように、江戸時代後期の日本も、西洋の侵略圧力を受け、富国強兵と侵略を正当化する観念に収束した一派が登場した。それが本多利明や佐藤信淵をはじめとする、富国強兵・脱亜入欧(中国・朝鮮への侵略)思想である。(一方、西洋に侵略による秩序崩壊の危機意識から神国=天皇制観念と排外意識に収束したのが尊王攘夷思想である)
彼らを皮切りとして、西洋の侵略から防衛するために、科学技術や軍事技術だけでなく、社会制度や思想も西洋の真似をしなければならないという論調が幕末~明治にかけて強まってゆく。
【3】18世紀後半からはじまる西洋の侵略圧力は、日本人(縄文人)にとって初めて直面した侵略圧力ではなかっただろうか。
超国家・超市場論5 私権闘争・掠奪闘争をどう止揚・統合するのか?

あるいは、こうも云える。人類は(わずか数十年~数百年という短い期間では)集団を超えた同類闘争を止揚・統合する機能or場を作り出すことが出来ずに、あっという間に性闘争→掠奪闘争に席巻(せっけん)されてしまったのだと。
この掠奪闘争によって、人類を育んできた全ての本源集団は解体され、生き残った人々も、いったん全てを失った(飢えはもちろん、生存さえ保障されない様な)どん底状態に封じ込められてしまった。
しかし、力の序列原理に則った武力支配国家の下で、人々は私婚の共認→私権の共認を形成し、それを土台として全ての人々が私権の獲得(=私権闘争)に収束する私権統合の社会を確立していった。そして、何とか最低限の生存が満たされる状態を回復すると、次に、取引という形の私的共認に基づく市場を形成し、ひたすら物的な充足を追求して’70年頃にようやく貧困から脱出した。
人類は、私権時代を通じて約3千年(最長5千年)もの時間を費やして、飢えという生存圧力を克服してきた訳である。
と同時に、貧困が消滅したことによって一気に私権闘争の圧力が衰弱し(従って活力が全面的に衰弱し)、もはや生存圧力を背景とした私権闘争に基づく国家や市場では、社会を統合できないことが明らかになってきた。
今、人類がぶつかっているのは、掠奪闘争や私権闘争を超えた新たな社会統合の仕組みをどう作り出すのかという未明課題である。同時に、人類は改めて、6千年前には出来なかった、掠奪闘争や私権闘争をどう止揚・統合するのかという課題を、突きつけられているのだと云えよう。

1800年前、朝鮮から来た支配階級を受け入れつつも「お上」として捨象することで、戦争を回避したのが日本人(縄文人)である。
「庶民にとって「お上」のことなど、どうでもよかった」

朝鮮から来た支配階級にとって、縄文人は信じられないくらい素直で従順であり、ほとんど戦争をすることなく、支配体制が受け入れられてきた。世界の常識では当たり前の、力の原理に物を言わせて従わせるということが、縄文体質の世界では全く不要なのである。これは世界的に見ても極めて特異なことである。すると、支配階級の側も力で制圧するのではなく、縄文人たちと仲良くやった方が得→庶民の生活が第一という意識が形成されてゆく。このように「みんなのため」「民の生活第一」という発想が日本の支配階級の間で形成されたのも、庶民大衆が縄文体質だったからである。

その後、元寇を除いて、日本は侵略される危険性はほとんどなかった。
ところが、200年前の西洋の侵略圧力は、縄文体質(受け入れ体質)では回避できない侵略圧力であった。日本人(縄文人)が初めて直面した本格的な侵略圧力である。
そして、西洋人相手には1800年前に使った受け入れ体質による侵略回避戦略は通用しなかった。

幕府は何とかノラクラ戦術で侵略を回避しようとしたが、金貸しと結託した薩長の武力の前には大政奉還によって内戦を回避するのがやっとだった。
つまり、江戸時代の日本人も、6000年前の世界中の部族がそうであったように、西洋による侵略戦争を止揚する機能や場を作りだすことができなかったのである。
だからこそ、侵略闘争という同類闘争に勝つためには、西欧化(近代国家=私権国家化)するしかなかったのだ。近代国家は議会制度をはじめとする金貸し支配のフレームである以上、近代国家化すれば金貸しによって支配されることは避けられない。
しかし現在、「人類は改めて、6千年前には出来なかった、掠奪闘争や私権闘争をどう止揚・統合するのかという課題を、突きつけられている」。これは、世界中で最も縄文体質(共認体質)を色濃く残していた日本人が200年前には出来なかった課題であり、かつ、現在、私権収束から共認収束への大転換の先端を走る日本人に改めて突きつけられた課題でもある。
日本人は回避不能の侵略圧力を受けたのが200年前、私有権が制度化された私権国家化したのが僅か150年前にすぎない。歴史的に考えれば、つい最近のことである。
これが、来る共認原理の世界をリードする日本人の可能性の基盤の一つであろう。
次回からは、どのようにして、私有権制度や議会制度をはじめとする西洋の社会制度や思想が導入されていったのかを明らかにしてゆきたい。

List    投稿者 staff | 2012-06-13 | Posted in 04.日本の政治構造6 Comments » 

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