2008年11月08日

『近代国家成立の歴史』8 オランダ商人が作った近代国家イギリスと、最大の特権=通貨発行権を獲得したイギリス商人

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※画像(イギリス議会政治の象徴・ビッグベン)は、「裏辺研究所>歴史研究所>ヨーロッパ史>第39回:清教徒&名誉革命~イギリス立憲政治への道」より引用しています。(←歴史を知るには、このサイトはお勧めです
 
オランダ(ネーデルラント)の次は、イギリス(イングランド)です!
なんと 、イギリス商人は、オランダ商人に頼んで、近代国家にしてもらったらしい!? 
 
※本題に入る前に、イギリス(ロンドン)とオランダ(アムステルダム)の位置関係も確認しておいてください。とても近いですよ~リンク(さらに日本と比べてみたい方は→ドーバー海峡の位置と気候が参考になりそうです。)
 
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■オランダとイギリスの深~い関係
 
1688年、名誉革命を起こし、権利の章典を定め、立憲君主制を確立させたのは、オランダ統領のウィリアム3世が率いるオランダ軍です。つまり、イギリスの絶対王政(≒カトリック)を完全に失脚させたのは、オランダ商人(≒プロテスタント)の力と言えます。
 
また、政治思想においても、ジョン・ロックは、名誉革命後、“亡命していたオランダから帰国”し、1690年、『市民政治二論』を刊行しました(商人たちから絶賛!?)。彼は、オランダに次ぐ市場経済の発展を確信したのではないかと考えられます。(リンク
 
それだけではありません。議会の確立によって成し遂げられた国債制度の確立も、実はオランダがすでに確立していたものです。その後、オランダ人のイギリス国債保有額が2~3割を占めていることから、オランダの金貸しが信用するシステムであったと言えます。(リンク
 
そして、1694年、膨大な国債を管理する組織として、イングランド銀行が創設されますが、遂にイギリス商人は、オランダ商人を越えるが如く、最大の特権である『通貨発行権』を獲得していくのです!(リンク
 
 
■17世紀のイギリス
 
17世紀のイギリスは、概ね以下のような流れを経ていきます。
 
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(1) 船舶税の増税に反発した商人が、内戦→ピューリタン革命を巻き起こし、勝利の結果、議会を牛耳る。
(2) そして、オランダを排除する航海条例を実施し、海上覇権を巡る戦争に突入する。(途中、強力なリーダーを失い、王政復古するが、航海条例は強化され、重商主義は変わることはなかった。)
(3) オランダに大打撃を与え、優位に立ったイングランドではあったが、絶対王政(カトリック勢力)を再び転覆するために、一転して、オランダ(プロテスタント勢力)と手を結ぶ。勝利の結果、“第二のオランダ”となる。この後、イングランドは、オランダの金貸しにとって、有力な投資先となっていく。
 
なお、17世紀の市民革命(ピューリタン革命と名誉革命)によって、商人の主導権も、国王から特権を得てきた商業資本家から、地道に力を蓄えてきた禁欲・勤勉なピューリタン=産業資本家(中産階級)へ、移り変わりました。(リンク
 
 
戦費調達⇒官職や特権の売却⇒最大の特権:通貨発行権
 
商人が作った近代国家の歴史上、とても重要なのが、それまでは国王(国家)が有していた『通貨発行権』を、商人たち(私企業)が獲得したことです。それは以下のような流れを経て、成立しました。
 
1816年のイングランド銀行と王立証券取引所
※画像は、「イングランド銀行 – Wikipedia」より引用しています。
 
1600年代、当時のイギリス国王は、戦費調達のために、王領地のみならず、官職や特権の売却を矢継ぎ早に行っていく。終いに、『通貨発行権』を売却(1694年)し、1700年代に天文学的な通貨を発行するに至る。
 
●1:絶えざる戦争(覇権争い)のために、国家(国王)はお金を絶えず必要とした。
●2:債務不履行をする国家(国王)は信用をますます失い、容易にお金を貸してくれなくなっていった(高金利に)。
 
※代々の王は王領地を売却することで当座をしのいできたが、すでに王領地はヘンリー8世時代の半分以下にまで目減りしていた。(エリザベス1世治世期で82万ポンド、ジェームズ1世は77万ポンド、チャールズ1世は65万ポンドの領地を売りに出して当座をしのいだ。清教徒革命中に政府が売却した残りの王領地は200万ポンド未満であったといわれるから、3人の王をあわせて半分以上となる。清教徒革命 – Wikipedia
 
※官職や保護された特権の売却は、税収よりも確実な歳入確保の方法でもあった。ジェームズ1世やチャールズ1世は、王領地の売却や強制借入れのほかに、官職の売却や独占権の売却により資金調達を行っていました。(Matrix:イギリス国債の誕生(1)名誉革命以前
 
※イングランド銀行設立の20年ほど前、チャールズニ世は大勢の金細工師から借りていた100万ポンドの債務の不履行を宣言し、その結果、一万人の預金者が損害を蒙る。(日本を守るのに右も左もない | 紙幣=銀行券の原点は、国家の借用証書(手形)
 
●3:しかし、戦争(覇権争い)はなくならない。1600年代の対オランダに続き、1700年代は対フランスの戦争を開始した。
 
●4:追い込まれた国家(議会や国王)は、金融家(金貸し)たちとの間で、国家が有する(最終的に金融家が欲していた)「独占的な通貨発行権(および金利徴収の権利)」と引き換えに、必要なだけの融資を受けるという契約を行う。
 
※最初は紙幣=銀行券にも、現在のような絶対的な信用はなかった。イングランド銀行を設立するや、紙幣を印刷し続け、2年で物価は100%上昇し、取り付け騒ぎまで発展した。この取り付け騒ぎに、議会が介入し、設立からわずか2年後の1696年に、「正貨による支払いを停止」する法律が成立した。(イングランド銀行-1:Renaissancejapan
 
※イギリスの国家負債は増加の一途を辿り、1694年から98年にかけての5年間で、100万ポンドから1600万ポンドまで膨れ上がりました。さらに、1698年から1815年(ナポレオン戦争終結)の間に、イギリスの国家負債は8億8500万ポンドにまで増大した。(イングランド銀行-2:Renaissancejapan
 
 

 
以上、「オランダ商人が作った近代国家イギリスと、通貨発行権を獲得したイギリス商人」でした。次は、イギリスにおける産業革命(その次は、基軸通貨)を予定しています
 
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※『近代国家成立の歴史』シリーズの過去ログです。
 『近代国家成立の歴史』1 はじめに ~市場拡大が第一の近代国家~
 『近代国家成立の歴史』2 国家と教会の結託 ~ローマ帝国を事例に検証する~
 『近代国家成立の歴史』3 教会支配の拡大と金貸しの台頭
 『近代国家成立の歴史』4 教会と結託した金貸し支配の拡大~宗教改革~
 『近代国家成立の歴史』5 国家と新しい商人の台頭 ~宗教改革~大航海時代~
 『近代国家成立の歴史』6 自治権を獲得したオランダ商人
 『近代国家成立の歴史』7 商人が国家をつくる
 
 

List    投稿者 toya | 2008-11-08 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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