2018年03月09日

日本近代史の転換点 【226事件】の真相

昭和11年の226事件

近代国家の正規軍が現役部隊を動員して国家の中枢機関を占拠し、一時的に国家機能を麻痺させます。

1500人からなる完全武装の大部隊を極秘に出動させ、見事な作戦と統率により一晩で首都を制圧するという、世界史的にみても空前絶後の大規模なクーデターです。
結果的に鎮圧されますが、この事件は日本中を震撼させました。

なぜここまで大規模な武装蜂起が事前に阻止されること無く成功し、そしてあっけなく鎮圧されたのでしょうか。そしてその後、日本はどうなっていったのでしょうか。

これだけの事件ですから、その背後には黒幕となる大きな勢力がいる事は想像に難くありません。

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以下、226事件に関する考察を掲載した 「情報速報ドットコム」 (リンク) さんの記事を紹介します。

教科書的には「陸軍の暴走」と「平和を望み、憂慮する天皇」という構図で語られますが、果たしてそうなのでしょうか。

以下、一部抜粋し引用します・

【二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?】

川島義之(陸軍大将)が天皇の前で読み上げた二・二六の決起趣意書をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。

今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。
庶民の味方であるわけがない天皇は、徹底鎮圧を指示した。

こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。
日本を訪問したザビエルは、「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」とイエズス会の本部に報告した。
鎖国を経て、ペリーがやってきて、孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。

イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。
西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、西南戦争で抹殺された。孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、イルミナティの宮中浸透は完成していた。大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。

【明治天皇は薩長の傀儡だった】

明治天皇は間接的にはイルミナティの傀儡とも言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、簡単には染まらなかった。西郷を殺すことにも本心では反対していた。それで死後に西郷の名誉回復もしている。日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。

【大正天皇の不発クーデタ】
大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、西園寺は自分が仕えた4代(孝明~昭和)の中で最も知性に優れていたと語っている。大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として日本を改造したかった。議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。その天皇の考えに山県有朋は衝突した。

 【昭和天皇は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。】
議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように「宮中」から指示をしていたのが昭和天皇である。
日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」として利用されたのが二・二六事件だった。

イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか?
エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになる人をトップに据える必要があった。

その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。

以上引用終わり。

日本史もまた世界史の一部である事を考えれば、特に明治以降、鎖国から開国へと国家体制が移行してから、日本も国際金融資本や様々な闇の支配勢力に国のありようが蹂躙されてきたことは周知の事実ですが、この226事件とその後の国家体制(一般に軍国主義と言われる)ほど、その意図が露骨に顕れた事はなのでは無いでしょうか。
そして今なお、この事実を隠蔽し続ける勢力があるということを、私たちは知っておく必要があります。

List    投稿者 nihon | 2018-03-09 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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