世界情勢が読めず、思考停止する外務官僚
2009年10月11日「世界の覇権交代が読めない、日本の特権階級」という記事があるが、田中宇氏も日本の外務官僚の無能さに警鐘を鳴らしている。『田中 宇の国際ニュース解説』2007年9月18日「強まるドル崩壊の懸念」によれば、
▼外務省に外交を任せるのは危険
私が知る限りでは、政府内でアメリカの衰退懸念についてほとんど分析がなされていない。
安倍政権の戦略立案には、外務省(谷内正太郎事務次官や、OBの岡崎久彦氏など)が強い影響力を持ち、対米従属を強化することが、国内政策をしのぐ安倍政権の最重要課題だった。だが「隠れ多極主義者」のチェイニーが実権を握る米政府は、日本の対米従属強化を許すはずもなく、今や安倍は辞任を決め、外務省の謀略は失敗した。
これから潰れそうなアメリカに従属するのは大変な愚策だが、私が接する範囲では、外務省の人々はOBから若手まで、これを愚策だと思っておらず、いまだにアメリカの覇権はあと20年は続くと考えている。外交官たちは、難関の試験を通った頭の良い人々なのだろうが、集団心理によって、現実が見えなくなっている。外務省に外交戦略を任せておくのは、日本にとって危険なことになっている。
このように、日本の外務官僚たちは「対米従属していれば安泰」といった誤った状況認識のまま思考停止しているわけだが、これも今に始まったことではない。「幕末の志士亡き後、戦前の試験エリートは失策に失策を重ねた」わけだが、日本の外交官僚も戦前から世界情勢が読みきれず失策と迷走を繰り返している。
いつも応援ありがとうございます。
『憲政史研究者・倉山満の砦』2009年10月8日「国際連盟脱退(2)ー内田康哉という人」から引用。
内田康哉、明治・大正・昭和の三代のすべての御世において外務大臣を務めた唯一の外交官である。この人物、あまりにも無能なのである。満洲事変期の外交交渉過程を見ていると、なぜかリットン調査団にまちぼうけをさせて真意を疑わせてみたり、などの無意味な所業が多く、後に「馬鹿八」と自他共に認められる有田八郎次官(回顧録の名称が『馬鹿八と人は言う』である。本当に馬鹿だったのである。)があきれて収拾に駆けずり回るという、目も当てられない惨状なのである。
満州事変時のリットン調査団
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そして、ここまで無能だとどこか一つくらい褒める所があるだろうと思って必死の調査をしたのである。というか今も継続中だが。結論から言うと、無い!検証に耐えられる功績がゼロなのである。大体、回顧録を見るとその人の事蹟がやたらと美化されているのである。しかし、内田康哉伝記編纂委員会編『内田康哉』(鹿島平和研究所、1969年)のどこを探しても、無い!それどころか、日清戦争前年に「日清朝三国同盟」などを夢想していたらしい。あの状況でどうしてそういうことを思いつけるのか。明治六年以来、日本と清及び朝鮮は延々と紛議を続けているのでは?これができるくらいなら西郷隆盛は死ななくてすんだだろうに。
駐墺大使の時は、第一次大戦に至るバルカン問題が大変な状況になっているのだが、彼の手書きの公信を私は見たことが無い。タイプ内の公信や公電はいくらでもあるが。つまり、彼が本当に仕事をしていたかどうかが不明なのである。例えば、日露戦争の高平小五郎駐米公使などは、多数の手書きの公信が残っている。内容にも卓越した経綸が伺える。こういう比較をすれば一目瞭然なのである。同様の事態は駐露大使時代に際しても起こっている。この時はロシア革命で大変だったのだが。本当になにをしていたのだろうか。
外相としても、中華民国動乱は石井菊次郎次官と倉知鉄吉次官にまかせっきり、というか何か口を出すたびに異変が発生している。横浜正金銀行の高橋是清なども、何もできないくせに話を通さないとむくれる内田に辟易している。
二回めの外相時は日英同盟廃止である。これは原敬首相と幣原喜重郎駐米大使の大失策だが、原が内田を登用した理由。イエスマンだから。内田を含めたこの三人、外務官僚出身と言いながら、外交がわかっていないである。日本人はいい加減気付くべきである。特権官僚は専門家でもなんでもない、と。肩書きがあるのと、その仕事がわかっているのはまるで違うのである。日本の病根である。
三回目は満洲事変である。議会で「たとえ焦土となっても満洲国は渡さない覚悟である!」などと演説し、世界を敵に回してしまうのである。十三年後、本当に日本は焦土になってしまった。
国際連盟脱退を報じた新聞
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内田は帝国大学法科大学出身で、面接試験のみでの外交官登用である。つまり素養が東大での授業だけなのである。幕末維新の志士のように白刃を潜った訳ではないので現実外交の丁々発止がわからないのである。
日本近代官僚制では、一つの仕事に精通すると出世できない。今に至る試験官僚制やその前の東大法学部無試験任用官僚制の問題点は、東大での授業がすべて、となってしまうのである。それがオックスブリッジのように、授業が国家経営の方法や国際スパイとしても通用する人材の養成、といった水準に達していれば良いのだが、まあ恥ずかしい限りである。
貧乏は働けばまた取り返せる。身内の問題である。しかし、対外政策の失敗は国家の破滅である。日本は一度滅びかけているのである。戦争の反省とは対外政策の反省である。「軍部の圧力」の前に、外務省の怠惰と無能こそ反省すべきであろう。
内田のような官僚は、はっきり言えば、国家の寄生虫である。
要するに、内田康哉という外交官僚は、バルカン問題→第一次世界大戦→ロシア革命といった国際情勢の激変という事態に対しては思考停止して何もできず、一方で「日清朝三国同盟」やら「焦土となっても満洲国は渡さない」などとと観念論を振りかざし、事態を悪化させる。こんなことを繰り返していたようだ。
試験エリート=特権階級の無能さは、とりわけ外交問題において顕著に現れる。外交は不定形課題の最たるものである。常に、国際情勢の変化を捉え、新しい局面に対してゼロから考えてゆくことが不可欠である。それに対して、受験勉強で身につくのは予め決まった答を覚えることだけであり、せいぜいパターン認識までである。これは闘争局面で求められる能力としては極めて低いレベルのものである。
そして、低レベルの能力しか持たない帝大(東大)出の外交官たちは、当時の刻々と変化する国際情勢を前にして、思考停止するか、幼稚な観念論を振りかざして事態を悪化させることしかできなかったということだ。そして、それは現在に至るも何ら変わっていない。
(本郷猛)
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