2008年04月23日

石油価格はどうやって決まるか?

 ここ数年、原油価格が高騰している(石油に限らず資源全体)。
 一般には、価格は、需要と供給の関係で決まるものだが、実は、原油の供給量は余裕があるらしい。では、原油の価格はどのようにして決まっているのか?
柴田明夫氏『エネルギー争奪戦争』をもとに概要をまとめてみました。
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□原油価格の推移
  ・原油価格は、1980年代から2000年の初めまで20年にわたって総じて低迷してきた。当時の
   市場のエンジンが日米欧であり、豊かさが実現した日米欧では、消費は急拡大しなかった
   からである。
  ・最近は、中国・インドなどのBRICS等の原油需要が爆発的に増大。特に中国は資源確保が
   重要と位置ずけており、米国はその意図を見越して、原油の押えに出た。
  ・第2次世界大戦後の石油
   原価の変遷はOPECの地位の変遷でもある。

   1960年、サウジアラビアとベネズエラ両国の呼びかけで
   OPECが誕生。当初加盟国は、イラク、
   イラン、クウエート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国。
   当時、石油生産を独占する石油メジャー(採掘から販売まで独占)=セブンスターズ(米国の、
   エクソン、モービル、ガルフ、テキサコ、シェブロン、英国のブリティシュ・ペトロリアム(BP)、英
   国・オランダのロイヤル・ダッチ・シェルの7社)への抵抗組織として誕生した。

  ・メジャーは第1次世界大戦前後は、中東の利権を独占。国際カルテルを結んでいたので、
   原価は低水準で安定していた。第2次世界大戦後は、需要が拡大したが、供給も増加して
   価格低下。
   
   原油価格は、メジャーが一方的に決めるので、産油国の
  不満は増大し、反米国意識が増加していった。それが、OPEC誕生を引き起こした。

  ・70年リビアが価格UPに成功。また71年のニクソンショックでドル価値DNで産油国の利益
   DNを防ぐために、いろいろ協定が結ばれた(例えば72年ジュネーブ協定)。そして第4次
   中東戦争(イスラエルVS中東アラブ諸国)で価格UP(日本でのオイルショックを引き起こ
   した)。1バレル2ドル→11ドル程度に上昇。
   79年のイラン革命で親米派が破れ、ホメイニ氏が勝利し、ますます価格UP。
  ・80年代にまた価格DN。ロシア、ノルウェー、中国などの非OPEC諸国の資源開発が始
   まった。
   OPEC諸国から利権を
   奪われたメジャーが、非OPECに活路を見出したためである!

  ・価格を守るのに、サウジアラビアが需要と供給の調整役(損な役回り)をした。しかし、イ
   ランやベネズエラの国々が好き勝手やって、価格維持を乱すので、サウジアラビアが、つ
   いに増産宣言。そのため’86年の価格は一時10ドルを割り込むまで暴落した。
   
  以降、原油の指標価格の決定権はOPECからNY商品取引所に移る
  ことになった。

 ・’83年にニューヨーク商品取引所は、WTI原油(テキサス産の軽質タイプの原油)を上場した。
   当初数年間は取引量はごくわずかであったが、’86年以降はその地位が飛躍的に高まり、
   世界の指標価格としての地位を獲得していく。

  このことは、原油がそれま
 での政治的戦略商品から市場で勝手に価格が
 決まる市況商品に成り下がってしまったことを意味する。

  このように、現在では、石油は、需要・供給の関係では決まらず、市場による投機の対象と
  して価格が決まり、それが、実体の石油の価格を決めているというおかしな状況を引き起こ
  している。では、その背景にどのようなことが起きていたのか?国家、金貸し等の思惑は?
  次に調べてみたいと思います。

List    投稿者 hoop200 | 2008-04-23 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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コメント1件

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