脱グローバリズムの可能性をインドに探る ~インド人の民族性と共同体1
現在インドは、BRICsの一員として市場拡大の期待を集めており、インドが力を入れるIT産業や金融システム開発では欧米との関係も深い。一方、先ほどモディ首相へ政権交代を果たしたインドは露中とも接近しつつ、欧米の金貸し支配から一線引いており、自己主張も強い。この原点がどこにあるのか?
今後のインドがどうなるかを読む上で、これらの特徴を持つに至ったインドについて、歴史を遡りながら考えてみたいと思います。
■インドの民族性
10億を超える人口を擁するインドは、多民族で構成され、各地方で言語が異なります。
公用語はヒンディー語ですが、ヒンディー語を話すのは4割の人に限られ、準公用語として英語が話されます。(お札には18もの言語が印刷されているのも有名ですね)
しかし、この多民族国家を形成するインドの民族も、大きくみると3層の人種に分ける事が出来ます。
・ 土着の民族(Y染色体分析による人種:H系)
この人種は、アフリカ発であるが、スンダランドまで移動せず2~3万年前にインドに定着した原モンゴロイドであり、本源性が高く、現在は南インドの先住民族に多く見られます。
・インダス文明を作ったドラヴィタ人とその起源(L系)
紀元前3500年前頃に、インダス川流域に突然高度な文明が登場し、紀元前2600年頃に全盛期、そして前1800~前1700年に衰退してしまいます。このインダス文明を作ったのはドラヴィタ人と言われますが、高度な都市設計能力を見ても、高度な文明をもった人種が流入してきた事は明らかで、ここから地中海方面からメソポタミヤを経由してきたシュメールを起源とする民族が原住民と混血したものと考えられます。ドラヴィタ人も本源性が高い民族ですが、今日の南インドに、形質人類学上、地中海型の特質をもつものが多いのもこの為でしょう。
・アーリア人の侵入(R系)
紀元前1500年前頃、パンジャーブ地方に私権性の強いアーリア人が侵入し、父系の婚姻形態を持ち込みます。
先住民と混血が進み、生活形態も牧畜⇒農耕へ移行して行きますが、さらに紀元前1000年前頃、アーリア人はガンジス川流域に移動し、農耕が本格化します。そして余剰生産から商工業が発展すると共に、祭司階級のバラモンが力を失い、戦争や商業に関わるクシャトリアやヴァイシャなどの社会的地位が向上して行きます。
この様に、大きく3層に分かれる人種ですが、現在は混血がかなり進みながらも、統合階級であるカースト上位はR系、カースト中位はL系、下位はH系が閉める割合が多くなっており、インド人に本源性と強烈な私権性を同時に見るのはこのR系の存在が大きく影響しているのです。
また、歴史的にみると、北インドでは、外来民族が王朝成立に深く関り、王朝はアーリア系→イラン系→13~17世紀イスラム系(1562年ムガール朝)と変遷し、18世紀以降にはイギリス支配を受けますが、一方の南インドでは、ドラヴィタ人により王朝が成立~14世紀→18世紀以降イギリス支配を受けたに留まります。
インド在住の日本人から見ると、北インド人は世知辛く、南インド人は人懐っこく、日本人にとって、南インドの方がはるかに住みやすいのも、歴史的に、北インドは周辺地からの征服と戦乱の歴史を経験し、人々は徐々に私権主体に変化したのに対し、南インドは、アーリア人に追われたドラヴィタ人が南部地域に移動定着し、そのまま本源的な色彩を残したことが影響しているのです。
戦後、中道を行く基本的な外交方針も、この征服の歴史経験から来ている可能性が高く、おいそれとは欧米勢力になびく事のない力の源泉は、インド国内の私権主体によるものであり、ここが欧米支配を許してしまう本源的な日本との大きな違いと思われます。
■多民族国家インドを統合するヒンドゥー教
インド人の信仰する宗教は2001年の調査で:ヒンドゥー教80.5%、イスラム教13.4%、キリスト教2.3%、シク教1.9%、仏教0.8%、ジャイナ教0.4%で、殆どがヒンドゥー教を信仰しています。
多民族であり、言語も異なるのに宗教はほぼ一つ、かつ世界的に見てもヒンドゥー教を信仰する国はインドくらいであり、祭祀階級がカーストの最上位である事からも、インドを統合しているのはヒンドゥー教と行っても過言ではないでしょう。
ヒンドゥー教の特徴は、生活規範そのものとも言えますが、インドのキリスト教徒も淨不浄の観念や、「右」の優位、カースト意識やカースト内結婚を維持しており、宗派を超えて、暮らしの隅々まで共有しているものが多いようです。
・バラモン教の成立
西方より侵入してきたアーリア人がまずヴェーダー教を持ち込みますが、元々私権性の強いアーリア人はドラヴィタ人の思想体系(輪廻転生などの思想が基層にある)を組み込みながら支配をもくろみ、紀元前1000年頃には、まずリグヴェーダー(賛歌集であり、祭祀の手順書ともなる)として大成させ、これがバラモン教となります。
・ヒンドゥー教の成立
その後、祭祀階級側となったアーリア人がヴェーダーをより洗練させ、認識体系をまとめ直したものが、ウパニシャッドなどの哲学(輪廻と解脱)であり、これを延長させたものがヒンドゥー教となります。(この時に6学派が生まれて、現在まで継続しています) ヒンドゥー教は、神話体系、宗教儀礼、社会制度、文化伝統、生活形態、宗教観念、因襲に至るまで全てが長い時間を経て、分かちがたく結びついた宗教文化的複合体となっており、帰依信仰は南インドでまず盛んになり、16世紀頃までにインド全体に拡大していきます。
・バラモンによる支配の進展
古代インドでは、土地は王のものという観念がありました。祭祀階級であるバラモンには、村落が施与され、土地に定着したバラモンは村落の租税分を獲得しながら、王のための祭式を行い、秩序維持にあたり、ヒンドゥー教を浸透させてゆきます。寺院は、グプタ時代から盛んに建立され、寄進された財産を管理、財産が巨大になるにつれバラモンの地位も高くなっていきます。
・ヒンドゥー教の特徴
教徒が共有しているものとしては、ヒンドゥー特有の神話・叙事詩群の共有であり、全てを一元的にとらえるウパシャッドの思想やヴィシュヌ派に顕著な化身の観念、つまり全てのものは単一の神の顕現であり、いかに異質なものも結局は単一・同一のものの異なった側面に過ぎないという観念を共有しており、これらが、ヒンドゥー教の底辺での統一性を醸し出し、あらゆる異質なものも、観念上、共存可能となり、他を排除することなくあらゆる多面性をその思想性の中に組み込んでいく事になります。
・ヒンドゥー世界における人生観
ヒンドゥー教は、ヴェーダー後期(2世紀)に、人生において追求すべき目的や義務、あるいは価値基準をプルシャ・マルタ(人生の目的)としてまとめています。プルシャマルタには、ダルマ(法)、マルタ(実利、財)、カーマ(性)、モークシャ(解脱)の4つがあり、これら4大目的は、「四姓制度と四住期の法」に組み込まれています。
※四姓制度はカーストの事。四住期は上記の4大目的を指し、人間の一生を時間的に、学生期、家住期、林住期、遊行期の四期に分けたもの。
学生期:師匠を定めて勉学
家住期:結婚し、カーマの楽しみ、マルタを得、祖霊祭を行い、子供を作る
林住期:子育てが終わり引退、林に住み祈りの生活、世俗を捨て宗教生活を送る
遊行期:一所を定めず遊行し、宗教的心理を追及する。世俗との縁を完全に切る
これら、四住期は人生の理想とされています。
この様に、イラン高原を追われた敗北遊牧民ではあるものの、私権性の高いアーリア人は、闘うことなく本源性を残存させる先住民族であったドラヴィタ人を支配する為に、彼らの思想体系まで取り込みながら、自らは祭祀階級バラモンとして各地に君臨するようになります。
特にドラヴィタ人の輪廻転生思想は、うまくヒンドゥー教に取り入れられ、その後、理想の人生観と共に、ヴァナル制とジャーティ制(職業共同体)がカースト制度として固定され、これが現代インドに共同体を残存させ、秩序安定の基盤の一つとなっているのです。
今回はここまで。
インドは、私権性の高いアーリア系の民族と本源性を維持するドラヴィタ系などの民族が共存し、その中心にあるヒンドゥー教が、インド国民の生き様に現在も大きな影響を与えている事がわかります。
次回は、インド特有のカースト制度がインド社会に与えた影響と、今後の注目ポイントについて考えたいと思います。
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