河豚(ユダヤ)の毒がまわった旧陸軍一派~玄洋社・杉山茂丸の末裔の方の回想録より
「アジア独立運動を裏で支えた玄洋社~玄洋社・杉山茂丸の末裔の方の回想録より」に続く
日露戦争後、二つの流れはどうなっていったでしょうか?
特筆すべきことが三つあります。
一つは、日露戦争の戦勝を契機としてマスコミに煽られた人々によって、冷静な判断による戦後処理ができなかったこと。そのことによって、植民地派の機運が高まります。
二つ目は、軍部の台頭と官僚化です。日露戦争は周到な準備の下にはじめられた戦争であり、いつどのような状況で戦争を終結させるかの準備がされていました。しかし、その裏舞台は明かされることなく、多くの人々が知るところとなっていません。このことが、のちの第二次世界大戦に戦争終結の準備なく泥沼の戦争に国民を巻き込む下地となりました。
三つめは、ユダヤを敵に回したことです。
●ユダヤとの関係
杉山家に伝わる話として、ユダヤとの密約に関する次のようなものがあります。
それは、日露戦争の戦争債を引き受ける代わりにユダヤとの間に交わされた約束。
「ユダヤの国を満州に作る手伝いを日本が行う」というものです。(一般には「河豚(ふぐ)計画」といわれています。)
ユダヤは、日本人と同じセム族に属すると言われています。そして、日本人と同じように、国際的には特異な位置にある民族です。
その二つの民族が協働することによって、日本には次の3つの利益があると考えられます。ひとつめは、ユダヤの国が満洲にできることによってロシアの南下を止めることができます。
二つ目は、ユダヤは世界の金融を抑えており、日本は戦費の心配をせずに日露戦争を戦うことができるようになったということです。
三つめは、世界的にみて特異な位置にある日本人とユダヤ人が協働歩調をとれる立場になれるということです。言い換えれば、お金を融資してもらいながら、国のないユダヤ人に恩を売ることができるということです。
しかしながら、満州にユダヤの国を作るという計画は、日本人によって反古にされます。
その後、これを反古にしたことによって日本を追い込む「オレンジ計画」が発動されたとも言われています。
杉原 千畝(ちうね)や松岡洋右がユダヤ人を救った行為は、ユダヤへの借りを返す行為とも考えられます。
最近、杉山家に伝わる上記と同様の話が、ユダヤの名門ヤコブ家のヤコブ・シフの子孫にも伝わっているという話をお聞きしました。
日露戦争後、だんだんと植民地派の勢力が強くなったと考えられますが、独立支援派の勢力がなくなったわけではありません。孫文やラス・ビハリ・ボースなどアジア各国の独立運動家を支援し続けています。独立支援派の人々は日本の歴史から抹殺されました。そして、日本は、特に独立支援派の人々は、侵略者としてのレッテルを張られています。
私の父・杉山龍丸はそんな中4万6千坪に及んだ杉山農園をすべて売却し、友好国インドの支援活動を続けました。 最近、日本の留学生が留学先で「侵略国日本」とののしられるという話を聞き心が痛みます。中国の辛亥革命を支援し命を落とした人々やアジアの国々の独立運動を支援した人々の歴史を取り戻し、真の日本の歴史を取り戻すことが、国際社会でも「真の日本理解者」を増やすものと考え、活動を始めています。
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玄洋社がとった「アジア独立支援策」は欧米に対抗する日本の独立を守る手段としては間違っていなかったと思うが、何故満州国建設に関してユダヤと手を組んだのか、理解に苦しむ。「アジア独立支援策」すらユダヤに乗せられたためという見方もできるだろう。「河豚(ふぐ)計画」の名が示すように、うまみはあるが毒もある河豚をさばき切れなかった背景には、日本国内が一枚岩になりきれていなかった点が大きいように思う。水戸藩と欧米のつながりはさらに追求が必要だ。
他方で「アジア植民地化推進派」はどうなったのだろうか。「アジア植民地化推進派」の系譜は岸や児玉らに継承されたものと思う。彼らは戦後、巣鴨プリズンで首根っこをつかまれて、その後、CIAのスパイとして動きながらも、面従腹背の「アジア植民地の夢よ再び」と再軍備を狙っているのだろう。
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