2018年07月24日

江戸時代は「試験」ではなく「人材重視」の評価制度に貫かれていた。

「受験脳」「暗記脳」という言葉があります。

近代社会は、試験制度、学歴制度による身分制度によって序列化されてきました。
その為、学校の授業も、親の期待も、子供たちの意識も「試験に受かる為の勉強」に傾倒します。この結果形成されたのが「受験脳」「暗記脳」です。
なるほど「受験脳」「暗記脳」は「答えが用意されている」試験には対応できますが、答えが無い未明課題や創造力、同化力、先読み力が必要とされる課題には全く対応できません。
しかし現実社会で直面する多くの問題の突破に求められる能力は、むしろ後者なのです。

試験による身分制度が特に濃厚なのが「官僚制度」です。
彼らは熾烈な受験戦争を勝ち抜いてきたエリート達ですが、その一方で現実の諸問題に対しては答えを出せないでいます。

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現在の学校制度、官僚制度は、明治以降に構築され今に至っています。
一方その前の江戸時代はどうだったのでしょうか。
江戸期の幕藩体制は、その時々の社会・経済状況に応じて柔軟に行政改革を繰り返しながら、世界的にも稀に見る長期安定政権と秩序化された社会を実現しました。
その背景には、統合階級の「民衆の生活を第一」とする儒教的精神、共同体を基盤とした村・町単位での自主的な相互扶助と社会保障の形成、庶民階級に至るまでの高い識字率と、理知的・合理的な精神がありました。

江戸時代を支えた官僚制度の精神や人材評価の思想はどのようなものだったのでしょうか。
現代と何が違うのでしょうか。

ブログ「縄文と古代文明を探求しよう!」さんの記事を紹介します。リンク

【科挙を戒めた江戸の学者達】
(前略)
■学問は振興しても科挙に慎重だった江戸の学者たち
~外国から多くの物や認識を取り入れた日本社会の基本的スタンス

 江戸時代はこうして下からの勉強熱が上まで行き渡り、官僚の世界でも学識を重視する風潮が高まっていきます。試験制度もいくつか施行されました。しかし当時の学者達は試験制度を上級官僚の登用とする科挙制度への傾斜は慎重になりました。
当時中国史を学んでおり科挙の弊害を見抜いていた儒学者達の反応は以下の通りです。

 (競争至上主義の弊害への懸念)
栗山は中国での先例からみて試験による学事奨励効果は大いに期待できる、としつつも、「しょせん対症の御処置」だと述べ、根本的な施策では無いことを示唆している。げんに、競争的な試験にすることの弊害は、すでに第一回の学問吟味の時点で、学問所関係者をとらえている。第一回学問吟味は、林大学頭らと幕府目付たちとの採点基準が違うことから、褒賞者名も発表できず、事実上「流れ」ている。

 (立身出世の為の学問への反発)
出世を願って学問に励むということ自体に反発がある。もともと孔子の教えの中に「立身出世」の文字はなく、「学べば稼ぎはその中にあり」「富貴はあとから付いてくる」という考えである。享保の改革時に各種の学事振興策を検討した室鳩巣も、「然れども、自分に立身を願い申し書く、是れ以って士の風儀を失い申す事に御座候」「我と年労を自ら陳べ候て官位を乞い候事、第一士の廉節を傷ない申す事に御座候」と述べて立身を願う心根と廉節の気持ちが両立しないとしている。

 ■科挙に代わる評価システムの構築
江戸時代は学問を奨励しながらも評価システムにおいては人物重視を貫いています。
>8代将軍徳川吉宗のもとでいわゆる「享保の改革」のブレーンとなった儒者・荻生徂徠なども科挙の試験よりも、「有徳」の人に着目して行う上司による平常の人物・行動の観察のほうが、より合目的的な選考ができると述べている。そのような観察による人物評価のもつ選抜における効果は、柴野栗山も支持した。栗山が、上司(組くみがしら頭など)は「常に其の組子の人柄をも呑み込み<後略>」などと、部下の観察をよく行うべきことを訴えていた。このほかにも、試験の競争性や射幸性を批判する声は大きく、たとえ盛んになっていたのだとしても、学問吟味方式が識者の学理的な支持を得ていたとは思えないのである。
江戸時代は諸外国に対して鎖国したと言われていますが、中国を初め西欧にいたるまで多くの物、学問、文化を積極的に取り入れた時代でもありました。しかし古来の日本がそうであるようにそのまま取り入れるのではなく、日本風に改編、解釈、時に拒否し、自在に取り入れる内容を選択していました。

その中で中国であきらかに失敗していた科挙は明確に拒否しており、現在の学者にない先見性を江戸の学者達は備えていたことが伺えます。
また学問に向かった大衆の意識も決して個人の登用ではなく藩やお家の利益を守り、繁栄させる為に向かったものでした。上からも下からも科挙が施行させる足場はなかったものと思われます。

以上、引用終わり

江戸時代の学者や為政者たちは人材重視を貫き、隣国「清」が取り入れていた科挙制度、すなわち試験制度による官僚制や国家統合に全く可能性を見出していなかった事が分かります。
果たして清国は欧米列強による侵略と近代技術に対応できず、日本とは対照的に崩壊の一途をたどります。

 しかし明治の為政者は、試験制度による国家統合を推進します。
その背景には、富国強兵を実現する為の優秀な人材を促成栽培するという喫緊の課題があった事は事実です。
しかし国力と社会秩序が一定整うと、学ぶ意欲は「受験脳」へと変質し、後には試験制度の弊害しか残りませんでした。
現代に至る「答えが出せない」学者や官僚の源泉はここにあります。

 明治新政府は前時代の体制を否定するところから始まりますが、江戸時代の諸制度、そこに宿る社会統合や人材評価の精神などに学ぶべきものが多い事が分かります。
今一度、こうした先人たちの叡智と志に目を向ける事が必要なのでは無いでしょうか。

List    投稿者 nihon | 2018-07-24 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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