2018年10月30日
世界はドル崩壊→民族収束に向けて軸足を切っている
ここ最近のドルの乱高下は気がかりだが、これはグローバリズム崩壊が秒読み段階にあることを示している。それを後押しするかのように、世界では民族自決主義の動きが活発化してきている。
末期国債経済下の日本 ~お上の作り出す制度的檻、不整合感だらけ~
国債発行の限界を迎えたか? ・・・・最後のバブル崩壊が始まる
【世界情勢】 末期国債経済の下、新旧勢力の動き
・・・の続きです。
先回、世界情勢について概観、新旧勢力の死闘、国家紙幣・ベーシックインカムなどの構想が動いている。
では日本はどう動いている?
下記に少し調べてみましたが、この2つばかりが目に付く。
①安倍不正選挙政権によるやりたい放題
②国家官僚による国民管理と収奪 →国民の貧乏化・格差拡大
突破口は外人受け入れだと? (さらに…)
「贈与」との関わりが示す、日本人本来の精神性、共同体性
「贈与」よる新しい社会・経済システムや関係構築の可能性。本ブログでも追求しています。
そもそも「贈与」とは何でしょうか。そして日本人はどのようにとらえて来たのでしょうか。
「広辞苑」によれば
ぞう‐よ【贈与】
①金銭・物品などをおくり与えること。
②民法上、自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方がこれを受諾することによって成立する契約。
とあります。
要は「無償で与える」事ですが、
古来日本人がそこに抱いていた思念は単なる物品や金銭のやり取りではなく、「贈与」を通して、自然に対する感謝の念、共同体の一体感、他の集団との関係を築き深めるといった気持ちを持っていました。
古代、大陸から律令制度や税制度が入ってきた時ですら、日本人はこれを国家からの「強制」「収奪」と捉えず、納める側も受け取る側もこの「贈与」の考え方でもって諸制度を受け入れ、民族に適応させて行きました。
【世界情勢】 末期国債経済の下、新旧勢力の動き
>国債発行を始めた1970年頃以来、すべてのツケを国債(借金)でごまかしてきた。しかしついにその限界が見えてきたようだ。当局の制御も次第に綱渡りの様相を呈し始めている。
国債発行の限界を迎えたか? ・・・・最後のバブル崩壊が始まる
のつづきです。
この状況下での新旧勢力主要プレイヤーの動き。
・次の時代を構想しているのは欧州奥の院の連中(サヴォイ家が中核)
金貸しを放逐し、国債経済に代わる、国家紙幣経済とベーシックインカムを構想。
・次の時代の主導権を握ろうとしているロシア・中国
欧州奥の院に連動する形で、米ドルに代わる金本位制の国家紙幣経済を準備
金貸しと米覇権体制にどうトドメを刺すのか?
・金貸し本丸のアメリカ・EUでの新旧勢力の生存を賭けた闘い。 (さらに…)
贈与(システム)の歴史と、脱貧困の共認時代における可能性
市場経済が行き詰まり、贈与経済の可能性に注目が集まっている。
●歴史上、「贈与(システム)」はどのように始ったか?
それは、弓矢を発明して人口が増加した時代に、集団間の緊張圧力を緩和するために始った。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=135924より引用します。
① 「栽培」「牧畜」という生産様式の獲得に伴い、食糧事情が比較的安定した集団は更なる人口増加⇒集団規模を肥大させていくことになる。
② 集団規模拡大に伴い、他部族集団との接触頻度が増加。そこに、人類集団間の緊張圧力が働き始める。生活様式も違う、言語も通じない他部族集団との接触に、どのように対応していったのか?
③ 戦争勃発?⇒人類は約499万年間の「極限時代」を「自我(自己中)」を徹底的に封鎖した『共同体集団』として生き抜いてきた(集団内の共認充足が全て)。そのような歴史的背景を背負ってきている単位集団が、同類同士の緊張圧力が働き始めると同時に、戦争に突入していったとは考えづらい。
④ 集団同士の「争い」を避ける方向=友好関係を結んでいったのではないか。その形態の一つに『贈与』がある。『贈与』とは、自らの集団にとってだけではなく相手集団にとっても最も価値の高いであろう物を贈る行為(黒曜石・翡翠・琥珀)。そのような物を隣接集団へ贈ることによって、集団間に働く緊張圧力を緩和していた。
⑤ 「共同体集団」間での『戦争勃発』は、ありえない。それでは、人類が戦争を起こす引き金になったのは一体何なのか?戦争を始めた最初の集団は「遊牧集団」である。「牧畜」から派生した「遊牧」という生産様式は、これまでの人類の生活様式と一体何が異なっているのだろうか。それが「戦争が勃発した原因」の解明ポイントとなる。
●「贈与」の本源性(「贈与」は交換や市場とは別物である)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=151741 より引用します。
古代の、争いを避けるために行われたものが「贈与」であるという考え方は、私には新鮮でした。何の見返りも要求せず、自集団と相手集団との緊張関係を緩和する方策とされていたことは、子供の頃の遠い記憶の中に、それに少し似たものを思い起こさせた。
就学以前における『世界』は、せいぜい家の周囲のご近所さんや、近くの友人の家がある、歩いて行ける範囲に限られる。毎日のように、おかずをたくさん作った時や、親戚などから物を送ってきたときなどは、近所におすそ分け、こういう光景をよく見ました。
貰ったときは、「ありがとう」、あげたときは、「どういたしまして」という会話があふれていたように記憶しています。昭和30年代、40年代の中頃までの記憶です。そのころは近所が大きな一体感で結ばれていたように思います。勝手に隣の家に入っても何もいわれないどころか、お菓子まで貰ったり、爺さんの昔話を聞いたり、いわば楽しい、平和な、安心感のある状況でした。
見返り(物としての)を期待しない、いわば相手との友好関係を確かなものにする、ということだったんだ、ということが、心の中で繋がったようでした。自分の中で遠い記憶が思い出されたことは、本来の人としての行いが時を経ても、「同じ」なんだ、という驚きを隠せません。やはり人間は周りと共認関係にあるときに、心の平穏を感じる生き物であることを再認識できたように思います。
●脱貧困の時代における贈与(システム)の可能性
http://demosbc300812.blog61.fc2.com/blog-entry-98.html より引用です。
「市場経済」と異なり、贈与は「無償」が基本となる。無償の「贈与経済」は、市場経済の欠陥を補うシステムでもある。
農業人口がどんどん減少する農業の問題も、「交換経済」だと解決ができない。農業が生み出す食料自給がないと、人間は生きていけない。農業生産活動が持続可能になる経済システムを創ることが必要であるため、都市生活者が、積極的に自分の富を贈与し、サポートしないといけない。無償の「贈与経済」だけが、富の再分配機能を発揮し、この矛盾を乗り越える可能性を持っている。
東日本大震災後、被災地支援の新しい形が、「贈与経済」の一方法として注目されている。自分が共感し支援する団体(特定非営利法人、公益法人、学校法人など)のために寄付を集めるファンドレイジングが、広がりを見せている。この方法は、既にビジネスになっており、「贈与経済」を進展させている。少額の贈与(寄付)が、人間同士の交流を促進し、贈与された者が、また第三者に再贈与するため、さらに「贈与経済」が広がる。こうした仕組みは、ネット社会という地縁血縁に縛られていないソーシャルセクターに負うところが大きい。
ネット空間は、オープンソース、フリーソフトウエア、ウィキペディアなど、「贈与経済」的なソフトウエアやコンテンツで支えられている。無償で発信する情報提供に対し、その見返りは、情報である。情報を出せば出すほど、社会全体が無償の情報贈与で埋め尽くされ、ソーシャルネットワークの構築がどんどん進んでいく。
日本は、人口減少、高齢化、エネルギー問題、低い食料自給率、経済格差など、様々な課題が山積しているが、行政主導の画一的な政策では、複雑に絡み合う諸課題を解決することは難しい。
人々の心をつないで、地域を元気する独創的なソーシャルデザインが必要である。「贈与経済」には、社会に幸せなソーシャルデザインの力を引き出す可能性がある。包容力のある社会を創るには、「贈与経済」の進展が欠かせないのだ。
江戸幕政の再考。現代の閉塞した政治状況と比べると、その優れた点が浮き彫りになる。
江戸時代。
260年に及ぶ太平の世を人々は謳歌し、様々な大衆文化が生まれました。
大規模な対外戦争や内乱も無く、また幕府は社会状況に応じて、それに適応する「改革」を随時行いながら柔軟に対応して行きました。
同時期のヨーロッパ諸国が侵略戦争や権力争いに明け暮れていた時代、日本は世界でも稀に見る長期の安定と活力のある社会を実現していました。
しかし現代の日本はどうでしょうか。
まず世界に目を向けると、世界各地で軍事紛争が絶えず、経済・金融競争が激化する中で国際金融資本による搾取と貧困が拡大し、貧富栄衰の明暗が顕著になっています。
そして日本もこの金貸し支配に巻き込まれ搾取の対象となり、また政治家は権力闘争に明け暮れ、肥大した官僚機構は現実社会の問題に対し答えを出せません。
自由競争や個人主義が行き過ぎた結果、企業も学校も私権争いや学歴偏重の中で疲弊し活力源を見出せないでいます。
国債発行の限界を迎えたか? ・・・・最後のバブル崩壊が始まる
現在の先進国経済は国債経済。国債というカンフル剤(借金)を使って、経済を回している。日本ではアベノミクスと称して、異次元緩和(国債発行→紙幣増刷)を行い、日本(殆ど東京一極)バブルという好景気を演出。アメリカでも国債発行による増刷で、株価を吊り上げ好景気を演出してきた。
しかし、限界はいつか訪れる。今年から日米で国債金利が不気味に上昇し始めている。 (さらに…)
南相馬市立総合病院の事実~原発事故前より成人甲状腺がんは29倍、白血病は10倍に。次の世代のために我々が成すべき事は何か~
下の表は、南相馬市立総合病院の、がん患者数の推移だ。
より詳細の情報は、こちらをご覧ください。
風評被害を拡大したいのではない。あくまで、事実として情報として受け取っていただきたい。
3.11から7年が経過した福島。今、起こっていることを簡単に紹介したい。
アメリカ対日戦略と日本の支配層(その1)
何をしでかすか分からない日本の支配層・・・とりわけ3.11・不正選挙以降
の続きです。
当面日本の支配層やエリートの頭は変わらず、アメリカ追従は続くものと考えられる。
アメリカの対日戦略は今後どうなるのか?それに対して、日本の支配層はどう動くのか?そのためにこれまでの米対日戦略の変遷、日本の支配層とエリートの動きについて追ってみたい。
なぜ、日本の支配層はこれだけアメリカにべったり、属国根性丸出しなのか?戦争に負けたからか?しかし、普通負けたら、見返しのチャンスを伺うのではないか?・・・そんな話は聞いたこともない。 (さらに…)
自然や精霊と共生し、仲間と共に生きた縄文時代。それは「文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間」だった。
先月まで上野の国立博物館で開催されていた 「縄文展」 。これが大人気だったそうです。
考古学の愛好家に留まらず来場者は老若男女幅広く、特に若い女性の来場が予想以上に多かったとの事。
国宝土偶6点をはじめ、質・量共に圧倒的な高密度の内容であった事もその人気の一つだと思いますが、例えばこれがバブル景気の頃とかであれば、ちょっと考えられなかった現象では無いでしょうか。
バブル景気とその崩壊、金融支配とその破綻に見る現代社会の虚構。大量生産、大量消費社会の終焉と、後に残された環境破壊、精神破壊、肉体破壊の現実。
平成は、戦後日本の社会構造・経済構造の爛熟と崩壊を目の当りにした時代でした。
そして今人々は、旧い観念や社会制度に変わる新たな活力源、充足基盤を自ら模索、追求する事を始めています。
現代の縄文への関心の高さも、自らのルーツを探る事で、
日本人本来の精神性や生き方はどのような物だったのか、そこに立ち戻って何かを見つけようという探求意欲の表れでは無いでしょうか。
そこで、「何かおかしいよね、今の日本」 (リンク) さんの記事を抜粋、紹介します。
欧米や中国のそれとは全く異なる縄文人の自然観、生死感、集団や仲間への意識。
これは私達の精神の根底に今尚息づいており、かつ近代発・私権発の制度や観念が限界を迎えた今、それに代わる新たな活力源や可能性を示す事が出来るように感じます。