中国どうなる!?14 中国共産党の支配力に迫る!~
ボアオ会議開催の港町
前回記事
『中国どうなる!?13 「中国株式会社」~国営金貸しと化した中国共産党~』
では、共産党自らが金貸しとなり市場を拡大させ、欧米の金貸しに負けない資力を付けてきた構造を見てきました。
今回記事では、中国共産党の支配力とその力の基盤について、追求していきます。
~以下内容は主に『中国共産党』リチャード・マグレガー著からの要約・引用です。~
1.中国と世界金貸しの関係について
2008年、西側諸国で金融危機が始まって一年後の夏のことである。金融関連の助言をする
ため中国に招かれた外国人たちは、北京中心部にある故宮に隣接する、塀に固まれた中国最高指導部へ案内された。
王岐山(金融担当の副総理)は開口一番、金融システムについて中国があなた方から学ぶものはほとんどない、と明言した。
(補足:『あなた方にはあなた方の、私たちには私たちのやり方がある。そして、私たちのやり方が正しい!」と彼は言った』)
2001年、中国は初めて、スイスアルプスで聞かれるダボス会議に倣った経済会議を開いた。以降、世界中の金融関係者は、ダボス行きと同じ熱心さでこの会議に参加するようになった。
この会議は、開催地である風光明娼な港湾都市にちなんで、ボアオ会議(ボアオ・アジア・フォーラム)と名づけられた。
(補足:世界中の金融関係者は、中国人口約13億人という巨大な市場規模に着目していたのだと思われる。)
ボアオ会議がスタートしてから数年のあいだ、中国と参加各国は互いにラブコールを送り合ってきた。北京政府は破綻した固有銀行を再建するために西側のノウハウを必要としていた。海外の銀行はその見返りに中国市場にアクセスしようともくろんでいた。両者の取引が成立し、2005年後半から2006年前半にかけて、外国の金融機関はまず手始めに、中国の固有銀行に対して数百億ドル規模の投資を立て続けに行った。この投資には、遅れた中国金融機関に対し、リスクマネジメントや金融技術革新などの知識を授けるという約束も付いていた。
欧米の銀行は、まるで社会人教育を授けるような態度で中国人に対応したのである。だからこそ、その後の展開がもたらした衝撃はより大きいものになった。
中国固有銀行との大口取引が成立して2年も経たないうちに、国際金融界の西ゴート族は、その鼻をへし折られて中国を再訪した。彼らは、深刻さを増す金融危機に打ちのめされ、恥を忍んで中国人に頭を下げ、損失補填のために現金を借りたい、あるいは買ったばかりの株を買い取ってもらって本国へ金を持ち帰りたい、と申し出たのだった。
ボアオや北京で自分たちの金融商品を並べ立てて売り込んでいた銀行家や金融コンサルタントが、おずおずとやって来てこっそりと帰っていった。2009年のボアオ会議では、中国上層部の誰もが、過去の会議で発信してきた宥和的なメッセージを投げ捨て、一人ずつ順にこの逆転現象をアピールしていった。
まずは、金融規制当局の幹部が、最近聞かれた各国首脳による会合を「リップサービス」だと罵倒した。別の幹部は、金融危機のさいに国際格付け機関が果たした役割を厳しく非難した。また、引退した元政治局委員は、アメリカは中国に債権を買ってほしいのなら、「アジア諸国の利益を守る」ことを肝に銘じる必要がある、と発言して不吉な脅しをかけた。
※2008年のリーマンショック以降、世界中の金貸しは中国に頭が上がらない状況になっていることがわかる。それでも中国人口約13億人の市場規模に着目し、ボアオ会議に参加して中国市場をコントロールしようと狙っている実態が見えてくる。
2.中国国家における中国共産党のポジション
中国は過去30年間改革を続けてきたが、党はその間ずっと国家の手綱を握り、生き残りのための三つの柱-人事管理・宣伝活動・人民解放軍-を完全に支配し続けてきたのだ。
1949年の統一中国誕生後、唯一の合法政府として政権を握って以来、中国共産党とその指
導部は、あらゆるレベルの国家機関の要職に党員を配置してきた。
軍と公安部門は地の配をバックアップする究極の後ろ盾なのだ。
大都市から小さな村まで、各レベルの行政区に置かれた警察の内部には「内部公安部門」がある。
中国は、とっくの昔に共産主義の中央指令型経済を捨て、党の偉大な発明である社会主義市場経済という現実路線へ移行した。だが、ソビエト・ロシア研究の大家ロパート・サーピスが作成したチェックリストに照らしてみると、北京政府は、20世紀の共産主義国家の特徴であった性質を、今も驚くほど多く保持している。
他の共産主義国家がその全盛期に行ったように、中国共産党はその政治的ライバルを根絶やしにし、あるいは骨抜きにしてきた。司法とメディアの独立性を奪ぃ、宗教と市民社会を規制し、非共産主義政体を中傷し、中央に権力を集中させ、秘密警察を網の目のように張りめぐらせ、反体制派を強制労働収容所に送り込んできた。中国共産党指導部はその活動の歴史のほとんどにおいて、現在ではそれほど露骨ではないにしても、昔ながらの共産主義者と同じことをしてきたのだ。共産主義の「教義の無謬性」を主張し、「自分たちは人間に関する完壁な科学者である」と公言してきた。
中国の台頭はまさに巨大潮流であり、世界経済を分野ごとごっそり作り変えるほどの力を持つ現象である。そして、その国が共産党によって統治されていることが、西側世界にさらに衝撃を与えている。
わずか一世代の間に党のエリート層は、陰気な人民服を着た残忍なイデオロギー集団から
スーツを着た、企業を支援する金持ち階級へと変身した。同じ共産主義が崩壊していった時期に、なぜ中国共産党はそうした変容ができたのか?
●徹底した秘密主義
中国に50余りある国有大企業を経営するトップのデスクの上には、パソコンや家族写真など、一般企業のCEOと変わらない備品に加えて、ひときわ目立つ真っ赤な電話機がある。
これが鳴ると、重役もその部下も受話器に飛びつく。それは、 「赤い機械」と呼ばれている。単に「電話機」と呼ぶだけではその重みは十分に表現しないからだろう。ある国有銀行の重役は「 『赤い機械』が鳴ったら、絶対に出なければなりません」と言っていた。
「赤い機械」は普通の電話とは違う。電話番号は4桁しかなく、同じ暗号システムを用いる4桁の番号を持つ電話としかつながらない。「赤い機械」を持つということは、国を統治する結束した集団の一員として認められたことを意味する。世界人口の約5分の1を占める中国人を支配する、わずか300人(ほとんどが男性)からなる小数集団だ。
中国共産党がトップレベルの決定事項を外部に漏らすことは決してない。
表向きは労働者階級の救世主というイメージを打ち出していたレーニンだったが、考案したそのシステムは、残忍なまでの徹底したエリート主義そのものだった。
毛沢東はソ連の制度を中国に導入したものの、党の仕組みについては、官僚的で革命的
とは言えないと考えていたようだ。
やがて、党が人民を統制するのではなく、人民が党を監視すべきだと考えるようになる。
この理念をもとに1966年から10年にわたって続いたのが、文化大革命という常軌を逸した運動だったのだ。
鄧小平は毛沢東の破壊的な思想を否定し、権力を持った一部のエリートが大衆を正しく
指導するというレーニン主義の基本に党組織を引き戻した。
中央政治局の下には、巨大な党組織がある。その大部分は公にされることのない秘密の
組織だ。これらの組織が軍を含むすべての公的機関を支配し、さらに中央政府以下の
5層からなる行政区分で働く役人の生活をも支配しているのである。
中国にも表面上は、行政・立法・司法という三権分立に似た制度がある。しかし、
その舞台裏は党がしっかりと固めている。
舞台裏を牛耳る監督や演出家、脚本家にあたる人物が、政府の表舞台でも主役を演じているからだ。
共産党や革命党というのは歴史的に、地下組織に潜み、政権打倒を目指して暴力的な戦い繰り広げるなかで生まれ、育ってきた経緯がある。
※中国共産党組織の大きな特徴として、「徹底した秘密主義」があげられる。それは『赤い機械』に象徴され、『トップレベルの決定事項を
外部に漏らすことは決してない』ということが中国共産党の結束力を生んでいると思われます。
3.中国共産党の支配力
党はつねにメディアに圧力をかけて、権力をほしいままにしている。
指導部は中国の法律を国際基準に合わせるようにする意思を公に表明し、法律家の助言も
どんどん取り入れるようになった。
法制度が政治的序列の中でどの位置を占めるのか、党の声明で何度も繰り返している。
最高人民法院は2009年の全国人民代表大会で、裁判官はまず党に忠誠を誓い、次は政府に、
その次に国民に、そして最後に法律に従うべきであると伝えている。
選挙で選ばれた議会や独立した司法制度といった西洋の観念によって、共産党の一党支配が侵害されないよう、党指導部は常に厳重な警戒線を張っている。
党が払いのけられないほどの大きな法律の壁など、この国には存在しない。保安当局は憲法前文の「共産党の指導のもと」という一文さえあれば、どんな人物でも逮捕できる。
毛沢東時代の全体主義的恐怖政治に代わって、党は国民に対し二者択一の選択肢を突きつけた。党のルールに従ってプレーすれば、つまり政治に関わらないならば、家族ともども嫌な思いをせずに人生を前向きに生きていけるし、ひいては金持ちになれるかもしれない。ただしこの選択には制約がある。その制約については、党に代わる存在などあり得ないと主張するプロパガンダによって絶えず強調されている。
そこに込められているのは、幾度も中国を飲み込んだ、政治の不安定がもたらした殺裁と貧困に悩まされた過去から国を救い、国を守っているのは、中国共産党に他ならないというメッセージだ。これに沿って考え直してみると、二者択一の選択肢は「金持ちになれ、さもないと痛い目にあうぞ!」と読み取ることができる。
このような制約があるとはいえ、70年代後半以降、個々の中国人が豊かになる余地は十分に与えられた。現在、中国のごく普通の一般市民は、一世代前の親たちとはずいぶん異なる日常生活を送っている。
以前は党の許可を必要としたこと住む所、就職先、進学先、給与、かかりつけの医者、結婚相手と結婚式の日取り、子供を作ることは、買い物をする店、買い物をする品物、旅行の行き先と日時と同伴者都市部の市民ならこういったことが少しずつ個人の裁量で行えるようになった。必要なのは現金のみである。地方の住民の移動も長らく制限されていたが、
徐々に規制は緩んできている。
中国共産党の支配力は「マスコミと法律を完全に支配する」ことによって、その基盤が構築されている。共産党に不利な情報は報道できず、
共産党が払いのけられない法律の壁など存在しないということである。組織の中枢は全て共産党が支配しているという中国の国家体制が見えてきます。
次回は、「中国共産党の人事」について扱います。乞うご期待下さい!!
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