2009年01月21日

『国際金融機関はどうなる?』10.国際金融機関が設立される前夜 金兌換紙幣(金本位制)の発生から、歪な「金・ドル体制」へ(2/2)

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(画像は、「金貸しは、国家を相手に金を貸す」より引用させて頂きました)
前回の『国際金融機関が設立される前夜: 金兌換紙幣(金本位制)の発生から、歪な「金・ドル体制」へ(1/2)』に引き続き、近代以降の「お金」と「金融システム」の歴史の流れを、今回は、③第二次大戦後の国際金融機関(IMF、世銀)が設立されたブレトンウッズ体制、④ニクソンショックまで見ていきます。
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4)第二次大戦後~
◆7:アメリカの圧倒的金保有を基盤にした「ブレトンウッズ体制(=ドル・金本位体制)」
第二次世界大戦後には、それまで世界の中心であったイギリスおよびヨーロッパは二度の大戦で決定的に破壊され、金備蓄もほとんど無くなっていた。
それに対しアメリカは、二度の大戦を通じて経済大国としても軍事大国としても肥大し世界で唯一の大国になり、世界一の貿易大国としてのし上っていたためアメリカに大量の金が流れ込み、大戦後の1949年にはアメリカの金保有量が世界に存在する金の75%以上になっていた。
そして、第二次大戦後の国際通貨体制は、ドルを国際決済通貨と定め、世界(西側)の主要通貨はすべてドルに一定の固定相場でペッグされ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金につながる『ブレトンウッズ体制(ドル・金体制)』が確立する。
これにより、イギリス・ポンドからアメリカ・ドルへと基軸通貨が完全に移行することとなる。
これは、これまでの『古典的金本位制』とも、大恐慌時にルーズベルトが行った『ドルと金の兌換の保証を与えるだけの金本位制』とも以下の点で異なるもので大きく変貌していた。
①世界の75%を保有するアメリカの金は、ドルのみ1オンス=35ドルで兌換可能とした(公的金レート)
②かつ、各国の通貨当局がアメリカ通貨当局に持っていけばドルと金を交換できる。
③基軸通貨としてのドルは、中央銀行間の間では固定リンクを維持する(ドルペッグ)。
つまり、中央銀行を主体とする通貨当局がドルと金を交換できる権限をもち、このことはその国の金融を差配する権限が通貨当局に集中することを意味する。
また、貿易決済がロンドンでの金保有高による決済から各国のドル保有高による決済になったことも加わり、外国の外貨準備は唯一金(ゴールド)と交換できるドルでもつようになり、ドルの価値が一気に高まり(ドル高)、アメリカの権限が世界金融のなかで異常に高まった。
そしてこの状況で、ドルとのペッグを維持できなくなった国に緊急融資する機関として【IMF(国際通貨基金)】が作られ、IMFが支援した場合は、被支援国の中央銀行を法的に独立させ(完全に民間にする)、国家の管理から離れた中央銀行をIMFの支配下に置いた
つまり、IMFが被支援国の中央銀行を自在に操り、各国政府が通貨政策に関与できなくした。
そして、IMFはアメリカの一国拒否権で支配した。
そして、市場国家アメリカを支配している金貸しが、金融を通じて世界支配を行う体制を確立させた。
(※参照)
後進国のドル固定相場制は必ず崩壊(通貨危機)に至る。
『ドル固定相場制→通貨危機→IMFによる金融支配の周到なシナリオ』
『世界銀行は借金地獄への水先案内人』
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5)~ニクソンショック~
◆8:ドル-金本位制 →変動相場制へ
一方、ドル基軸通貨以降、金本位制の評価指標である金の価格は、アメリカと各国に通貨当局のドル-金固定レート=公定金レートと、(金鉱山から流れ工業用などに消費される)ロンドン自由金市場との「金の二重価格」になっていた。
ドルの発行量がアメリカの金保有量に見合う範囲であれば、金の価値は「公的レート>自由市場レート」となり安定。
しかし、アメリカのドル増刷が金保有量を超えると、自由市場では金の量より兌換紙幣が増え金の価値が吊り上り「公的レート<自由市場レート」となる。
その状態になると、自国通貨を固定レートでドルに換え、ドルで安い公定金レートで金を買い、高いロンドン市場で金を売って自国通貨に再度戻すことで儲けることが出来るようになる危険をアメリカは孕むことになる。
そして、ドルはアメリカの金保有量に見合う額を大きく超えて増刷され続け、ロンドンの金相場(自由市場)は、1960年代には1オンス40ドルを超えて値上がりした。
各国政府は、手持ちのドルを米政府に持ち込んで金に替え、それをロンドンで売れば利益が出る状態になった。アメリカは日独などにドルを金に替えないようクギを差したが、1965年からはベトナム戦争の出費大幅増などもあり、米政府のドル増刷に拍車がかかった。
経常赤字は増加し、アメリカからの金の流出も止まらず、ついに1971年には、米政府はドル発行総額の22%分しか金を保有していない状態になり、ニクソン大統領が金とドルとの交換停止を宣言して「ニクソンショック」を引き起こし、ブレトンウッズ体制を終焉させた。
アメリカはニクソンショック後、ブレトンウッズ体制の組み直し(スミソニアン体制)が図られたが失敗し、世界の通貨は72年から変動相場制に入っていった。
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List    投稿者 kirin | 2009-01-21 | Posted in 08.近現代史と金貸し3 Comments » 

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コメント3件

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