2008年06月02日

【仮説】不換紙幣に転換するために、二度の世界大戦が起きたのでは?①

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不換紙幣に転換した理由として、二度の世界大戦(及びその間の世界大不況)時に戦費調達や不況対策のために不換紙幣に転換したというのが経済学の常識である。あるいは、世界恐慌後の為替切り下げ競争や保護貿易(ブロック経済)が第二次世界大戦の一因となったので、その反省から各国が協調して戦後のドル金為替本位制(ブレトン・ウッズ体制)を構築した、という解説がなされることが多い。
しかし、その常識は本当に事実なのか? 事実は逆で、不換紙幣にするために、二度の世界大戦や世界大不況が引き起こされたのでないだろうか?
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そんなことを考え始めたのは、『いまなぜ金復活なのか~やがてドルも円も紙屑になる』(フェルディナント・フィリップス著 徳間書店刊)の次の一文を読んだことが契機である。(著者のフェルディナント・フィリップスはロスチャイルドの元金庫番という触れこみで、まやかしと欺瞞に満ちたアメリカによる「ドル支配」の実態を暴くという趣旨の本だ)。

●FRBの誕生と同時に古典的金本位制が終焉した
古典的金本位制にさした最初の暗い影は、1913年にアメリカ議会を猛スピードで通過して成立した連邦準備法である。時の合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの署名によって、アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会FRBが誕生したのだった。そのすぐ後の1914年に第一次世界大戦が始まる。戦費を調達するには、赤字国債に頼らねばならず、それだけの国債を吸収するには、金の準備高と関係なく紙幣を増刷できるようにしておかなくてはならなかったからである。

●第一次大戦後の通貨と景気
仮に金本位制が続いていれば、戦争は数ヵ月程度しか続かず、「第一次世界大戦」などにはならなかったであろう。だが現実には戦争は4年以上続き、世界の主要国のほとんどが破壊され、後には何百万もの死体の山が残されたのだった。
1918年、ついに戦争が終結する。この時、各国政府にとって金本位制への復帰は自明の理であった。この場合、金本位制の本質に忠実な復帰は、戦争で大きく弱体化した国内経済を反映した、切り下げられた平価での復帰であっただろう。だがイギリスは、ポンドの切り下げは国の威信を損ねると考え、旧平価での復帰に固執して譲らなかった。けっきょく、1922年にイタリアのジェノアで開催された国際経済会議の場で、金為替本位制という妥協的な制度の導入が決定された。
金為替本位制は、ドルとポンドが金と同様に準備通貨としての価値を持つとする制度だが、これは金本位制の危険な代替物でしかなかった。すでに見たように、ポンドは旧平価を維持するだけの購買力を失っており、そのままでは準備通貨でいられるはずもなかった。第一次大戦の最大の利得者であるアメリカにしても、1913年に設立されたFRBが当初から国債を引き受けており、第一次世界大戦後の1921年までその政策を続けていたことから、いつまでもドルの価値を維持できるとは限らなかった。
さらに問題だったのは、金為替本位制のもとでは、通貨の裏付が二重に計算されるということだった。金を裏付としてドルなりポンドなりが発行され、そのドルやポンドを犠牲を裏付として、その他の国々が通貨を発行するのだから、金が二倍に増えたも同然だったのである。
これに、ドルの発行元たるアメリカ、ポンドの発行元たるイギリスの両「基軸通貨」国は、他の国々が自国の通貨に信頼を寄せるかぎり、国際収支赤字を好きなだけ垂れ流すことができるという潜在的な問題を加えると、金為替本位制の失敗は、当初から運命づけられていたと言えよう。
とはいえ、最初のうち金為替本位制はうまく機能しているように見えた。だがこれは、制度そのものというよりも、アメリカの金融政策のおかげだった。アメリカではFRBが1921年にいきなりマネーサプライを減少させようとしたのだが、大戦終了後の戦時特需も消滅も合わさって、経済は急ブレーキをかけたようになってしまう。するとFRBは慌てて、今度はマネーサプライを増加させようと、金融緩和に転じたのだ。この政策は1920年代を通じて続けられた。こうして、ただでさえ金融政策が緩めだったことに加えて、金為替本位制のもとで通貨の裏付が二重に計算されたことで、世界的に信用が急速に膨張していった。その結果が、「ローリング・トゥエンティーズ」と称される1920年代の大好況だった。
やがて膨張した資金は不動産市場、ついで株式市場にふんだんに流れ込み、とんでもないバブルを生み出した。その行き着く先が1925年のフロリダ不動産危機であり、1929年の株価大暴落であり、1930年代の大不況だった。大不況のさなか、1931年にはイギリスがポンドの金兌換を停止した。

●ニューディールと金本位制離脱
この時、ルーズベルトが真に健全な通貨制度を確立していたならば、第二次世界大戦は間違いなく防ぐことができたであろう。そして20世紀の経済史は、よほど異なった形をとっていたはずである。大不況は、連邦準備制度を清算し、税率をゼロまで引き下げ、真に健全な通貨制度を確立するために神が与えた絶好のチャンスだった。ところが悲しいことに大不況をもたらしたFRBの愚行はすべて忘れ去られ、ルーズベルトは大不況を克服するためという美名のもと、壮大な社会実験に乗り出すことになる。その中で、ケインズの影響を受けてか受けずしてか、ルーズベルトは健全な通貨体制を立て直すのとは正反対の道を選んでしまったのだ。「ニューディール」、つまり契約の結びなおし、もしくはトランプの札の配りなおしと称される一連のルーズベルト改革のうちには、通貨改革も含まれていた。1933年の金本位制破棄が、それである。
だが、これだけ過激な「改革」を実施したにもかかわらず、ニューディールは無惨な失敗だったと言わねばなるまい。失業率はニューディール政策を開始した後の1933年に25%に達し、1937年には15%まで下落するものの、1937年から1938年にかけて株価が再度急落するなど経済がさらに悪化すると、またしても21%まで上昇してしまう。アメリカがこのような経済危機から脱することができたのは、ひとえに第二次世界大戦のおかげだった。
その後、第二次世界大戦の勃発とともに、金は他の金属類同様に、戦略物資に指定された。これでアメリカの個人も企業も、海外との金取引を禁じられることになった。ところが諸外国がアメリカ製の兵器を購入するさいの決済通貨は金地金とされたために、金はアメリカにどんどん流入し、財務省の金準備も増大を続けた。

この頁続く
(本郷猛)

List    投稿者 hongou | 2008-06-02 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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コメント1件

 hermes hellenic | 2014.02.03 2:54

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