2008年02月18日

『アメリカの共和党と民主党』4・・・世界一の経済大国へ

これまでの『アメリカの共和党と民主党』シリーズと、そして今回の第四弾の内容までを、一つの表にまとめてみました :D


年代

国際情勢

アメリカ情勢

共和党と民主党の成立と特徴
1620 ・イギリス、フランス、スペイン、オランダなどによるアメリカの植民地化

・ピューリタン革命

・イギリス産業革命

・フランス革命

・ナポレオン戦争

・アヘン戦争

・マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表

・ドイツ帝国成立

・三国同盟の成立(ドイツ、オーストリア、イタリア)

・列強(ヨーロッパ諸国、日本)の帝国主義政策が進展。
列強による世界分割の完成。アジア、アフリカ諸地域はすべて植民地、半植民地、従属国へ

・露仏同盟

・日清戦争

・三国干渉

・日英同盟
・英仏協商

・日露戦争

・三国協商(ロシア、フランス、イタリア)

・バルカン戦争

・第一次世界大戦

・ロシア革命

イギリスからメイフラワー号到着(ピューリタンの移民) ① もともとイギリス、フランス、スペイン、オランダを中心に植民地化が進行していたアメリカ大陸に、イギリス国協会からの迫害から逃れてきたピューリタンたちが、メイフラワー号に乗って北米(現プリマス)に到着する。その後プリマス植民地建設。

② その後さらにイギリスによる植民地化が進み、それぞれが州として独自に統治するようになる。

③ 各州が経済力を持つようになると、イギリス本国からの弾圧に抵抗を始める。結果独立戦争に突入。

1763 イギリスが北米大陸に13州の植民地建設
1775 アメリカ独立戦争
≪参照≫⇒『アメリカの共和党と民主党』1・・・アメリカ独立戦争が起きたのはなんで?
1783 アメリカ独立宣言
→パリ条約(アメリカ独立)
① イギリスからの独立を達成したアメリカは、その後西へと領土を拡大していく。

② 欧米諸国からの圧力を排除するために、モンロー大統領(民主共和党)は欧州大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言を発表する。
これは後にモンロー主義となり、アメリカ大陸の孤立化(アメリカ合衆国の孤立主義)を図った。

③ 西への領土拡大が進むにつれ、北部を基盤とする共和党(連邦主義、工業主義)と南部を基盤とする民主党(州権主義、農業主義)との対立が顕在化。
これが南北戦争に発展。結果北軍勝利。

1823 モンロー宣言
1830
共和党、民主党誕生
1861 南北戦争
≪参照≫⇒『アメリカの共和党と民主党』2・・・南北戦争が起きたのはなんで?
1873 史上初の恐慌 ① 南北戦争後は、北部を基盤とした共和党(ホイッグ党が前身)が、それまでの民主党に変わって主導権を握る。

② 更なる西部開拓(フロンティア)と、それによる工業化⇒市場拡大により、1800年代後半には、世界一の工業国になる。

③ この過程で、ロックフェラーに代表される産業資本家(大財閥)が誕生し、政治に対する影響力を持つようになる。この産業資本家たちは、その後金融資本家と連携していく形で、更に資産を拡大していく。

共和党の財界癒着体質の顕在化。(Ex.1896年の大統領選で、ロックフェラーの資金援助により共和党のマッキンリーが当選)

⑤ しかし、領土拡大や移民受入れによる市場拡大も頭打ちになり、恐慌や不況が発生するようになる。

1880
大量の移民受入れ
世界一の工業国化
財閥誕生
市場縮小
深刻な不況
1889 第一回パン=アメリカ会議
1890 フロンティア消滅宣言
≪参照≫⇒『アメリカの共和党と民主党』3・・・市場拡大の歴史は略奪史
1898 米西戦争
米比戦争
キューバ保護国
フィリピン植民地化
プエルトリコ植民地化
グアム植民地化
ハワイ併合
① 共和党政権が続く中、国民による共和党の財界癒着体質に対する反感や、深刻な不況からの脱出期待の高まりを受けて、2回だけ民主党大統領(クリーブランド)が選出された。
しかし、福祉政策、関税引下げなどで不況からの克服を試みるも、ほとんど成果は出せず。民主党は帝国主義には反対の立場を取った。

不況の克服⇒更なる市場拡大の可能性を求めて、共和党主導による帝国主義路線(戦争路線)へと大きく舵を切る。

③ モンロー主義(パン=アメリカ主義)を拡大解釈し、まずは中南米諸国を植民地化。

④ ここでの一つの特徴は、戦争を仕掛けるための世論形成に、積極的にマスメディア(新聞等)が使われたことである。その背後には、資本家たちの策略があったと考えられる。

⑤ 中南米諸国の支配に成功すると、次はアジアへとその矛先を向ける。

1899 門戸開放宣言
1902 コロンビア・パナマ侵攻
1905 ドミニカを保護国化
1906 キューバ侵攻
1912 ニカラグア侵攻
1913 FRB設立 ① 1912年の大統領選で、共和党のルーズベルトが離党し進歩党から出馬。これにより共和党は票割れし、民主党候補のウィルソンが選出される。そのウィルソンの承認により、金融資本家が画策していた連邦準備制度(FRS)が創設される。

② 欧州で第一次世界大戦が勃発し、その軍需によりアメリカは大幅な経済拡大を実現。世界一の債権国となる。

③ その後、アメリカ自ら参戦。参戦の目的は、国は戦後の主導権を握るため、そして資本家たちは国に戦争をさせることによって軍需で儲けるという、両者の思惑によるものと思われる。

④ 戦後は世界最大の経済大国となる。国際金融の中心も、それまでのロンドンからニューヨークに移ることになる。

1914 欧州での第一次世界大戦の軍需景気による経済拡大
1917 第一次世界大戦参戦



それでは今回は、南北戦争以降のアメリカが帝国主義化していく流れと、その後の第一次世界大戦に参戦していく過程を追ってみたいと思います。

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●南北戦争(北軍勝利)後の急速な工業化と財閥誕生


南北戦争 → 北軍勝利 → 急速な工業化 → 世界一の工業国へ → 財閥誕生!

アメリカの資本主義は、南北戦争(1861~65)後、めざましい発展をとげた。工業生産額は1860~90年までの30年間に5倍に達し、1890年頃までにはイギリスを追い抜いて世界一の工業国となった。

★工業化の背景と財閥誕生

1859年8月、エドウィン・ドレ-クという人物がペンシルバニアのオイルクリークという場所で石油掘削に成功するや、石油の生産量は急激に増加。
1859年には2000バレルにすぎなかったが、翌年には50万バレルに達した。
10年後の1870年には、アメリカだけで530万バレル、世界全体で580万バレルに達した。

この間、主要な産業ではトラスト(企業合同)が形成され、独占と集中が進んだ。
「石油王」として有名なロックフェラー(1839~1937)が設立したスタンダード石油会社(1870設立)は1880年頃には全国の製油業の約90%を支配した。また「鉄鋼王」のカーネギー(1835~1919)が設立したカーネギー製鋼会社はモルガンに売却されたが、売却前にはアメリカの鉄鋼の約25%を生産した。
さらにモルガン(1837~1913)が設立したU.S.スティール(1901年設立)はアメリカの鉄鋼の約65%を独占した。モルガンは鉄道投資で成功してモルガン商会を設立し、鉄道・製鉄・銀行を中心に多くの産業を傘下に収めてアメリカ最大のモルガン財閥を作りあげた。

☆国際金融資本と呼ばれている組織が資産を拡大(財閥化)していく手法に関して、モルガン財閥の歴史を例にとって、以下に簡単に紹介します。

≪モルガン財閥≫

1838年ヴィクトリア朝時代のロンドンで創業。ロスチャイルド家から支援を受け、米国債をイギリスの投資家に仲介するのが主な業務とした金融業を始める。その後、二代目ジョン・ピアポント・モルガンが米国で事業を拡大→財閥化。

モルガン商会は「トラストのトラスト」と呼ばれ、十数社の鉄道事業を買収し再編成。1892年には発明王エジソンを籠絡してGEを設立し電気事業を再編。1901年には鉄鋼王カーネギーを買収してUSスチールを設立し鉄鋼業を再編。1907年には全米の電話を独占するAT&Tを買収。1920年には死の商人デュポンと組んでGMを支配。その他、テキサコ、IBM、シティバンク等にも投資を行い巨大化していった。

また、南北戦争時には、北軍には資金を提供し、南軍には軍需物資を出荷して、南北どちらが勝ってもいいように計らい、利益を上げた。第一次世界大戦時には、英仏両国政府から公式代理人として選ばれ、戦時国債をアメリカで販売する。また、アメリカにおける英国の公式貿易代理業者でもあった。国際条約に違反してあらゆる戦時物資を買い付けて英国に送っていた。

●大陸支配確立(フロンティアの消滅)⇒帝国主義化(世界戦争へ)


フロンティア消滅宣言 → 帝国主義化 → 中南米・アジア支配 → 第一次世界大戦参戦

★1889年 第一回パン=アメリカ会議(モンロー主義から帝国主義への転換)

1890年、国務省によりフロンティアの消滅が宣言される。これは、アメリカにはすでに未開の土地がなくなった、つまり大陸内の開拓は終わったということを意味した。ここからアメリカは、帝国主義政策へと大きく舵を切る。

アメリカはもともとパン=アメリカ主義(モンロー主義とほぼ同義)という、ヨーロッパの中南米干渉に対抗して、中南米団結と協力を主張していたが、帝国主義推進策として、アメリカの指導下に中南米諸国をおくという意味を持たせるようになった(1889年のパン=アメリカ会議が最初)。
パン=アメリカ主義の立場においたアメリカはその後、ヨーロッパ列強を震撼させる大胆な中南米諸国の干渉を行った(カリブ海政策)。

特にセオドア・ローズヴェルト大統領(共和党、1901-09)の時は棍棒(こんぼう)外交と呼ばれ、ある時はベネズエラ干渉(イギリス・ドイツ・イタリアの封鎖にアメリカが干渉。1902)の調停者として、ある時はスペイン領から独立したドミニカを保護国化(1905)、そしてまたある時はコロンビアからパナマを独立させ(1903)、その租借権を得てパナマ運河(1904年着工。1914年開通)を開通させるなど、アメリカの圧力を見せつけた。

★1898年 米西戦争

大統領ウィリアム・マッキンリー(共和党、1897~1901)
19世紀終わりになるとそれまでの大陸内での膨張という形から、資本主義の高まり、深まる恐慌の中で、海外に進出帝国主義の動きが強まった。1895年砂糖壷といわれたスペイン領キューバで独立革命が起こり、スペイン・キューバ戦争(米西戦争)が起こった。

1898年キューバのバハナ港内で深夜アメリカ戦艦が爆沈(実際は事故による火災→沈没)する事件が起こり、キューバを開放するという口実で4月宣戦した。戦争自体は半年でわずかな死傷者をだしたのみで済んだ。その結果キューバを占領下に置くとともに、このキューバ問題とは無縁の、フィリピン、プエルトリコ、グアムも植民地として獲得した。米西戦争は、植民地をめぐる帝国主義戦争であり、この勝利によってアメリカは広大な海洋帝国の足掛かりを作ることに成功したのである。

この開戦には、当時急速に普及していた新聞が利用された。各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に繰り返し報道し、アメリカ国民の反スペイン感情を煽動した。これは新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例であり、米国政府はこの情報戦略を積極的に利用し、後の戦争のほとんどに活用された。
(アメリカの人口は、1860年の3200万人から1900年の7600万人へと急増した、人口に占める新聞読者の比率(近似的に新聞の発行部数総数を人口で割った比率)は、なんと2%から43%へ増えている。)

また米西戦争中の1898年8月にはハワイを併合した。

さらに極東への進出しようとして、1899年国務長官ジョン=ヘイが門戸開放宣言を発し、列強(フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、日本、ロシア)にたいして中国の領土保全・門戸開放・機会均等の3原則の保証を要求して中国市場への割り込みをはかった。ヨーロッパ列強はこの宣言に同意して、中国分割政策を緩和させていった。そして、期待通り、アメリカの資本は中国市場へ進出していった。

★欧州にて第一次世界大戦(1914~1918)勃発

1914年に、植民地獲得などをめぐり、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟と、イギリス・ロシア・フランスの三国協商の対立から第一次世界大戦が勃発。戦場にならなかったアメリカの工業は軍需景気に沸いた。莫大な物資輸出により19世紀末の鉄道ブーム時代から累積していた対外債務を一掃。世界最大の債権国へと転化した。

★FRBの創設と第1次世界大戦への参戦(1917)

第一次世界大戦に支援することによって巨額の利益を得たアメリカが、なぜ自ら参戦する必要があったのか?

そこには、戦後に主導権を握りたいというアメリカの思惑と、国際金融資本家の策略(アメリカ連邦準備制度(FRS)の設立→国家に戦争をさせて、紙幣を大量に発行させる)とが絡んでいたのだ!!

1915年から1920年までの5年間で、アメリカの通貨供給量は125億ドルから240億ドルに倍増した。この銀行券の増発により、銀行側は膨大な利子を受け取ったのである。この時の銀行券は1914年から業務を開始したアメリカ連邦準備券であった。実は、この準備券を発行した連邦準備制度(FRS)が参戦直前に創設されていたのだ。

この時のタフト大統領は中央銀行創設案には反対だったため、モルガンは進歩党を創設しセオドール・ルーズベルトを支持し、共和党を分裂させることによって、伝統的な党路線を離れて中央銀行創設案を支持する民主党のウッドロー・ウィルソンを大統領に選出させたのである。選挙中はタフトばかりか、ウィルソンもルーズベルトも金融勢力を非難していたが、実際はその金融勢力から資金支援を受けていたのである。

ウィルソンは連邦準備制度理事会の理事を指名し、この連邦準備銀行が戦争の資金を準備し、この連邦準備銀行の株主達がマスコミを使って参戦を宣伝し、彼ら銀行家の支援で大統領となったウィルソンが参戦を決定したのである。

ウイルソンは1913年の議会から送られてきた連銀に関する書類にサインしてしまったことを後悔して、「私は最も不幸な人間だ。私はうっかりしてこの国を駄目にしてしまった。 この偉大な産業国家は今、金融制度に支配されてしまった」ともらしたと言う。

ちなみにアメリカ連邦準備銀行の株主は以下ようになっている。

ロスチャイルド・ファミリー、そしてラザール・フレール、クーン・ローブ商会、ウォーバーグ商会、リーマン・ブラザース、ゴールドマン・サックス、ロックフェラー・ファミリー、J・P・モルガン財閥

そしてこの第一次世界大戦の参戦を促したのも、同じくJ・P・モルガンなどの財閥であった。ランディーン議員は「モルガン財閥と軍需品メーカーが戦争を望んでいるとしても、ちっとも不思議ではない」と議会で発言し、財閥と軍需産業の狙いがどこにあるかを示した。ラファレット議員は「議員閣下、同様にしてJ・P・モルガン財閥とその一派は数百万ドルにものぼる戦時公債を募集している手前、いまや米国がヨーロッパの戦争に参戦することによって、この債務保証をしてもらいたがっております」と発言している。キング議員は以下のように、「戦争を望む財閥階級が声高に”進め、キリスト教の戦士たち”と叫ぶ文句は最近の流行である」と述べている。そしてキャラウェイ議員は彼ら財閥階級の者たちが、新聞を買収し紙面を買い取り、編集を担当して参戦への紙面づくりをしたと報告している。

実際このように主だった新聞全てが財閥の参戦志向を紙面に反映させ、そのような財閥の意向を受けてウィルソン大統領は根強い国民の参戦への反対を押し切って参戦を決定したのである。

駐英アメリカ大使のロバート・ランシングは本国に向けての通信で、ひっきりなしにアメリカ参戦を促したが、彼を大使に推薦したのは、マンデル・エドワード・ハウス、通称ハウス大佐である。ウィルソン大統領の補佐官の立場であった。彼はロスチャイルド家の意向を受けてウィルソン大統領の元に送られた人物で、後にウィルソン政権の影の大統領と言われたほどであった。当然ランシングもロスチャイルド家の意向を受けていた。

なお、アメリカの銀行家がアメリカ政府に金融支援していたように、ドイツの銀行家もドイツ政府に支援をしていた。そしてこれら銀行家は同じファミリーである。ポール・ウォーバーグはウィルソン大統領に次のような手紙を出した。

「私には二人の銀行家の兄弟(マックス、フリッツ)がドイツにいます。当然のことですが、私が私の国に仕えているように、彼等もまた能力を最大限に発揮して彼等の国家に貢献しています」。ポール・ウォーバーグはこの時、連邦準備制度理事会の副議長であった。
またジェイコブ・シフにも兄弟が二人(フィリップ、ルートヴィッヒ)銀行家としてドイツにいて、ドイツ政府の最高諮問委員会委員として活動していた。

このように当時の国際金融資本家たちは、戦争当事国に対し両方に金融支援をすることで、両方の国から支払われる金利で膨大な利益を得ていたのだ!!

★第一次大戦後のアメリカの状況

各国が帝国主義段階に入った20世紀初頭においても,アメリカは後進国であった。アメリカの資本輸出は,全体としてイギリスの10分の1以下の5億ドルであったので,国際金融でのアメリカの地位は低いものであった。

ところがこの様相は第一次大戦によって一変した。戦中から戦後にかけてのアメリカ貿易の中心は,ヨーロッパを対象とするものであり、世界経済の中心は疲弊したヨーロッパからアメリカへと移った。大戦の影響によって,各軍需品,機械,自動車,鉄鋼が大幅に伸び,1920年には戦前の債務国から,最大の債権国になった(1914年に72億ドルあった債務は,1920年に39億8500万ドルに減った。逆に35億1400万ドルしかなかった債権が,69億5600万ドルに増加した)。そこで,国際金融の中心もロンドンのシティーからニューヨークに移っていった。

★ここまでの共和党と民主党に関するまとめ

これまで見てきたように、北部(工業主義)を基盤にした共和党は、南北戦争に勝利することで政治の主導権を握り、一気に工業化を進めていく。その過程で、現在に繋がる大財閥(ロックフェラー、JPモルガン等)が誕生していく。そして、それらの財閥と、工業化⇒市場拡大を推し進める共和党とが次第に密接な関係になっていく(Ex.1896年の大統領選で、ロックフェラーの資金援助により共和党のマッキンリーが当選)。

ところが西部開拓や、移民受入れによる市場拡大も限界(度重なる不況)が見え始めると、第一回汎アメリカ会議におけるモンロー主義の拡大解釈によって、まずは中南米諸国への侵略を始め、ついに帝国主義路線へとその政策を大きく転換する。そして徐々にその矛先をアジアの方へ向け始め、近隣諸国を次々と支配下に治めていく。また、当時中国を支配していた列強諸国(ヨーロッパ諸国、日本)に対し、その支配力に圧力をかけるため門戸開放宣言を出した。
この時代は、一貫して略奪、戦争路線であった。

一方で南部(農業主義)を基盤にしていた民主党の方は、南北戦争敗北以降、大統領もほとんど輩出することができず、脇役的な存在となった。国民からの共和党の財界癒着体質に対する反感や、度重なる不況からの脱出期待により、政権を獲得することもあったが、あまり成果を出せずに終わっている。帝国主義にも反対の立場を取っていた。
この時代は、共和党主導の政治体制(市場主義、資本家優遇主義)に対する、国民感情のガス抜き的な役割を果たしていたと考えられる。

List    投稿者 nishi | 2008-02-18 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造1 Comment » 

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コメント1件

 danmark hermes | 2014.02.02 0:44

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