中国どうなる!?19 ~中国の安定性と統合力~
前回記事『中国どうなる!?18 ~党と地方~組織や企業、メディアや法律の操作は日常的な仕事~』からの続きです。
今回は、中国共産党の支配力の源泉について追求していきます。
(※エントリーの引用は全て「中国共産党 支配者たちの秘密の世界 リチャード・マクレガー著」からの抜粋です。)
1.中国大躍進の際の飢餓
著者、楊継縄は、約20年にわたる綿密な調査に基づき、1958年から三年間で3500万から4000万人の中国人が餓死した悲劇の全容を発表した。中国共産党が長年隠蔽してきた事実を明らかにしたのである。楊の試算では、この一年間には出生率も低下し、さらに4000万人の人口減となっている。男女ともに健康状態が劣悪で、妊娠、出産は不可能だったのだ。この壮大な著作の内容は、海外の中国研究者のあいだではすでに知られていた事実を裏付けるものだった。毛沢東のユートピア建設計画が、人災による史上最悪の飢鐘をもたらした、という事実である。「真の共産主義」確立のため急ピッチで進められた毛沢東の計画は、ホロコースト並みの大惨事を生んだ。
1989年、党による民主化運動弾圧に幻滅した楊は、かつて主人と仰いだ党に対して反撃を開始した。
中国国内では党が国家の歴史を統制しており、海外で語られている中国史とはまったく別の物語として歴史が語られる。もっとも、実際に中国で歴史が語られるとすれば、の話だが。楊はその著書の出版後も生き長らえ、現在も北京の新華社の社宅で暮らしている。しかし、党は『墓碑』とその著者を黙殺することによって、その本が海の底深く沈み、他の多くの不都合な秘密と一緒に隠れてしまうことを願ったのだ。
→筆者はこの事象を「隠蔽」と捉えている。しかし、巨大国家を統合し秩序を保つためには必要な政策だったのではないだろうか?と考える。なぜならば、中国大躍進ではこれだけの飢餓者が出たものの、それでも政権は維持されてきた歴史があるからだ。
参考投稿:毛沢東は何を目指していたのか?①~毛沢東の生い立ちと理論~
2.「歴史」を監視する中央宣伝部
2003年、中国政府は新型肺炎SARSの流行を隠蔽しようとした。SARSは中国南部で発生し、やがて香港や北京などの大都市に拡大した。党の上級幹部でもある北京在住の軍医が、ファックスで海外メディアに正確な死亡者数を伝えて初めて、胡錦濡政府はSARSの拡大規模を認め、思い切った隔離政策をとった。
政府はいかなる証拠も残そうとしない。内実が明らかになることを恐れているからです。「中国は多くの点で西洋を手本にしてきた。」重要な政治的問題に対する党の見解が修正される恐れを感じるとき、党は激しい反応を見せる。党のSARS隠蔽を暴露して英雄となった軍医の蒋彦永は、のちに一年余り身柄を拘束されたことがあるが、これは1989年の民主化運動弾圧を非難する彼の手紙が、当局に知られたためだった。
エリート層の一角を構成する鄧小平と李鵬は、1989年の戒厳令を発布した当人だ。彼らの一族は強大な権力と威信と富を持っているが、党が「天安門事件」と呼ぶ出来事に別の解釈がなされれば、彼らの立場はたちまち危うくなる。
「歴史の真実を封じ込めていては、中国は超大国になることはできない」と楊は言う。
→筆者はこの一連の出来事に懸念を抱いているようだ。しかし現状を見て見ると、現在中国は人口も増え続け今や経済面も合わせて超大国の道を歩み始めている。むしろ、統合するために必要なことを想定して共産党が国内の情報をコントロール出来ているからこそ、これほどの人口をまとめることができているのではないだろうか?
参照投稿:中国どうなる17? 腐敗撲滅運動と中央規律委員会〜政治のための監視システム〜
3.毛沢東への評価
毛沢東(画像はこちらからお借りしました)
「第一印象ですか?彼こそが共産党を導くことができる真の指導者だ、と思いましたよ」毛沢東が礼賛される理由は、ある程度は理解できる。毛沢東は中国共産党と紅軍の指導者として、1949年、中国を統一して新国家を建設し、国家の威信を取り戻した。
毛沢東の命運が党の命運と固く結びついているからだ。「毛沢東の最大の遺産は中国共産党なのです。」と李鋭は言う。「党が存続する限り、毛沢東は行き続けるでしょう。」
「毛沢東の真の目的は、中国始まって以来最強の皇帝になるとういうことでした」李鋭は振り返る。
「そして毛沢東の考えでは、皇帝は決して自己批判してはならなかったのです。」
→李鋭の証言から中国共産党を形成した毛沢東への評価は非常に高い。過去には大量の飢餓や殺戮もあり、いつ政権交代が起こってもおかしくない状況もあっただろうが、それでも指示され続けて共産党も国家も存続している。政敵を吊るし上げることでより共産党の結束を高めて、強い中国を作り上げたのである。
参考投稿:毛沢東は何を目指していたのか?①~毛沢東の生い立ちと理論
4.中国共産党の変化
楊は、自分が逮捕され同僚も処罰されるのではないかと、絶えず心配していた。「たった一人で山奥へ宝探しに行き、周りを虎や野獣に取り固まれているような気分だった」と彼は言う。
「当局は昔ほど愚かではなくなりました」とユは言う。「昔なら、私はとっくに死んでいたし、家族も無事ではいられなかったでしょう。でも今こうして私は生きて、本を書き、話をしている。私が投獄されていないという事実こそ、中国が変わってきたという証拠です」
中国は「暴力的な体制と暴力的な民衆という悪循環」に逆戻りしないために、少しずつ変わらなければならなかったのだと彼は言う。
「党と違う意見を持つ人間が数多く殺されました」と茅子拭は言う。「(共産党) 政府に殺された人数は5000万人に上るでしょう。一日当たり5000人です。しかし最近では、たった一人殺すにも政府は四苦八苦しています。私はずっと恐怖のなかで生きてきました。誰も守つてはくれなかった。今日では、もう恐怖を感じないで生きていられます」
→毛沢東政権の時代は、「百家争鳴→大躍進政策→文化大革命」と政府による政敵への吊るし上げが行われていたが、上記のように現在ではこうした暴力的な政策の見直しも進んできており、現在の安定につながっているのだと考える。
☆まとめ
今回の記事で、以下の内容が明らかになった。
①.中国共産党はマスコミ以上に力を持っている。つまり金貸し支配を受けていない国家である。
→ここでマスコミと金貸しの関係を整理しておこう。マスコミを生み出したのは金貸しであり、金貸しはマスコミを使って国家を支配している。(参考投稿:ニュースの原点は金貸しのための情報配信)。しかし中国においてマスコミが第一権力化していないということは、共産党は金貸し支配から国家を防衛できていることを意味する。中国共産党が結束力を固めて世界の金貸し勢力と席巻し、金貸し支配から国民を守ってきたことが中国の大きな特徴である。(参考投稿:中国メモ4 ~中国と金貸し~)
②.中国共産党の支配力は、一政党としての力の域を超えている。
習金平(画像はこちらからお借りしました。)
→中国共産党はマスコミ・金貸しの力を凌駕し、経済を牛耳る力を持っている。この状況は一政党としての力を超えて、『世界の金貸しと対等に渡り合える力を持っている』ことを意味しており、それが習政権の政治基盤となっている。(参考投稿:中国どうなる!?14 中国共産党の支配力に迫る!)この共産党を維持し続けられる政治体制は自集団を守る『集団第一』の本源性がそのベースにはあるのだと思う。そしてこの『集団第一』を生み出した流れは、「戦乱私権収束⇒秩序収束・統合収束⇒諸子百家⇒儒教・官僚制→安定」という歴史背景に基づいている。この組織体制こそが中国を超大国へと押し上げているのだ。
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