2018年07月20日

『近代日本』の核心は、江戸時代に作られた。(明治になって金貸しが作ったのではない。)

日本では金貸し支配がいまだ強い。日本は戦後に従米国家になったのではなく、明治以来金貸しの支配下にあった。むしろ、金貸しの意を受けた反幕府勢力が、その支援の下に権力を握った。それほど金貸し支配は日本に深く巣食っている。この見方は、従来の司馬史観を覆す、重要な事実認識だと思う。

欧米列強を前に日本人が一丸となって外圧に対応して日本は近代国家になり、さらには、最先端の先進国にまでなった。極端に言えば、これらは全て金貸しがやらせたことに過ぎないのであって、日本人はただただ振り回されてきただけということになる。

しかし、このように金貸しが近代日本を作ったとする見方に留まるのも、また、不十分だと思う。

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歴史の事実はといえば、日本は、江戸時代にはすでに近代国家、工業国として突き抜ける「核心の構造」を自ら作っていた。金貸しが日本を近代国家にしたのではなく、江戸時代に日本人が自らの手で作ったのだ。

そもそも近代化とは何か。それは武力支配から、資力支配へと、社会のシステム、活力源が転換していくことである。

欧州では18世紀に産業革命に入るが、それに先行してイタリアの東方貿易、ポルトガルスペイン、英仏の世界侵略、その後、最終的には大衆需要を対象にするため産業革命がおこった。これらは一直線に起こっており核心は資力支配への転換である。(科学技術や産業も、市場社会の要請で発達した。)

日本では江戸時代に武力闘争が終焉(封鎖)し、幕府・藩の政策は生産力拡大(農耕地拡大)へと収束する。結果、生産性上昇とそれによる人材余力から多様な商品作物、手工業が発達し、都市拡大による需要増がさらに工業の発達を促し市場社会が発達する。農業生産拡大、大都市形成、工業生産、物流網、識字率、人々の可能性収束、あらゆる点で市場社会は完成していた。実際、19世紀に入るころには、工場を作ったものが賃労働者を集め、分業と協働で加工生産をする工場制手工業も現れた。

だから黒船がやってきたとき、日本人自身の意識に反して、事実はといえば、準備万端、いつでも来いの状態だった。市場社会として一気に進化する準備が整っていたし、市場社会で産業⇒科学技術を吸収、肉体化する動因が十分なので、明治維新からたった40年でロシアに勝利したのだ。江戸の社会変動に比べたら、明治維新は本質的には大した変化ではない。(金貸しは、日本がそういう経済構造を既に持っていること、強国になる潜在力をもつことを見抜いて、ロシアや中国にぶつける駒として育てた。)

司馬史観はもちろんだが、金貸し史観(金貸しが日本の近代化を主導したとする見方)でも、金貸しに踊らされるだけだと思う。江戸以来、(縄文の伝統に加えて)日本人が作ってきた社会の力について改めて認識する必要がある。

(市場社会と言っても、日本と西欧では根本的に異なる部分が大きい。それ自体非常に重要な議論になりますがhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=336894、武力支配<資力支配への転換したという意味で、「市場社会」としています。)

List    投稿者 nihon | 2018-07-20 | Posted in 08.近現代史と金貸しNo Comments » 

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