2018年11月22日

日本の市場の原点~古代市場の中に息づく縄文の精神~

日本における市場の歴史に関する記事を紹介します。

市場の起源は、物々交換とその場である「市場(イチバ)」が原初の姿であるとよく言われますが、日本における古代市場は西洋や大陸のそれとは異なる独自の様相を呈していたようです。
そしてそれは、現代社会を支配する“近代市場”のそれとも大きく異なる物でした。

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市場の歴史というと、その原点としてまず思い浮かべるのが、
自給自足の生活から抜け出して「物」と「物」、さらに時代が下って「物」と「カネ」の交換が始まった風景です。
教科書等ではこれをもって「イチ」「イチバ」の起源と言うように説明され、食料や生活必需品のやり取りや他集団との交易が始まったかのように語られます。

しかし、自然外圧が高く、かつそれとの共存を運命づけられていた古代社会において、生命活動に直結するような食料や生活必需品を他集団に依存していたとは考えにくいものがあります。

この時代はむしろ、縄文時代から受け継がれた精神性や精霊信仰、共同体意識と贈与文化等、日本人特有の精神性の延長上でやり取りが行われたと考える方が自然です。
そしてそれそこが、富の獲得と収奪を目的とし、それを正当化する為の近代観念で塗り固められた近代市場と決定的に異なる点です。

現在このような既存の市場経済は限界を迎え、その事実が周知の物となっています。
そして今、基礎保障(ベーシックンカム)や贈与経済といった、新たな経済システムが模索されています。
今こそ、近代市場以前の古代の市場の実態を、近代観念を取り払った新たな視点で分析し可能性を追求する必要があるのではないでしょうか。

以下、「るいネット」の投稿を紹介します。
古代市場の中に息づいていた日本人の精神性がよくわかります。

日本の古代市場】 リンク
 ■古墳時代(6世紀頃)
この時期の市は、特定の日時(主として農事の始まる春先と収穫の秋)に開催され、物資交換の実利だけでなく、従来の贈与と返礼による友好・社交とは未分化で、祭祀・会合(情報交換)・歌垣(特定の日時・場所に老若男女が集会・共同飲食し、求愛の歌舞を掛け合う行事、それ以前は男女の性的交歓の場でもあった)等と一体化していた。
古墳期には神へ奉納する物品でもあった米(主に列島西部)や絹・布(主に列島東部)等を物々交換の価値尺度としていたようだ。

市は河原・中州や浜・山の入り口となる坂等、人々の居住地域から少し外れ、日常生活と切り離された、聖なる場と俗なる場の境界とされる場所で、仮設的・一時的に執り行われていた。このような場所が選ばれたのは、人には血縁・地縁等の結束力が、物には生産者や使用者の精力が注入されており、交換のためにはそれらの力を除く必要があり、境界ではそれらの力が減衰すると信仰されていたからである。そしてさらに、その力を除去するには、神の霊力を発揮させるための祭儀が不可欠なうえ、神に奉仕する人々が取引を仲介することが必要であった。


また古代からの「虹の立つところに市を立てなければならないという慣行」が全国各地に伝承されている。虹は天界と俗界を結ぶ橋と考えられており、虹が立てばその橋を渡って神や精霊が降りてくると信じられていた。その神迎えの行事こそが市であり交換であると位置付けされていた。

このように市は超越的な空間、或いは聖的な場であった。従って当時は、神の代理人とされたである首長に、貢納された物品が集積されていたこともあって、必然的に首長が場を取り仕切ることになる。

また市は俗界の関係を超越する場(無縁所)として位置づけられていたので、罪を負った人も市の場では追及を行わないという規範があった。ケンカや口論、押売押買、債権取り立ても後の時代も含めて固く禁じられている。仮に揉め事があってもその場限りで解決し、俗界へ持ち越さないという規範である

(後略)

by:yamakow

List    投稿者 nihon | 2018-11-22 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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