2008年06月28日

影の組織「ラウンドテーブル」とは何か

2008年05月27日
国際金融資本が国家を戦争に誘導するの記事でウォルター・リップマンをとりあげましたが、
リップマンが所属していた組織が「ラウンドテーブル」というの組織で、英国関連の影の組織として、この手の記事でよく取り上げられます。一体、その「ラウンドテーブル」と何か。
について掘り下げた記事があったので取り上げてみたいと思います。
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セシルローズ
アフリカのナポレオンと呼ばれ、「神は世界地図が、より多くイギリス領になることを望んでおられる」と言い放ったセシル・ローズは、1853年から1902までを生き、南アフリカでのイギリスの権益確保のために動き回りました。

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以下引用
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 スクーセン氏はキグリー博士の言葉を引用して、世界の金融資本家が力をつけた過程を明らかにした後、超富豪王朝の世界支配組織が世界征服を目指しているとしています。
「古代の政治哲学者たちは、人間を征服するには心を捉えるに限るということを知っていた。偉大な着想であると思い込んでしまった人間はすぐさま、献身的な“奴隷”やひたむきな“弟子”となる。キグリー博士は、これが国際銀行家の世界的な秘密首脳部にもあてはまると語る。指導者たちはとてつもなく偉大な着想-世界中の資源を独占して支配する方法-にめぐり合ったと思い込んでいる。」

 その着想の発端は、ジョン・ラスキンなる人物によるものであったようです。
ラスキンはオックスフォード在学生に、彼らが特権的支配階級の一員であると語りかけた。彼らは教育、美、法の支配、自由、上品さ、自己規律という気高い伝統を継承しているが、その伝統が英国下層階級や英国人を除いた世界の大衆に広まらない限り、この伝統を維持するのは困難であり、伝統が保存に値しないと語った。もし貴重な伝統がこの二つの大多数に広まらなければ、少数の英国上流階級はこの大多数の前に屈し、伝統は失われる。それを防ぐには、伝統が大衆と帝国に広まらなければならない。

ラスキンの就任記念講義におけるこのメッセージを、一人の在学生、セシル・ローズによって手書きで記録され、ローズは30年間それを手放さなかったそうです。
セシル・ローズは、のちにロスチャイルドの融資を受けてデビアス鉱業会社を設立し、全世界のダイアモンドをほぼ独占した。また、南アフリカの鉄道・電信・新聞業をも支配下に入れ、1890年には遂にケープ植民地の首相にのぼりつめ、南アフリカの政治・経済の実権を一手に握った。

セシル・ローズの目的は、英語圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという野望に尽きる。このためローズは莫大な私財の一部を寄贈してオックスフォードにローズ奨学金を設立し、ラスキンの望みどおりに、英国支配者階級の伝統を英語圏に広めようとした。

オックスフォードの熱烈なラスキン崇拝者の中に、アーノルド・トインビー、アルフレッド・ミルナー(後のミルナー卿)、アーサー・グレイズブルック、ジョージ・パーキン(後のジョージ卿)、フィリップ・リトルトン・ゲル、ヘンリー・バーケナフ(後のヘンリー卿)等の盟友グループがあった。彼らはラスキンの言葉に薫陶を受け、彼の構想を実行するために人生を捧げた。

 

ケンブリッジにも同じようなグループがあり、レギナルド・ベーリオル・ブレット(イーシャー卿)ジョン・B・シーリィ卿、アルバート・グレー卿、エドモンド・ギャレット等も、ラスキンの言葉に薫陶を受け、いわゆる“英語圏の着想を拡大する”計画の両輪として大英帝国の拡張と英国都市住民の意識向上に終生努めた。
 彼らがめざましい成功を収めたのは、熱烈な社会改革者にして帝国主義者である英国一過激なジャーナリストのウィリアム・T・ステッドが彼らをローズに引き合わせたからである。この連合ができたのは公式には1891年2月5日のことであり、ローズとステッドは、ローズが16年間夢見ていた秘密ネットワークを組織した。

ローズがこの秘密ネットワークの指揮を執った。ステッド・ブレット(イッシャー卿)、ミルナーが幹部委員会のメンバーとなった。アーサー・バルフォア(卿)、ハリー・ジョンソン(卿)、ロスチャイルド卿、アルバート・グレー(卿)等が、“創始者グループ”の幹部メンバーに名を連ねた。“支援組織”(後にミルナー卿によって「円卓会議」として組織された)として知られる外郭団体もあった。-こうして秘密ネットワークの中核が1891年3月までにできあがった。

1897年から1905年にかけて、南アフリカ総督兼高等弁務官としてミルナーは、オックスフォードやトインビー・ホールを中心に若者たちを集めて統治運営を手伝わせた。彼の影響力によって若者たちは政府や国際金融の要職に就き、1939年ころには英国の帝国主義外交に辣腕を振るうようになった。
 南アフリカでミルナーに仕えた彼らは、1910年まで「ミルナーの幼稚園児」と呼ばれていた。1909年から1913年にかけて彼らは英国の主だった属領や米国で、円卓会議グループという、半ば秘密結社を組織した。この秘密結社はいまだに八ヵ国で存続している。

 

彼らは私信のやりとりや頻繁な相互訪問によって、あるいは、1910年にエイブ・ベーリー卿の資金で創刊された影響力のある季刊誌『ラウンド・テーブル』をつうじて連絡を絶やさなかった。1919年、おもにエイブ・ベーリー卿やアスター一族(タイムズの社主)から資金を援助された彼らは「王立国際問題研究所(チャタムハウス)」を設立した。

国際問題に関する同じような機関が、英国の主だった自治領やアメリカ合衆国-米国では「外交問題評議会(CFR)」として知られる-で、1919年から1927年にかけて相次いで設立された。1925年以降に「太平洋問題調査会(IPR)」という似かよった組織が太平洋地域の12ヵ国に設立されたが、基本的には、英国の各自治領に置かれている円卓会議グループ王立国際問題研究所との抱き合わせである。

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以上引用終わり
ラスキン自身は、少数の上流階級による大英帝国による世界支配を夢見る帝国思想の持ち主で、大学の教授職に過ぎないが、その思想を利用して、金融による世界支配を目論んだのがロスチャイルドなどの金融資本家達だ。
そのラスキンの思想に共鳴し、ロスチャイルドをパトロンとして南アフリカの政治、経済を支配したのがセシルローズだ。
セシルローズが南アフリカから上がる膨大な利益を背景に、本国の同じラスキンの思想に共鳴するオックスフォードやケンブリッッジの若者を巻き込んで、彼らのネットワークの母体が完成する。
ローズの後を継いだミルナーが南アフリカ総督兼高等弁務官として、赴任し、彼の影響力によって上記の名門大学の若者たちが政府や国際金融の要職に就くようになり、彼らのネットワークが完成する。
表の組織が「王立国際問題研究所(チャタムハウス)」等であり、裏のネットワークの中核としての組織が「ラウンドテーブル」と言う訳である。
その後「王立国際問題研究所」などの国際研究機関が英国の自治領やアメリカ合衆国に設立されるが、「外交問題評議会(CFR)」や「太平洋問題調査会(IPR)」もその機関の一つである。
当初は背後でロスチャイルドなどの英国系の金融財閥が支配していたが、1914年にロスチャイルドの出先窓口とも言えるJPモルガンが亡くなり、ロックフェラーなどのアメリカの金融財閥が台頭し、その支配構造はより複雑化し、現在に至っている。
アメリカの一極支配が終わり、多極化へ進みつつある現在、「ラウンドテーブル」はどんな動きをしていくのだろうか。

List    投稿者 tabtab | 2008-06-28 | Posted in 08.近現代史と金貸し3 Comments » 

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コメント3件

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