2008年05月17日

戦争プロバカンダ

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戦争が起きれば、最初の犠牲者は真実である
この言葉は、第一次大戦時、アメリカ上院議員であったハイラ・ジョンソンの述べたものです。戦争といえば、大義のもとに行われなければなりません。よって、上記の言葉が物凄く的を得た言葉であると思います。
真実を歪め、プロパガンダに利用することは、歴史的には第一次大戦からの戦争の定石だったようです。さらに、今やメディアが発信するニュースは技術の進歩によって、簡単に編集が可能になったので、我々に対し戦争の嘘を真実のように見せることが可能になったとも思います。先のイラク戦争のように!!!
そんな戦争におけるプロパガンダには10の法則があるようです。今回はそれを紹介したいと思います。
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戦争プロパガンダに関して紹介している戦争プロパガンダより引用します。

戦争プロパガンダ10の法則とは、第一次大戦から現在の第二次湾岸戦争までの戦争の歴史の中で戦争プロパガンダには10の法則があり、それが戦争の度に巧妙に使われているということを歴史家アンヌ・モレリがまとめたものである。10の法則とは以下の通りである。
[1] 我々は戦争をしたくない
[2] しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ
[3] 敵の指導者は悪魔のような人間だ。
[4] 我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。
[5] 我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
[6] 敵は卑劣な戦略や兵器を用いている
[7] 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
[8] 芸術家や知識人もこの戦いを支持している。
[9] 我々の大義は神聖なものである。
[10] この戦いに疑問を投げかける者は裏切り者である。

①の「我々は戦争をしたくない」という法則と②の「しかし、敵側が一方的に戦争を望んだ」という法則はセットで使われることが多い。それは、①の法則の答えが②の法則にあるからだ。①の法則は戦争を望んでいないというものだが、これは戦争を行うすべての国家元首や政府によってこのような平和的な主張が見られる。しかし、かなりの頻度で戦争が起こってしまうという疑問が必然的に生まれる。そして、その答えをだすのが②の法則、つまり、「敵が一方的に戦争を望んだ」という法則である。敵が一方的に戦争を望んだため戦争が起こってしまったという答えを国民に伝える。つまり、我々の行っている戦争は敵国から仕掛けられたもので、我々の攻撃は戦争を望む攻撃ではなく、自国を攻撃した敵国に対しての報復だということである。

③の法則は、たとえ、敵対関係にあっても敵国民全体を憎むことは不可能であるため、敵国の指導者に敵対心を集中させる目的がある。自国民に敵の「顔」を与え、その醜さを強調するのである。戦争の相手は必ずしも「ジャップ」や「ドイツ野朗」の敵国民ではなく、「ヒトラー」や「ムッソリーニ」、「サダム・フセイン」などの敵国指導者なのである。敵の指導者の悪を強調することで、彼の支配下に暮らす国民の個性は打ち消され、敵国でも自分たちと同様に暮らしているはずの一般市民の存在は隠蔽されてしまう。また、敵国の戦意を弱体化させるのにもこの③の法則は用いられる。

多くの場合、経済効果を伴う地政学的な征服欲によって戦争が起こるが、このような戦争目的は国民には伝えられないということである。絶対王政の時代ならともかく、近代において国民の同意がなければ宣戦布告ができない。多くの国では憲法によって、開戦に先立ち国会においての決議、つまり、国民の同意が必要となる。戦争の目的を自由や前時代的帝国主義対現代民主主義の文明間の戦いなど倫理的な戦争目的にすることによって、国民の同意を得ることはそう難しくはなくなる。そこで、戦争プロパガンダは真の目的を隠蔽し、戦争目的を別の名目にすり替える。

戦争プロパガンダはしばしば敵の残虐さを強調する。といっても、残虐行為が存在していないということではない。古代から二十一世紀の現在まで、殺人や強盗、暴行などの残虐行為は戦争や軍隊につきものである。⑤でいうプロパガンダによく見られる現象とは、敵側だけこうした残虐行為をおこなっており、自国の軍隊は、国民のために、さらには他国の民族を救うために活動しており、国民から愛される軍隊であると信じこませるものである。また、敵国の攻撃は異常犯罪行為とみなし、血も涙もない悪党だと印象づけるのもその戦略である。 ⑤の法則から当然の帰属として、⑥の「敵は卑劣な兵器を用いている」という法則が成立する。自国は残虐行為を行なわない。そればかりか、戦争のルールをまもりフェアな戦いを行っている、というのはよくある主張だ。一方、自国に刃向かう敵は勝つためならアンフェアなやり方も辞さない。戦争の勝敗を左右する最大の要素は両陣営の武装の明らかな優劣である。つまり、多くの場合、技術的な優劣が戦争における勝敗を決める。そのため、新兵器や自国が使えない戦略や兵器を一方的に敵が使うことは卑劣な行為とし非難する。また、自国が行う合法的かつ巧妙な戦略の「奇襲」や自国で開発されていない新兵器を敵が使えば、卑劣な戦略、兵器として非難する。つまり、どの国も自国が使う可能性がない兵器や戦略(または、使うことができない兵器、戦略)だけを「非人道的な」兵器として非難するのである。

人は勝者の立場を好むため、戦時中の世論は戦況によって左右されることが多い。そのため、戦況が思わしくない時、プロパガンダは自国の被害・損失を隠蔽し、敵の被害を誇張して国民に伝える。例としては、戦争の被害や戦死者・負傷者の数の隠蔽や捕虜の写真を使いまわし、国民にかなりの数の捕虜がいることを錯覚させることなどがあげられる。いずれの陣営もこうした情報で士気を煽り、国民に戦争の行為を説得しようとするものであった。

広告とは人々の心を動かすことが基本が基本であり、同様にプロパガンダも人の心を動かすことが基本である。そのため、⑧の法則が成立する。感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言ってもいい。ところで、感動を作るのは政府の仕事ではない。そこで職業的な広告会社に依頼するか、感動を呼び起こすことが得意な職業、つまり芸術家や知識人に頼ることになる。広告会社は第一次大戦中に誕生したばかりの比較的新しい業種のため、主に芸術家や知識人たちがプロパガンダに利用された。戦争の嘘を感動的な形で広げるためには、詩人や作家の文才が必要だった。

戦争の大義について、国民の支持を決定的にするためには、自分たちの戦争の大義を特別なもの、正真正銘倫理的なものであると信じ込ませる必要がある。このことから、⑨の「我々の大義は神聖なものである」という法則が成立する。この法則は神聖な大義があれば、何があっても守らなくてはならないし、必要ならば武器を手にとってでも守らなくてはならないということである。この「神聖」という言葉は、広義にも、狭義にも使われる。文字通りにとれば、宗教的な意味をもつ戦争はすべて、絶対的の価値を持つ十字軍、聖戦であるということになる。実際、戦争プロパガンダには宗教的な意味合いをもつものが多い。兵士たちはしばしば「神のご加護に」「ゴッド・セーヴィ・ザ・クイーン」といったスローガンを掲げてきた。このことは、現代にも言えることである。また、現代の戦争で言うならば、反民主主義制度に介入することはたびたび神聖な大義、聖なる意味などにすり替えられる。戦争の宗教性については、陣営によって異なる。つまり、自国に有利に働くときだけ、戦争は宗教的な意味合いが帯びるのである。

⑩の法則とは、戦争プロパガンダに疑問や非難を投げかけるものは誰であれ、愛国心が足らないと非難される。むしろ、裏切り者扱いされる。本当は、国家が間違った(つまり、戦争)という方向に向かっている時、その誤った方向を粛正する必要がある。しかし、現代の世界においてそのような行為ができるだろうか。たぶんそれは、不可能だと思われる。なぜなら、新聞やテレビにおいての反戦報道は、視聴率や発行部数の減少などの経済的要因が多々見られ、反戦運動をしている人々(たとえ、それが誰であろうと)には社会的な非難が多く見られる。

以上引用終わり。
近年の戦争におけるマスコミの情報は、ほぼ上記の条件をきちんと満足していることが読み取れます。上記の理由を読めば、その必然性が見えてきます。
逆に言えば、それぐらい徹底的にやり過ぎの洗脳した報道を流さない限り、戦争の大義は成り立たないということです。非常に綻びやすいということです。今やインターネットでそのような綻びの萌芽が多数ありますが、今だ圧倒的にテレビによる世論誘導の方がまだ力を持っている状況です。
これが、金貸しによるマスコミ支配⇒世論支配の構造です。
by復讐の叫び

List    投稿者 gabor | 2008-05-17 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配1 Comment » 

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コメント1件

 svizra hermes bags | 2014.02.03 6:17

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