現在の社会の閉塞感、活力衰弱などは全て権力の腐敗=権力支配が生み出している
衆議院選挙が始まり騒がしいですが、支配構造や社会構造をそのままにして、投票という形だけで済ましてしまう。
その結果何も変わらない。・・・だんだん投票率が下がっていくのも分かる気がします。
国家と市場の構造を追求する、9月2日実現塾の報告です。
テーマ:市場論2.拡大期2
概要
イ.先進国が豊かさを実現した要因=市場蓄積→技術蓄積+大衆主義
|→★中国市場が失速したのはなんで?
| ⇒中国と欧州の商人と支配階級の違い―賄賂(不法行為)と貸付・利息(合法行為)
|→★何で商人は暗記脳の役人に頭が上がらなかった?
|→★力と権力の違い―権力支配が社会閉塞・活力衰弱の原因
↓
ロ.高度経済成長の要因―根底にあるのは縄文体質=集団体質
↓
ハ.アメリカの対日戦略の変遷
★シルクロードの時代、市場先進国だったはずの中国市場が失速したのはなんで?
⇒中国と欧州の商人と支配階級の違い
【欧州】
封建制度=自主管理体制 → 民の生産力=自分達の生活の豊かさ
+常に戦争の危機→借金まみれ
商人にとって同じ「お金を渡す」行為でも、お金を貸し付けて利息を取る【=合法行為】
→圧倒的に金貸し有利
【中国】
科挙→官僚=私的エリート→庶民から搾取するしか考えない=私腹を肥やす
→買収といえど、賄賂を贈る【=不法行為】のが関の山で官僚に頭が上がらない
市場社会に作られた学校制度・教科書では、それ以前の「中世」「封建体制」は悪く、暗い時代として書かれているが、それが大きな騙しの出発点。
幕藩体制・封建体制は優れた国家統合体制=【自主管理体制】だった
→領主は藩・領地を経営していく⇒領民の生活が成り立つように考えざるを得ない
→税金を使っていろんな事業を展開
しかし、【官僚】は法によって与えられた権限をひたすら一方的に行使するばかり
中国の国家体制の本質は科挙による【試験制度】であり、それがいかに恐ろしいかということは、教科書には一言も書いていない。
日本も明治以来国家支配の当事者であり、その支配はますますひどくなっている→国家は暴走・腐敗していく
●試験制度は国民そのものを腐敗させ、国家を腐敗させていく
★なんで商人は受験エリート=私権脳=暗記脳の官僚に負けたのか?
→個々人の能力ではなく、制度によって守られた身分・権限が役人の優位に働いている
=権力とは何かという問題(=国家論のメインテーマ)
力と権力は【力の原理】に立脚しているというのは共通しているが、次元が違うので区分すべき
【力】=武力・資力―本能に近く、直接的でわかりやすい
【権力】=国家権力―法律・共認を媒介に成立しているためにわかりにくい
●【権力】とは?
①法制によって与えられた排他的な【決定権】
ex.)裁判官―物事に白黒つける権限は裁判官にしか与えられていない
警察―庶民が誰かをとっ捕まえたら暴行罪になる
議員―三権分立といいことのように謳っているが、立法権も代議員制では議員の特権
②法制によって与えられた排他的な【自由権】
ex.)学者の学問の自由、マスコミの報道の自由
→それ以外の庶民に対して強力な観念支配という致命的な特権支配
学問の自由、報道の自由という権利を行使する=権力を行使するという構造にある
男女同権や嫌煙権等がもし法的に認められてしまえば、それに当てはまらない人は全て捕まえられてしまう。今やそういう権利・特権が無数に増えすぎてものすごく息苦しい社会になっている。
=自由権の全ては自我の肥大化を促進する
◯軍人は権力いはいらない。国家そのものを作った力=武力そのもの。
国家の原点は武力統合=力の序列で統合された集団
30~100人程度なら本能的な武力統合で統合可能だが、1000人~になってくるとそれだけでは統合できない
⇒法制共認―法律を作って武力を背景にして強制的に従わせる
→戦争がなくなってくるとそれだけでも統合しきれない
⇒法制共認に残る不満を納得させる宗教共認が不可欠(だからローマ帝国はキリスト教を必要とした)
【力(本能)→法制(共認)→宗教(観念)支配】で集団は統合されてきた
まずは本能的な力の原理⇒法制共認⇒最終的には観念共認が不可欠
(今、近代観念が崩壊=観念共認が崩壊した→どっちにいくかわかったもんではない⇒新しい認識の必要)
今まで力の支配というと、【力】そのものを専ら問題にしてきた
(ex.現代の制覇力=資力⇒市場を問題にしてきた)
現在、【武力支配】は平和共認で風前の灯火
【資力支配】は私権の終焉で崩壊目前(ロスチャの崩壊で20年以内)
しかし、それらの力が消えても、【国家権力支配】は消えない。
●現在の社会の閉塞感、活力衰弱などは全て権力の腐敗力=権力支配が生み出しているのではないか
⇒まやかしの市場支配など決着がつきつつある世界から一刻も早く脱却して、本丸の国家権力どう解体するか?という問題に全精力を集中していく必要がある
まさに、学校権力は国家権力の一つの象徴
「市場どうする?」が一番の問題だと思っていたが、今や違うのではないか?
なんであれ問題の全てを市場に押し付けて責任を逃れようと官僚が画策している節もいっぱいある
実際お上批判・官僚批判がちゃんと機能していれば、現代の学生に公務員志向なんて出て来る訳がない
権力支配は野放しにされている
<権力支配⇒試験制度の腐敗構造>
・官僚は権限行使するしか能がない=アホでもできる
⇒封建体制=自主管理体制を再生する必要がある
・官僚は試験制度=ペーパーテストで選ばれる→暗記脳=追求力0
+特権身分を手に入れるのを動機にして勉強→私利私欲で動く
・試験制度→現実世界を知らない人ばかりになる
学校=現実とは全然違う世界からそのまま官僚の世界に入る
現実世界を知らない人が法文を解釈する、政治やっている→どこまで狂うかわからん
教師が幼稚な知識教える→まともなことはなんも喋れない
●試験制度批判の中心ポイントは社会を知らない人間が権限だけを行使している=異常であるという論点になるだろう
⇒どう突破する?=必要条件としての答えは【参勤交代制】
例えば3年毎になんの排他的権限も与えられていない、普通の仕事に戻る
かつ、最末端の共同体によって推薦された者にしかなれない
試験制度なんてやめて、末端共同体で働いてみんなをまとめる力を持つものがそういう役割につく
あとは何年でそこまでいけるのかという問題だが、
そのスピードは追求力ある人間がどれだけ新しい認識を出せるか、それを広められるかにかかっている
市場が一番大事という認識そのものがだまされていたのではないか、国家論の方が大事じゃないかという視点が出てきた。
「国家を超えたものが市場である」という感覚だったが、市場の恐ろしさは消えていくのに対し国家権力の腐敗は最後まで残ったまま
国家論をそういう視点で徹底的に捉え直す必要がある。
・・・続く
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