2012年03月22日

江戸時代の思想7 イエという経営体(共同体)を母胎に観念追求がなされた江戸時代

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「明治以降の支配者の意識がどう変わったのか?」を解明する前提として、明治以前はどうだったのかを把握する必要があります。そこで、江戸時代の思想を手掛かりとして支配者と庶民の意識を明らかにする。そういう目的意識で「江戸時代の思想」シリーズを始めました。
調べてゆくと、江戸時代には(支配階級だけでなく庶民も含めて)様々な思想家が観念探索をしていたことがわかってきました。
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『概説日本思想史』(編集委員代表佐藤弘夫 ミネルヴァ書房)「近世の思想:概説」から引用する。
1.近世社会の特質

●中世までの人々は、恐ろしい物の怪やおどろおどろしい怪異の力、人知を超えた神仏の霊異の中に生きていた。合理的な思考や人生の冷徹な観察も、そういう怪異・霊異の世界の中で、それを前提にして獲得されていた。しかし中世の後期から近世にかけての巨大な社会変化は、世俗生活の意味を決定的に大きくし、怪異や霊異の力を呑み込み、周辺に追いやっていくことになった。
ここで言う世俗生活とは、職業を持って継続的に家族生活を営み、子や孫の成長を楽しみとし、近親の者の死を見取り、ほどほどの娯楽を味わい、自分たちの生活の安定や向上を何よりの価値として生きることである。そういう俗塵の中の暮らしは、迷いや執着として否定されることなく、積極的な意義を持つ生き方として肯定された。
宗教をはじめ政治や経済など、人間の活動のあらゆる領域が、この世俗生活の側から位置づけられるようになる。世俗生活の円滑な持続のためには、社会に安定した秩序が保たれなければならない。その秩序は、超越的な宗教的世界から説明されるのではなく、世俗生活にとってそれがどのような意味を持っているのかという点から説明されるようになる。
近世に始まって今日に至るこのような傾向を、世俗的な秩序化と名付けることにしよう。近世の思想を理解するには、まず世俗的な秩序化の構造を知る必要がある。

●世俗的な秩序化-宗教
世俗的な秩序化の進む社会で、宗教は消えてゆくのではない。
宗教が、世俗生活によって意義づけられるのである。
宗教には、地上の権力や権威を相対化させる契機が備わっているが、日本史上それが最も激しい政治闘争として現れたのが、中世末期の一向一揆や法華一揆であり、近世初頭のキリシタン一揆(島原の乱)であった。近世の統一権力は、これを徹底して壊滅させることで確立するのである。信長・秀吉・家康らは、それどころか自らの神格化のために、宗教を効果的に懐柔し利用しようとした。激しく地上の権力と衝突した宗教的なエネルギーはこうして後退させられ、徳川幕府の定めた寺請制・檀家制をはじめとする巧妙な統制政策によって、かつてのエネルギーは完全に摘み取られてしまった。
キリシタンと少数の異端(日蓮宗の不受不施派など)は徹底して弾圧されたが、それ以外の宗教活動は、幕府の定めた秩序の枠から出ないかぎり比較的自由であった。
檀家制度によって、霊的な呪力に満ちていたおどろおどろしい加持祈祷も、イエの平安のためのものに変わり、各地の寺社への参詣は、人々の信心の確認であるとともに、娯楽を兼ねた物見遊山の旅にもなってゆく。かつて親鸞は「父母の孝養のために念仏を唱えたことは一度もない」と語ったが、世俗的な秩序化は、現世の道徳(孝養)から隔絶した親鸞のような宗教意識をはるかに遠いものとして、イエを単位とする宗教を日本社会にもたらした。

世界の古代宗教や近代思想は現実否定に立脚した観念であり、「あるべき理想像」という観念を「絶対正しい」として、そうでない現実を否定する。
それに対して、江戸時代に展開された思想は、あくまで現実世界を肯定しており、現実世界に立脚して、そこから仏教・儒教といった輸入された既成観念を再解釈し、組み替えていった。
例えば、石田梅岩は、儒学(朱子学)の倫理を組み替えて商人道徳(正直・倹約・勤勉)を説いたが、元々の中国の儒学(朱子学)は科挙官僚の正当化観念であって、商人とは縁もゆかりもない思想である。それを、江戸時代の庶民の現実に立脚して再解釈し組み替えたのである。
『るいネット』「朱子学、大衆には「こころを磨く」と説き、「道徳」「商人の道」、天道より「人道を尊重」と説く」  
そして、このような江戸時代の現実肯定の思想を生み出したのが「イエ」であった。
この「イエ」とは、江戸時代の現実そのものとも言えるが、どのようなものだったのか?

●世俗的な秩序化-イエ
士農工商という身分の相違にかかわらず、人々の生活はイエを単位に営まれ、芸能の世界で擬制的なイエ制度(家元制度)が確立していった。そこでのイエは、中国や朝鮮の「家」が男系の血縁集団であるのとは異なり、家職・家業や家産・家名などの維持と発展を目的とする経営体としてのイエである。経営体としてのイエの特質を示すものは独特の養子制と隠居制であって、イエの維持と発展のために、優れた後継者を養子として迎える一方、活力の衰えた家長は隠居として退くのである。
こうしたイエの構造は、近世の思想、特に身分ごとの思想の根底を規定している。たとえば中世の武士には、同輩に後れをとらない覚悟、同輩から軽蔑されない強みを持つという精神的な伝統があったが、近世の武士の前にあったものは、そういう伝統的な価値観と、自らの軽挙妄動によってイエを滅ぼしてはならないという要請との葛藤であった。町人や百姓も、それぞれの世俗生活に即した独自の思想を作ってゆくが、根本にあるのは、代々の暖簾を守るとか、先祖伝来の田畑を守るというような職業倫理としてのイエの観念である。

つまり、日本のイエとは、経営体・生産体である。そこで何よりも大事なのは家業が存続し発展することであって、血統は二の次である。これが、父系の血縁の存続を絶対課題とする中国や朝鮮の父系観念と全く違う点である。あるいは、明治初年に洋行から帰国した森有礼は「実は、血統を重んじるのは欧米人の方だった」と記している。
つまり、日本における経営体・生産体としてのイエは共同体の末裔であって、中国・朝鮮や西洋の父権血縁集団とは似て非なるものである。イエとは江戸時代の共同体企業(家業)であると言っても過言ではないだろう。
また、西洋や中国・朝鮮の思想の担い手が観念思考の専門家(プロ)であるのに対して、江戸時代の思想家の多くが専門家ではなく、本居宣長をはじめとして生業の傍ら思想を追求していたことも注目すべき点である。
これは西洋や中国・朝鮮では「私権時代に始まった観念思考の専門家たち(=統合階級)の作った観念は、一貫して大衆を観念支配するための観念であった」のに対して、江戸時代の思想がイエという経営体・生産体を母胎とし、イエを存続し発展させていゆくという現実の課題意識と直結していたことを示唆している。

●世俗的な秩序化-商品・市場・民族意識
近世の思想は、様々な書物の流通によって支えられた。木版印刷の技術の向上によって、京都や大坂、江戸で書物をめぐる市場が成立し、知識が商品として流通する時代に入る。これは、あらゆるものが商品化されて市場に乗せられていく近世の趨勢の一つであるが、この趨勢は、学問や思想の社会的な形態を一変させた。
それまでの口伝や家伝、師から弟子への秘伝といった閉鎖性が打破されて、知識の公開性・公共性が高まったのである。書物を通じての知識の獲得は、一部の上流階級や僧侶をはじめとする知識人の特権ではなくなった。それをうけて、実用的な学問の需要も急速に高まっていく。
全国的な市場の確立は、安全な交通秩序の維持と一体のものである。参勤交代をはじめ人々の移動も活発になって、人・物・情報のネットワークが飛躍的に発展した。そうした中で、地方の豪農や医師などの知識人の文化的な実力が高まってゆく。
中国や朝鮮の思想の担い手が、科挙官僚という読書人に限られるのに対して、近世の日本では、担い手が各身分に分散して多様である。読書を専らにする者、古典の詩文を操れるものが、人間として優れているという科挙社会の価値観は、そこには生まれない。本居宣長が木綿問屋の生まれで、地方都市の医師として生計を立てていたことは、示唆的な事実である。
全国市場の確立は、民族意識の形成を促した。身分の秩序は確かに厳しかったが、同時に、士農工商はそれぞれの仕方で互いに社会を支えるものだという社会観も共有され、近世後期になると、教育の普及と識字率の高まりもあって、「日本人」というアイデンティティは、いよいよ深く人々の中に根づいてゆく。
かつてあった中国へのコンプレックスは、<満州族の支配に甘んじる文弱の中国>という印象に取って替わられる。「日本人」という確たるアイデンティティと自分たちの民族を中心とした秩序意識は、近代の国民国家の構築を、他のアジア諸国よりもスムーズなものにさせたことは間違いない。

日本では江戸時代の幕藩体制によってはじめて国家統合・市場統合が実現されたと言ってもよい。
ところが、社会統合が実現されたにもかかわらず、日本には自前の社会統合観念はなかったと言ってよい。
そのため、徳川幕府は統合観念の代わりに儒学・仏教・天道思想といった様々な既成思想(輸入観念)を組み合わせて、統合に利用した。
社会統合観念がなかったにもかかわらず、社会統合が実現されたのは、日本人の縄文体質→共認体質→秩序収束故であるが、統合観念がないが故に、人々の間に統合観念期待が醸成されていたのではないだろうか。
また、共同体イエの存続・発展のためにも安定した社会秩序(統合)が保たれなければならない。従って、社会を統合する観念の追求が最先端課題となる。
このような、イエという共同体を母胎にした現実の課題意識(→社会意識)を元に、江戸時代の思想家たちは社会統合観念を追求したのではないだろうか。

それが江戸時代に様々な思想が登場した理由ではないだろうか。
2.近世思想の骨格

●近世思想のキーワード-「理」
近世の世俗的な秩序化を主導した思想的なキーワードは、何だったのか。
主導とは、ある時にはそれが思想世界をリードし、ある時にはそれへの反発が新しい思想を生み、またその反発を受けることでそれが再生してゆくというような、思想のダイナミズムの主軸という意味である。
中国の明~清王朝、朝鮮の李王朝では、朱子学が体制の根幹を支えていた。朱子学の「理」は、究極根源の一理として天地宇宙を統べるものであるとともに、人間・社会・自然の万事万物に普く内在する道理・理法とされる。
近世の日本でも、朱子学は、修身(自己の感性)と治国(政治の安定)を、あるべきように統一的に実現させる新しい思想として歓迎された。但し、近世の日本では、その形而上的な思弁よりも、人の生き方に直接に響くような思索が好まれた。人倫と呼ばれる倫理的な規範としての「理」が、特に重んじられたのである。近世の日本が世俗的な秩序化を進める時、あるべき秩序(例えば、君臣の理や父子の理)の模索において、朱子学の「理」が大きな指針となった。
しかしそれは、中国や朝鮮の朱子学のような特権的な位置、体制のイデオロギーとしての性格を日本の朱子学が持っていたということではない。幕府の与えた秩序の枠の中では、いろいろな宗派の宗教活動が比較的自由だったように、朱子学をはじめ、多様な思想や学問が互いに主張しあっていたのである。伊藤仁斎や荻生徂徠によって、朱子学の「理」の硬直性・観念性に対する批判は本格化するし、本居宣長にいたれば、儒学そのものの「理」の過剰が公然と批判されるようになる。

江戸時代の思想家たちは、まず仏教や儒学といった既成観念から学び始めるが、既成観念を次々と全否定してゆく。まず山崎闇斎らは禅仏教を否定し、次に伊藤仁斎や荻生徂徠は朱子学を否定し、本居宣長は儒学そのものも否定し、富永仲基に至っては儒学も仏教も神道も全否定する。そして、江戸時代の思想家たちは独自の思想体系を構築していった。

にもかかわらず「理」の思想は、近代の思想を主導してゆく。
それは、限定的に朱子学の「理」というよりも、もう少し緩やかな、物事の法則や筋道を人間の知的な営みによって明らかにしてゆく感覚である。
そういう「理」は、近世に発展した諸領域の学問、具体的には、和漢にわたる実証的・考証的な学問、蘭方・漢方の医学、博物学や和算・農学といった実学、経世済民のための様々な実学を根底で支えている。
他方で、外れてはならない人の道、武士ならば武士のあるべき在り様があるという人間観の根底にあるのも、この「理」である。
「理」は、物の理の探求という面で近世の学問・思想の発達を支え、心の理の探求という意味で人々の自己形成を促した。
近世の前期までは、禅を中心とした仏教が、人間の自己中心性の克服という課題に最も深く切り結んでいた。しかし禅仏教は、その課題を唯心論的に追い込み、世俗生活(人倫)の意義づけや、世俗社会の秩序をどうただしてゆくかという問題と心の問題を結合し統一的な解決をもたらすことができなかった。
近世前期の「理」の思想は、世俗生活(人倫の中での生)を正しく意義づけることが自己中心性(私欲)の克服への道だとして、禅仏教を乗り越える。近世中期になると、禅仏教との対抗という要素は後退し、職業を中心に、より具体的な世俗生活の場面に即した人としての在り方が探求されるようになる。人倫としての「理」が、一般論ではなく、自分にとってどうなのかという問い詰め方をされるのである。
近世後期は、教育の爆発的な普及によって、庶民の間にも「理」に支えられた自己形成への要求が強まっていった。あるべき自己(規範)と現在の自己との距離を埋めようとする努力が、いろいろな形をとりながら一般化されるのである。それはまさしく自己自身の秩序化である。生真面目とも云えるこういう要求なしには、幕末維新期の民間での政治的動向や、黒住教・天理教・金光教をはじめとする様々な民衆宗教の成立、その教勢の拡大は理解できないだろう。

「儒学を体系化した朱子学」でも書いたように、朱子学において「理を窮める」とは結局、書物(『四書五経』)を読むことであり、現実とは断絶していた。それに対して、江戸時代の「理」とは、あくまでも現実の自然世界や人間世界の「理」を明らかにしようとしていたのである。
そして、その観念追求は決して一握りの思想家たちのものではなく、庶民全体がそこに収束し、観念追求していたようである。江戸時代から日本人の識字率が世界の中で異常に高く、『塵劫記』という和算書が、江戸時代のベストセラーかつロングセラーになったのも、その一例ではないだろうか。
こういう課題意識で以て、江戸時代の思想を紹介してゆく。
そこから「日本人はいつモノを考え始めるのか?」のヒントが導き出せればと考えている。
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List    投稿者 staff | 2012-03-22 | Posted in 04.日本の政治構造6 Comments » 

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コメント6件

 通りがけ | 2013.04.01 16:38

「宮内省即時解体役人全員懲戒免職は安倍ノ責務!」
逆臣、羽毛田http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-4149.html#cm
日本国と日本国民の象徴であらせられるいとやんごとなき今上陛下とご一家ご家族を、たかが下賤な生まれ育ちの公務員の分際でかように傲岸不遜に説教たれるなど、もってのほかの慮外者、大逆不敬の破廉恥外道げす下郎である。
地位協定破棄せずとも元々日本国憲法に規定がない宮内省などいつでも省庁まるごと廃省廃庁できるのだ。
おそれおおくもおおみこころで世界平和をお守りたもう今上陛下から日本国総理大臣の大命をたまわり拝し奉った安倍総理は直ちに宮内省解体を閣議決定し即日宮内省役人を全員懲戒解雇せよ!これは日本国籍を持つ日本人が何をおいても真っ先にやらねばならぬ憲法上の責務である。
安倍ノ醜スよ。今すぐやれ!

 たこすけ | 2013.04.02 0:03

こんばんわ。
いつも楽しみに拝見させて頂いております。
ここのサイト主様があまりにも気の毒なので、
どうか拡散支援させて下さい。
http://blog.goo.ne.jp/toip_hokkaido/e/6d677ffe9b3a52084377c993405b2b73
真摯な市民の意見に対して、こんな不誠実な回答をする議員。
どう思います??

 Cheap Oakley Jupiter | 2013.08.22 19:47

日本を守るのに右も左もない | TPPの正体4 TPPに参加すると、日本はどうなるのか?

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