2011年09月30日

民主主義の全否定5~大衆を私益第一の傍観者たらしめて支配するのが民主主義である~

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 前回の民主主義の全否定4~主権在民三権分立の欺瞞~では、民主主義や民主制は軍産連合体(その裏に居る金貸し)の情報支配力(マスコミや教育)によって神話化するまでに礼賛され、彼らの都合が良いように利用されているということを扱いました。
 
 今回は、具体的にどのように大衆を操り支配してきたか、というところを見てゆきたいと思います。
いつもありがとうございます。
  
  

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チョムスキーの著『メディア・コントロール』(1993年)から引用します。
○初期の世論操作

 近代政治において最初に世論操作を行ったのは、1916年に「勝利なしの平和」を綱領に掲げて大統領に就任したウィルソン政権である。当時国民は極端な平和主義者で、ヨーロッパ戦線への参入など全く考えていなかった。そんな中で、戦争に加担することを決意したウィルソン政権は、その国民の態度をどうにかして変えなければならなかった。そこでクリール委員会と呼ばれる政府の世論操作委員会を設立して、平和主義だった国民を、6カ月後にはドイツ人をバラバラに引き裂き、参戦によって世界救済を願う病的なまでの主戦論者に変えたのである。ウィルソンを積極的に支持したのは進歩的な知識人達である。国民を恐怖に脅えさせ、狂信的なまでの主戦論を導き出すことで戦争に駆り立てた。以来、国家政策の世論操作は、知識層に支持されれば大きな効果を上げるという教訓を得たのである。

○傍観者としての民主主義

自由民主主義の理論家や報道関係者は、初期の世論操作の成功に大きな影響を受けた。その一人が、米国人ジャーナリストの最高峰であり、評論家でもあったウォルター・リップマンである。世論操作委員会にも加わったリップマンはこの成功を見て、「民主主義のなせる技である革命」を利用すれば「合意の捏造」が可能であると主張した。つまり世論操作という手法によって大衆が望んでいないことを承諾させることができ、またそうすることが必要だと考えた。なぜなら大衆には公益が何であるかが分からず、それを理解し、管理できるのは少数エリートの「知的階級」だけであると言うのだ。

リップマンはこの主張を進歩的な民主主義の理論でさらに裏付けた。正しく機能している民主主義には階級ができる。そして物事を分析、実行し、意思決定を行い、政治、経済、イデオロギーのシステムを動かす少数の特殊階級が、残りの人々をどうすべきかについて話し合う。そして、残りの大多数、つまりリップマンの言う「烏合の衆」の雑踏や怒号から自分達の世界を保護するのだ。烏合の衆の役割は民主主義社会における「傍観者」である。民主主義を掲げるからには、烏合の衆にも選挙によって特権階級の一人を自分達のリーダーとして選ぶことが許されている。しかしそれが終われば、また単なる傍観者として引っ込むのである。これが正しく機能している民主主義なのである。

われわれ(特別階級)はとまどえる群れを飼いならさなければならない。とまどえる群れの激昂や横暴を許して、不都合なことを起こさせてはならない。これは3歳の幼児に一人で道路を渡らせないのとまったく同じ論理である。面倒を起こすに決まっているのだから。
そこで、とまどえる群れを飼いならすための何かが必要になる。それが民主主義の新しい革命的な技法、つまり「合意のでっちあげ」である。
 
1920年代から30年代初期に、近代コミュニケーション分野の草分けで政治学者でもあったハロルド・ラスウェルは、大衆が公益の最良の審判員だとする民主主義の通説に屈してはならないと説いた。彼いわく事実はその逆で、自分達こそ公益を一番良く理解しているのであり、単純な道徳心から、一般人が間違った判断に基づいた行動を取ることがないようにしなければならないというのである。これが全体主義や軍事国家であればことは簡単である。棍棒を振り上げて、少しでも言うことを聞かなければそれで殴りつければよい。しかし、社会がもっと自由で民主的になるとそうはいかなくなる。そこで世論操作という手法が必要になる。つまり民主主義では世論操作が、全体主義における棍棒なのである。

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 金融資本→国家による世論操作に利用されたのが知識人たちであったということだ。現在につながる知識階級を使った世論操作の原型がここにある。
 
 
 そして、世論を操作するために大きな力となったのが、財閥に支配された広告業界(マス・メディア)であり、大衆を完全な傍観者に仕立て上げたのであった。

 
 再度、チョムスキーの著『メディア・コントロール』(1993年)から引用します。

広報業界の大立者、エドワード・バーネーズは、クリール委員会の出身である。彼はそこで教訓を学び、後に「合意形成工学」なるものを発展させた。彼によれば、それが「民主主義の本質」なのだという。合意の形成を工作できる人々は、それをするための資源と権力をもつ人々、すなわち財界人であり、残りの人々は彼らのためにひたすら働くのである。
 注)クリール委員会:第一次大戦開始時、アメリカ世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。ウッドロー・ウィルソン政権は、アメリカを戦争に導く為に政府主導の宣伝委員会「クリール委員会」を設立。半年足らずで、平和主義の世論をヒステリックな戦争賛美に転換させた。
 (参照『メディア・コントロール』)

広告業界の役割は正しい価値観を植え付けることであり、彼らの考える民主主義社会とは、社会を支配する特殊階級と、組織化の手段を奪われた残りの国民からなる社会なのである。一般大衆はテレビの前にじっと座り、人生で大切なのはたくさん物を買って、テレビドラマにあるような裕福な中流階級のように暮らし、調和や親米主義といった価値観を持つことだ、というメッセージを頭の中に叩き込まれていればよいのである。
民主主義にとってはこの烏合の衆が問題なのである彼らが大声を発し、じたばたし始めないように彼らの関心をどこかよそへ逸らさなければならない。彼らはスーパーボールやテレビドラマを見ていればよいのである。そして彼らを襲う悪魔の存在を信じさせておかなければならない。そうでないと考え始めるかもしれない。それは危険だ。なぜなら彼らは考えるべきではないからである。

大衆はテレビの前にぽつねんと座って、頭にメッセージを叩き込まれていればよい。テレビはメッセージを繰り返す。人生の唯一の価値は、もっとモノを所有し、お前が見ている裕福な中流家庭のような生活をして、社会調和とかアメリカニズムのようなすばらしい価値観をもてることだ。人生にはそれしかない。

彼らを常に怯えさせておくことも必要だ。自分たちを破壊しにやってくる内外の様々な悪魔を適度に恐れ怯えていないと、彼らは自分の頭で考えはじめてしまうかもしれない。それは大変危険なことだ。そもそも彼らには考える頭などないのだ。

それ以後、アメリカは驚異的なほど財界が牛耳る社会になった。・・・・メディアは企業の占有物であり、いずれも同じような見解をもっている。二大政党といっても財界という党の二つの派閥にすぎないのである。国民の大半は投票にも足を運ばない。彼らは社会の動きから取り残され、うまいこと関心をそらされている。少なくとも、それが支配者の狙いなのだ。

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ここには、非常に重要な大衆操作の原則がいくつか書かれていると思う。
 
①大衆はテレビの前にぽつねんと座って、頭にメッセージを叩き込まれていればよい。
 →コントロールする側から、絶えずそうして圧倒的な情報量で、私的充足こそ最高価値であるとする観念を刷り込まれ、それが当然のように思いこまされていく。

 
②彼らを常に怯えさせておくことも必要だ。
 
中南米やベトナム、最近では湾岸戦争やイラク戦争など、アメリカが参戦するとき国内にむけて敵の虚像が作り出され(ex大量破壊兵器、悪の権化フセインなど)、TVで放映されて、大衆の敵意を煽っていく。しかしフセインを作り上げたのはアメリカであり、大量破壊兵器もでっちあげだった。大衆を戦争に引きずりこむために悪魔を自分で作り出していたのだ。「平和のため」「侵略者のための防衛」というおかしな論理が成立する。
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 『メディア・コントロール』でも取り上げられている、米国人ジャーナリストの最高峰であり評論家でもあったウォルター・リップマンはその著『世論』(1922年)で、民主主義の基盤となる国民の世論はマス・メディアの支配下にあり、そこでは3つの階級に分かれていると述べている。
  1.「真の」権力者:支配的な財閥
  2.第一の市民階級(特別階級):政治家、官僚やマスコミ、経営者
  3.一般の人々(大衆)

 
 大衆は社会の公益を理解できないアホと見なされ、アホな大衆を傍観者とすることではじめて民主主義が正しく機能されるとされた。そこで大衆を傍観者たらしめる武器がマスコミによる世論操作である。これが20世紀の民主主義の基本的な枠組みだったのだ。
 
 こうして世論形成(共認形成)の場から除外された大衆は、私生活第一の価値観を植えつけられ、私的な充足に埋没していったのである。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。それが20世紀の民主主義制度が正しく機能する上での不可欠の条件だったのである。
そして、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化し、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化していった。
しかし、忘れてはならない。大衆を洗脳し無能化させていった先兵は、金貸しが生み出した知識階級=学者や評論家やジャーナリストであることを。

 
 大衆は「とまどえる群れ」である。彼らは「観客」にとどまることが理想であり、唯一参加できる行動は「特別階級の知識人」を選ぶ(選挙)することに制限されていたのである。
 
 このような「観客(傍観)民主主義」…その実現のために大衆をそのように導くこと、それが統合階級の考えである。この民主主義とはまさに全体主義ではないか。その実現=彼らの公益=私権獲得のために世論操作が今でも行われているのである。
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List    投稿者 pandaman | 2011-09-30 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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