2009年08月08日

<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No4 ~大衆意識が変わっていく過程と大正デモクラシー~

<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No3~戦争を原資に消費者としての大衆が登場する~
のエントリーを受けて、NO.4では大衆意識が変っていく過程を押さえてみたいとおもいます。
明治の富国強兵以降、日清・日露戦争を経て、日本は西欧諸国に続く列強国になっていきます。
そして第1次世界大戦により、輸出増による景気UP(市場拡大)、財閥の台頭により、都市に私権獲得の可能性が開かれて農村から多くの人口が都市へ移動します。
    
その結果、都市消費者の増大と物価上昇、それにシベリア出兵を宛て込んだ買占めに起因する米の値段の高騰し、結果都市住民を中心とした米騒動が勃発します。
しかし1次大戦以降軍縮の方向に転換したヨーロッパ市場は急速に縮小し、大戦景気で潤っていた日本もその影響を大きく受けることになります。
その後、世界恐慌や関東大震災に見舞われた日本は、再び市場拡大に向けて中国や満州(関東州)に輸出を大きく増やしていくことになります。          
満州への移民も含めてこれまで農村で暮らしていた人々にとっても、一気に私権獲得の可能性が開かれた状況になっていきます。                           
そして彼らの要求は私権獲得に向けられ、これが社会共認へとなっていくなかで、新しい支配階級の先導による護憲運動へと進展していくことになるのです。
 
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<私権獲得の可能性が開かれた>
以下、 「民衆文化から大衆文化への歴史的・物質的条件について」から引用

2.大正期における大衆文化出現の前提条件
一般に、大衆が形成される時代背景として、農耕社会から産業社会への移行をともなった農村部から都市への人口流入、都市における労働者階級の成立を前提にするが、大衆社会の出現はそれにくわえて、資本主義システムを維持する官僚化、商品の大量生産・販売・消費による生産様式の画一化、情報資本として発展するマスコミ・交通資本の発達を4条件とし、その結果、よりいっそうの都市化と都市中間層の増大と地域社会の弱化をもたらし、官僚化の進化にともなうパワーエリートに対抗する大衆デモクラシーの発現を生み出すものとされる。
          
 いわば大衆は、民族・言語・文化の「統一」を目指す近大国民国家形成期の途上に出現したのである。このような大衆の出現は、それ以前の「民衆」とは明確に区別されるものであり、資本主義システムの中核であるブルジョアジーによって、独占されつつあった富の再分配と労働者の長時間労働から効率的労働への待遇の変遷に対応するものである。
     
 ブルジョアジーと労働者階級の力関係は、時の政府の政策に直接反映され、大衆の生活水準の向上、国民教育の普及、余暇時間の増加、精神的富の低廉化、知識・教養・情報の一般化など、大衆文化発現の5条件を推進することになる。
(中略)
こうした「産業化」は、東京大正博覧会(1914)によって、巨大都市計画とともに、来るべき未来都市の庶民生活を豊かにするイメージと結びついた。産業化は、生活品にも新しい波をおよぼしたのである。

  
1次大戦による高景気と財閥の台頭により、市場が拡大して都市へ人口が集中していく中で、都市住人は都市労働者あるいは市場の消費者としての大衆に変貌していきます。
また日本は1次大戦以降、急速に縮小したヨーロッパ市場の代わりに、中国や満州(関東州)に市場拡大の矛先を転換し、再び輸出拡大を図っていきます。 (NO.3輸出グラフ参照)
そして満州への移民も含めて農村で暮らしていた人々にとっても、私権獲得の可能性が開かれた状況になっていくのです。
        
            
<大衆意識の転換>
一方、都市住民の要求も私権獲得に向けられ、これらが社会共認へとなっていくなかでジャーナリズムによる先導の中、護憲運動へと要求運動が進展していくのです
 
以下、「民衆文化から大衆文化への歴史的・物質的条件について」から引用

8.日本における大衆の二面性について 大衆文化の歴史的前提
以上みてきたように、日本における大衆の原像と大衆社会は、大正時代に基礎がつくられたとみてよい。それは、資本主義生産システムによって生み出された「豊かさ」を背景に、階級社会に多様な階層を作り出したのである。皇族、貴族、官僚、資本家(財閥)、豪農、政治家と民衆(貧農、漁民、職人、商人、細民)の間に、大衆文化を享受する都市型新中間層である大衆(産業労働者、教員、警察官、銀行員、新聞・雑誌記者など)が生み出されたのである。
 しかし、そのシステムを導入してもなお、貧困を克服できない資本主義の問題は、民衆精神を大衆社会に引継ぎ「米騒動」から「大正デモクラシー」の運動を呼び寄せたのである。
大衆は一般的に、経済的繁栄下においては、消費享楽的な生活をおくる傾向を持つが、米騒動にみられるように、経済的困苦下においては民族的な蜂起をおこす二面性をもちあわせている。
 「米騒動」を機に、ジャーナリズムが国家権力に屈し、治安維持法が制定されることで、日本における健全なジャーナリズムの芽は摘み取られてしまったが、米騒動から治安維持法制度まで国民国家形成後半期には、在野ジャーナリズムとアカデミズムの合作のなかから大衆デモクラシーの精神文化について議論がおき、知識人、農民、労働者を結びつける思想としての「民本主義」が大衆層に浸透していったのである。

大正デモクラシーとは、市場拡大による私権獲得の可能性を背景に、新しい支配階級(財閥)が旧い支配階級(藩閥)を打倒するための「錦の御旗」として大衆を巻き込んだ、都市住民の要求運動であるのです。

List    投稿者 kaz-tana | 2009-08-08 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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コメント1件

 light coffee hermes bags | 2014.02.01 12:38

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