中国どうなる!? 12 中華人民共和国建国の背後にアメリカ 金貸しの誘導には乗らない中国
中国どうなる!? 12 中国の社会福祉政策の歴史と今後の展望
中国どうなる!?シリーズ12回目では、「中華人民共和国建国の謎」について、共産国成立の裏側を見ていきたいと思います。
今後の中国と支配勢力の関係における追求の土台になる認識です。
続きを行く前に応援よろしくお願いします。
中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東『現代における中国と欧米の金貸し(国際金融資本)の関係について(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=294804)』では、毛沢東政権(共産主義)以降の歴史のながれが読み取れます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1949 中華人民共和国成立、国民党は台湾へ
1950 中ソ友好同盟条約、朝鮮戦争(53年まで)
1953 スターリン死亡(側近による暗殺)
1958 人民公社設立、大躍進政策
1962 中ソ対立
1965 ベトナム戦争(73年まで)
1966 文化大革命
1971 林ほう、クーデター未遂
1972 ★米中共同宣言
1973 D・ロックフェラー訪中
1972 周恩来、毛沢東没す。第一次天安門事件→文革の終了
1979 アメリカと国交正常化
1980 沿岸部に経済特区
1989 第二次天安門事件、ベルリンの壁崩壊
1991 ソ連崩壊
2001 上海協力機構設立
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1972 ★米中共同宣言のあと、ニクソンショック
第二次世界大戦(1939~1945)では自由化(市場化)を拡大する為に戦ってきたにも関わらず、アメリカによる中国共産党支援はどういう意味のでしょうか?
1949年に共産主義中華人民共和国が成立した経緯について、把握しておく必要がありそうです。
以下、中華人民共和国建国経緯の謎について「国難の正体:馬渕睦夫著(http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784862860651)」から引用します。
(以下引用)
「中華人民共和国建国の謎」
東西冷戦の欺臓を理解する上でもう一つのカギは、中華人民共和国建国の謎です。私たちは学校の授業で、アメリカは自由と民主主義のために第二次世界大戦を戦ったと習いました。しかし、読者の方々は、そのアメリカが第二次大戦での多大な犠牲にもかかわらず、自由主義と資本主義の敵である共産主義が戦後中国を支配するのを許してしまったことに、何か割り切れない感情を抱かなかったでしょうか。なぜ、第二次大戦後の中国内戦において、軍事的に劣勢な毛沢東の共産党軍は強力な蒋介石軍を破ることができたのでしょうか。そもそも、蒋介石の国民党軍が日本軍の進撃によって首都南京を追放された(一九三七年)にもかかわらず、なおも蒋介石に重慶に居座らせて日本との戦闘の継続を強要したのはアメリカです。通常首都を明け渡すということは降伏を意味します。日本政府は南京陥落後蒋介石に対し和平提案を行いますが、蒋介石は引き伸ばし作戦に出て、事実上拒否します。業を煮やした日本政府は「蒋介石を相手にせず」との声明を発し、和平交渉は頓挫してしまいます。蒋介石の背後にいたアメリカは、あくまで蒋介石に日本との戦争を継続させたのです。それはなぜでしょうか。
アメリカの戦略が蒋介石を日本との戦争で疲弊させて、中国を共産主義者に売り渡すことにあったからではないでしょうか。そうでなければ、アメリカのドノヴァンOSS(戦略事務局。CIAの前身)長官が延安の中国共産党に大量の武器や物資を送り、中国の共産化を支援した理由がよくわかりません。ちなみに、このように援助された武器を毛沢東は日本軍との戦いには使用しませんでした。専ら共産党軍の武装強化に努めたのです。
他方、大戦後の国共内戦時にトルーマン大統領の特使として中国に派遣されたアメリカのマーシャル将軍は、国民党への武器援助の実施を遅らせ、中共軍との即時停戦を主張して、中共軍の建て直しのための時間稼ぎをしました。圧倒的に優勢だった蒋介石に弱体の共産党とのいわゆる国共連立政権を強要したのです。
(中略)
もし、蒋介石政府が共産党軍の制圧に乗り出したら蒋介石政府への支援を打ち切るというのです。アメリカ政府は中国軍同士の争いに決して関与しない。そして、中国領土内では反乱軍に対抗する中央政府(蒋介石政府)の活動も支援しない。マーシャル指揮下の統合参謀本部はもっと明確です。蒋介石が強引に共産党征伐を進めたら、それを悪とみなして支援を打ち切るだけに留まらず、中国に統一政府を要求する、すなわち蒋介石政府に共産党を加えよ、というもので、これは蒋介石政権に対する死刑宣告に等しかったといえます。このように、アメリカの中国政策は一貫して中国に共産党政権を樹立することにすることにあったのです。
この政策の総仕上げのために、マーシャル将軍自らウエデマイヤーの後を襲って中国に赴くことになります。第二次世界大戦の英雄として功なり名遂げたマーシャルが、なぜわざわざ中固まで出かける必要があったのでしょうか。
マーシャルこそ中華人民共和国の生みの親であることが明らかになってきます。
そうまでして、なぜアメリカは中国に共産党政権を樹立させることが必要だったのでしょうか。それは、共産中国をソ連の影響下に置くためでした。冷戦の一方の雄であるソ連をアメリカと対等の強国に仕立てあげるために、中国をソ連の衛星国にする狙いだったのです。そして、中国をソ連に従属させるために、やがて朝鮮戦争が起こることになります。
次項で朝鮮戦争の謎を詳しく見てゆきますが、その前に、毛沢東の中華人民共和国が成立した後の、アメリカと共産中国との関係を見てみましょう。
(引用終り)
・アメリカは国民党、共産党の双方を支援しコントロールしていた。米国務省は、蒋介石に共産党を攻撃したら支援を打ち切ると伝えていたそうだ。結果的には国民党が共産党に敗北し、分割統治を行う為に対立の火種として国民党は台湾で生き残るよう誘導される事になります。
(以下引用)
「アメリカと毛沢東」
アメリカの支援を受けて権力を握った毛沢東は、アメリカとの友好関係と援助の継続を期待します。毛沢東のアメリカに対する期待は当然のことでしょう。なにしろ、毛沢東が共産主義革命を成功させることができたのは、ひとえにアメリカの支援のお陰であるからです。
しかし、アメリカは毛沢東の期待に応えようとせず、援助を拒否して毛沢東を裏切ります。そうなれば、毛沢東の中国はソ連に援助を求めざるを得なくなります。
これこそがアメリカの狙いであったわけです。ソ連をして中国をコントロールさせることが、ソ連を中心とする共産主義の脅威を煽って、アメリカの軍拡を推進するうえで必要なことでした。
同時に、アメリカは蒋介石を台湾で生き延びさせることによって、共産中国を牽制するレパレッジとしたことを忘れてはいけません。アメリカは中国に台湾という紛争の火種を残したのです。悪名高い分割統治の鉄則です。しかし、その後の中国は必ずしもアメリカの意図どおりには動きません。ソ連との同盟関係もなんとなくぎこちないものでした「毛沢東とスターリンは相性がしっくり行かなかったようです。
アメリカから袖にされた毛沢東は一九四九年二一月から翌年二月までの長期間にわたりソ連を訪問します。中ソ同盟条約が締結され、両国の友好関係が確認されます。両首脳の気分は高揚しているはずなのですが、首脳会談や晩餐会などにおける毛沢東とスターリンの関係は、余り心が通い合うといったものではなかったようです。毛沢東を歓迎する晩餐会の席上、両首脳を脇から観察していたグロムイコは、こう回想しています。「晩さんの席に並んで座った両首脳の聞で交わされた会話がごく控え目に言ってもポツリ、ポツリで、・・・そのあとには無限とも思われる中断が続くのだった。・・・二人には必要最小限の接触をするだけの共通した個人的性格が欠けているというのが私の印象だった。・・・前夜の両巨頭の聞にはたいして心の通い合いがなかった、というのが翌日の同志たちの意見だった。続く数日間の雰囲気もほぼ同様だった。」
(引用終り)
・上記から分かる様に、中国共産党政権の樹立後、アメリカは共産党支援を打ち切りソ連の支援に切り替える事によって中国を衛星国へと誘導した。
中国をソ連に従属させるためにも朝鮮戦争を仕掛けるが、これも米ソが結託した演出である。
アメリカ→ソ連を通じて、アメリカ軍の作戦行動を事前に中国へ伝えていたのです。朝鮮戦争でのアメリカの敗北はストーリー通りの喜劇だったのです。
※この喜劇の犠牲者はアメリカの軍人となった裏で、膨大な利益を手にしたのは戦争資金を融資した国際金融資本家と言うことになります。
また、ベトナム戦争も謎の多い戦争でした。アメリカの配線には意味がありました。
(以下引用)
「長引かせた戦争」
アメリカは、ほぼ十年の長きにわたりベトナム戦争の泥沼に巻き込まれ、アメリカの兵士に数万人の犠牲者が出るなど、アメリカの国力と精神の衰退が始まります。当時共産主義政権であった北ベトナムは、どう考えても軍事力、経済力その他あらゆる点でアメリカに勝てるとは思えない状況にありました。しかし、限定的な戦争ではありましたが、結果はアメリカの敗北に終わったのです。日本を含め世界で反戦運動が吹き荒れましたが、もちろん反戦運動のためにアメリカは敗北したわけではありません。朝鮮戦争と同じく、アメリカは勝てる戦争をあえて勝たなかったのです。アメリカ政府自身が自ら決定的勝利を収めるのを妨害するような政策を取って、いたずらに戦争を長引かせたのです。青春をかけてベトナム反戦運動にのめり込んだ日本の学生たちゃ左翼を愚弄するような戦争でした。
そんなことは考えられないというのが常識的な見方です。しかし、実態をみれば、アメリカは故意に戦争を長引かせたとしか判断できない事態にぶち当たってしまいます。
北ベトナムは共産主義国ですから、ソ連は当然北ベトナムを援助します。ところが、一九六六年一O月、ジョンソン大統領はアメリカがソ連など東欧諸国に貿易の最恵国待遇を与えると声明しました。共産主義国との貿易は西側先進国と同じように扱い差別しないということです。この声明のポイントは、アメリカがソ連などに総額三百億ドルを融資し、ソ連などはこの資金をアメリカからの「非戦略物資」の輸入に当てるというものです。これだけでも、敵対しているソ連への優遇措置に驚かされますが、更に驚くべきことは、「非戦略物資」の範囲です。なんと、「非戦略物資」には、石油、航空機部品、レーダー、コンピューター、トラック車両などが入るのです。これらはすべて戦略物資に該当します。
しかし、アメリカは戦争に使用されるこれらの物資を、敵対するソ連に輸出するのです。ソ連にその購入代金まで融資して。ソ連は、アメリカの資金を使って輸入した戦略物資を北ベトナムに送るわけです。北ベトナムはこれらのアメリカ製品をアメリカの北爆によって破壊された軍事施設や武器の修復などに使用しました。また、南ベトナムで戦っているべトコンの武装強化にも活用しました。アメリカはアメリカ兵を殺傷するためにソ連に援助をしたようなものです。
(引用終り)
朝鮮戦争と同じく、アメリカは勝てる戦争をあえて勝たなかった。アメリカ政府自身が自ら決定的勝利を収めるのを妨害するような政策を取って、いたずらに戦争を長引かせたと言われています。
そこには、朝鮮戦争と同じく中国を巻き込んで戦争を拡大する狙いがあったと言われていますが、中国は朝鮮戦争の時のように介入しなかった。米ソの意図を中国は見抜いていたのです。
中国は支配勢力の意図に反して上手くかわし独自路線を進みますが、一体どうしてこの様な事ができたのでしょうか?今後の追求ポイントになりそうです。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/09/4103.html/trackback