2008年01月16日

「どうする?マスコミ支配」9 日本の諜報戦~プロパガンダと情報統制から戦後PRへ

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この間、電通を巡って大戦前後の関係者を追って来ました。特に、マスコミ関係は戦時下の情報通信関係に人材が集中しています。いくつか列挙してみると、当時の情報戦プロパガンダの様子が見えてきました。なお、これらは色んな書物やサイトの多数の断片を基に作成しています。事実と異なるというご指摘があればご教示いただければと思います。
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【通信】
電通の創設は1901年、当時は「日本電報通信社」という商業ベースの通信社だった。当時世界の先進国では、国家を代表する通信社(英ロイター、仏アバス、独ウォルフ、米AP)が世界に自国のニュースを発信し、また世界のニュースを受け取る国際情報の窓口業務を行っていた。戦争も金融も彼らの配信する「情報」をもとに立案され、「情報」操作で自国に有利な情勢の工作も行なっていた。
・電通は当初ロスチャイルド系のロイター通信と契約を結び、その後設立されたばかりの米UP通信社へ提携替えする。又、電通と並ぶ国際通信社では社長に就任した岩永が、電通の後で契約していたロイターを追放してロシアのロスタ(国営タス通信)と対等契約を結ぶ。しかし、いずれも外国の通信社に依存していた。
・列強との殖民地闘争にはまり込んでいく日本は、民間ではない国策通信社を熱望するようになる。その首謀者は「国際」の後を継いだ「聯合」の岩永古野である。彼らは廣田内閣を動かして電通、聯合の通信部を統合した一社独占の国策通信社=「同盟通信社」を設立する。
・国策通信社の設立は満州国でも行なわれた。古野は、AP通信社の給仕を経て正社員となった人物で、国際通信社、聯合、同盟と渡り、満州事変後には満州国通信社設立へと動く。その結果、阿片王として有名な里見を主幹とする満州国通信社(国通)が設立され、以降日本発、満州発の記事はそれぞれ「同盟」「国通」が国策的に配信することとなる。
【映画】
・戦時色を強める日本、満州はそれぞれにプロパガンダを目的とする国策映画会社を設立する。日本では映画法を制定し、映画会社の許認可制、ニュース映画、文化映画の強制上映を実施した。その上で戦時情勢を中心としたニュース映画を製作する社団法人日本ニュース映画社を、大手新聞3社と同盟通信社のニュース映画部門とを統合して設立する。
・一方満州では、満州国政府が満州映画協会を設立、軍人であった甘粕正彦が2代理事長に就任して、啓蒙映画、ニュース映画を製作していく。※後の電通4代社長の吉田秀雄と同名の人物が満映にもいて、これらは同一人物だったという説もあるが真偽は不明。
【新聞】
・当時の日本では、政府の言論統制が強まり、日露戦争以降逓信省(かつての内務省)が検閲を行っていた。初代満鉄総裁後藤新平の指示で正力松太郎読売新聞を買収して社長に納まるなど、新聞は言論統制の当然の渦中となっていた。当時は戦意高揚などの迎合記事も多く、所詮は民間企業であり戦時統制下では文字通り統制される側に甘んじている。「同盟」の社長に就任した古野は直後に日本新聞聯盟の理事に就き新聞統制も主導していたという。
【広告】
・当時の政府の関心は専ら通信、映画で、広告はたまたま電通が専業になった程度で多くの役割を果たしていない。しかし、戦後米国から電通に伝わるPR(パブリック・リレーション)は、既に米国では選挙戦でのイメージ操作、ロックフェラーが所有する会社へのイメージ戦略などのビジネスとして成立しておりプロパガンダの研究も熱心に行なわれていた。
・明治学院大学社会学部三浦 恵次名誉教授による「行政広報戦後史 小山栄三と日本広報協会」に戦後GHQによりPR研究が行なわれたこと、世論調査の手法などが、内閣情報局に構築されていく様子が語られている。
・既に広告専業となった電通は、GHQにより公職追放された3代社長上田碩三に変わって吉田秀雄が社長に就任、やはりGHQの手引きでPR研究を行なっていく。パブリック・リレーションズの導入
※「1928年に「プロパガンダ」という本を著したエドワード・バーネイズ(日本語訳「プロパガンダ教本」)は、1953年の南米グアテマラで自国企業の農産物利権を守るためCIAによるクーデターまで画策したといわれている。ぶろぐdeなんで屋
【まとめ~情報支配の変化】
・戦中までは読者や観客が直接金を支払う、新聞(通信)、映画だけがPRやプロパガンダの媒体であり統制の対象であった。戦時政府は必死になってそうした機関を統制し、又国策会社を作っては直接支配してきた。そしてこれら情報機関は、当時の日本、満州で暗躍した通信社の経営者や有力者、関東軍の軍人などを中心に工作機関化していった。これらが当時の日本の諜報活動だった。
・しかし、戦後GHQによって、観衆が金を払うのではなく広告主が金を払う広告代理店制度を中心としたPR、プロパガンダへ転換していく。その手法は既に米国で研究されていた広告→PRの手法だった。そして、媒体ももはや新聞、映画でなく、ラジオ、テレビとなっていった。
国家が直接手を染める「国策」会社と比べて一民間「代理店」がプロパガンダを展開するその有り様はいかにも巧妙だ。戦時中、通信、映画に従事したメディア関係者たちは戦後広告代理店「電通」が吸収して、GHQの手引書をもとにPR活動を展開していく。電通が始めて選挙対策に取り組むのは、サンフランシスコ講和条約で日本が独立し、GHQが引き上げ、テレビ放送が開始される1952年の最初の総選挙である。

List    投稿者 saito | 2008-01-16 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配3 Comments » 

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コメント3件

 石垣眞人 | 2008.10.26 15:28

「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

 匿名 | 2010.02.27 19:58

日本の国語教育は、論理的思考力を養うには、百害あって一利無しだ。
論理的思考力というのは、物語の主人公の気持ちを読み取るとか、豊かな感性とか、情緒教育とかの中から生まれてくるものではない。
それで論理的思考力が養われるなら、日本人の主張はもっと論理的で、国際政治の舞台でも堂々と意見を主張できるはずだ。
外国人から
「日本人は何を考えているかわからない」
などと言われることも無いだろう。
論理的思考力というのは、自分の主張を隙間無く展開していき、他人の主張の粗探しをする訓練によって養われる。
言い換えれば、他人と常に論争することによって養われるものだ。
馬鹿みたいに「和」を重んじる日本の風土で、論理的思考力が育つはずも無い。
子どもたちに論理的思考力を身につけさせたいなら、小学校からディベートの授業を必修にするべきだ。

 hermes danmark | 2014.02.01 16:19

herm¨¨s ebay.fr 日本を守るのに右も左もない | 日本的思考、美的感覚の中心には論理思考があった。

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