世界から見た日本の教育:戦後もつづく軍事訓練の名残
久しぶりに日本の教育制度について・・
日本の教育制度は、世界的競争力を失いもはや頭打ち状態にあります。対して江戸期の地域集団発の自発的な教育には、新しい可能性を見出せそうですが、そもそも今の画一的な教育制度の精神はどこにあるのか?少々そこに触れてみたいと思います。
各国に教育機関が作られた背景には、それぞれの国体を強化するという目的があり、統合階級をのぞく庶民は画一的な教育を受け、これで優秀な戦闘員や労働者を生産し、市場拡大を図ってきました。
そもそも、「義務教育による国民皆兵制度」は、ナポレオンが考え出し、国家による国民の教育が軍の強化につながると考え、それが欧米各国に普及、それを明治政府がそのまま取り入れたという歴史を辿っています。
今も小学校で行なわれる、朝礼「気を付け、前ならえ、休め」というのは、軍隊の待機行動の基本姿勢、ラジオ体操も原型は兵式体操、生徒を班ごとに分けること、1人のミスは班の連帯責任というのもその名残なのです。参考
世界は、幾度も戦争を繰り返し、2度の大戦を経験して来ましたが、戦争というものは、世界の金貸したちが、最も儲かる手段である一方、その戦闘員となる国民にその素養が無ければ、そう簡単には戦争状態に持ち込むことは不可能と思われます。
つまり、世界各国の国家主体の教育制度が、世界大戦を可能にした、と言えるのではないかと思われるのです。
そして、コチラによると、
日下氏の前著によれば、第二次世界大戦以降、欧米諸国では「義務教育による国民皆兵制度」を否定、どんな教育をするのかは国家ではなく親(保護者)が決めるべきと「教育権」を国家から奪い返した。そんな欧米人にすれば先進国で唯一、そして「敗戦国」である日本が「国家による教育権」を保持し、「義務教育による国民皆兵制度」を持続させている姿は、異様としか思えないだろう。
ということ。
同じ大戦の敗戦国であるドイツも、日本と同様に法的義務化を残存させたとの事ですが、少なくともその勤勉な性質や画一的集団性は、国家教育により強化され、戦争状態に容易に持ち込むことが出来たものと考えても良さそうに思えます。
であれば、なぜ日本は負け続け、もはや成果が出ない明治以来の教育システムを続けようとしているのか?
大前提となっている、「義務教育による国民皆兵制度」から見え隠れする、日本の統合階級の思惑を見通す必要がありそうです。
(kuri)
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