共同体社会の実現に向けて-12 ~実現論序4.統合階級の暴走で失われた40年(その1) ~ 市場主義の暴走と市場崩壊の危機
みなさん、おはようございます。
今日からは、新章『統合階級の暴走で失われた40年』です。
よく耳にする“失われた10年”というのは、日本においてバブル景気崩壊後の1990年代前半から2000年代前半にわたる不況の時代を指す語です。平成不況や複合不況とも呼ばれています。しかしその『不況』は今現在も継続しており、それどころかリーマンショック・EU危機などが発生、事態はさらに悪化しています。そして、これらを回避するための決定打はいまだ見出せていないのです。
本章のテーマ“失われた40年”は、上記のような未だ解決していない課題について、既存の思考にとらわれない踏み込んだ調査と分析により、根本原因を明らかにし今後の見通しを探っていこうとするものです。
1970年から現在までの40年間、統合階級は縮小してゆこうとする市場を無理矢理延命させてきました。その反動が、現在の問題につながっている可能性は極めて高いと予想されます。
まず今回は、この40年間に何が起き、何を失ったのかを押さえてみたいと思います。
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それでは【市場主義の暴走と市場崩壊の危機】から引用してゆきます。
何も実現できなかったのは、市民運動だけではない。同じ近代思想を信奉する統合階級も同じである。
先進国は、すでに’70年頃に、私権社会から共認社会への根底的な転換点を迎えていた。私権欠乏が衰弱したことによって、市場は縮小してゆくしかなくなっていたのである。
『私権社会から共認社会への根底的な転換点』とは何を指すのでしょうか?
私権欠乏、すなわち私財を獲得したいという欲望は、それが充たされると衰弱してゆくのでしょうか?
この疑問を解明するために、1970年ごろ、またそれ以降がどういう状況だったのかを押さえていきましょう。
まずは耐久消費財の普及率を調べてみました。

1970年あたりには、3種の神器とよばれた電気冷蔵庫・電気洗濯機をはじめ主要な家電が普及しています。
その後は、矢継ぎ早に新商品が繰り出されていますが、それらもすぐに行き渡っているのが読み取れます。需要を作り出すには、やはり限界があるようですね。
最近では、今年の夏の地デジ施行による駆け込み需要直後、薄型テレビの売り上げががた落ちになったのが記憶に新しいところです。
以上のように、私財の獲得は概ね実現、私権欠乏(物的な欠乏)は充たされたようです。しかし、それらの欠乏が充たされると同時に、目標・活力源になりえなくなってしまいます。
では、その後の目標・活力源は何になったのでしょうか?
物的欠乏の供給源は物的生産ですので、物的生産に代わる生産様式が分かれば、疑問が解けるかもしれません。
総務省のデータをグラフ化しましたので、産業構造の変遷を見てゆきましょう。
第1次/第2次/第3次産業の割合の推移です。

年を追うごとに第1次・第2次産業の割合が減少し、第3次産業が増しています。
物的欠乏の衰弱→物的生産が頭打ちになっているということですね。
続いて、第3次産業の内訳を見てゆきましょう。

サービス業の伸びが最も高くなっています。一方、エネルギー関係や金融業、小売業、運輸業などは伸びていません。
第3次産業の中でも、物的生産をサポートしていた業種から、人と人との繋がりに携わるサービス業≒意識生産に移行していったということですね。
このことは、仕事で給料をもらい豊かな暮らしを目指す=自らの物欲を活力源にしていた時代が終わり、相手に喜んでもらう行為自体を仕事にし、それが活力源になる時代に代わったことを示しています。
まとめると、


ということになります。
『私権社会から共認社会への根底的な転換点』とはこのことなんですね。
この『私権社会から共認社会への根底的な転換』に適応した社会へと作り替えてゆくことが、潜在的には望まれていたわけですが、あろうことか統合階級は真逆の政策を推し進めてゆくのです。
さらに、萌芽しかけていた『意識生産』の一部であったはずの広告代理店やTV・出版などマスコミは、統合階級が推し進めた市場拡大戦略の片棒を担ぐありさまでした。
しかし、この社会をリードする学者や官僚やマスコミや政治家=旧勢力は、この新しい状況の本質をまったく把握できず、「市場拡大は絶対」というイデオロギーに凝り固まって暴走してゆく。
彼らは、不足する需要を補うために、大量の国債を発行して、見せかけの市場拡大に血道をあげてきた。実際、元々ゼロだった国の借金は、’70年代から急速に増大してゆき、いまや1000兆円にも達しようとしている。
この、国家による1000兆円もの投入資金をGDPから差し引けば、経済は実質マイナス成長となる。つまり、上述したとおり、’70年豊かさの実現を以って、市場は縮小するしかなくなっていたのである。
にも関わらず、「市場主義」に凝り固まった統合階級は、ひたすら借金を膨らませることで資金を作り、それを市場に注入し続けてきた。
豊かさが実現し物的欠乏が衰弱した以上、物的市場は縮小せざるを得ません。
しかし統合階級には、市場拡大一辺倒の思考しかありませんでした。
一方で先に述べたように個人消費には限界がありますので、彼らは『公的事業』と称して、公民館や庁舎などの『ハコモノ』、道路・橋梁などの『土木工事』などを乱発していきます。
ここでは、その一例として、原発の推進を取り上げてみましょう。

1970年代に入って、雨後の竹の子のように建設され始めた原発は、現在57基に達し、その総建設費は13兆円と言われています。⇒リンク:下の画像とも
さらに廃炉にするときにかかる金額は30兆円とも言われています。⇒リンクを元に試算。
合計43兆円、維持監理費も加えると50兆は超えると思われます。
国の借金1000兆円が40年で累積されたとすると、原発だけで2年分の借金を作り出していることになります。

このように原発建設には莫大な国家予算がつくばかりか、原子力損害賠償法という尻拭いシステムまで成立させ、文字通り国を挙げて推進していました。
過疎化に悩む自治体にとっても、原発受け入れによる交付金は大きな魅力となり、一時的に潤うことになります。
しかし、いくら需要を作り出しマネーをばら撒いても、莫大な借金(国債)が積み上がるばかりで、一向に実体経済は回復しませんでした。
このことは、市場の本質が国家による支援という輸血装置で生き延びている人工物であること、自然発生的な需要と供給に委ねられた自由市場など、現実にはどこにも存在しないということを証明しています。
そればかりか、市場を延命させる為に無理に建設してきた原発は、今回事故で世界中を危険に晒す始末。
いかに日本の統合階級が無能であったかが、世界中に露呈されたことになります。
しかし、物的欠乏≒需要は衰弱してゆくので、いくら資金を注入してもそのお金は実体経済には回らず、投入した資金の大半はジャブジャブにダブついてしまう。このダブついた資金は、結局、土地や株式etcの投機商品にしか向かわない(∵土地や株式は、供給がほとんど増えないので価格が上昇する一方となる)。かくして、国債経済=借金経済は、必然的に実体から遊離したバブル経済を生み出す。
しかし、バブルは必ず崩壊する。バブル経済の先頭に立たされた日本のバブルは、’90年に崩壊し、その後、ITバブル等を媒介して作り出された世界中の金融バブルは、’08年に崩壊した。
しかも、ここに至ってもなお、世界中の統合階級は「市場を拡大するために」大量の国債を発行して、資金を市場に注入し続けている。その結果、ついに発行し過ぎた国債の暴落=市場崩壊の危機が目前に迫ってきた。
現在、世界的な金融危機は深刻で、市場崩壊一歩手前といってもいい、危機的状況です。
1,945年、第二次世界大戦中に世界の基軸通貨となった米ドルは、半世紀限りの命=リーマンショック以降どんどん、その価値を下げ続け、今や70円台中盤に。
そして、覇権国アメリカに対抗するために画策された欧州連合もいまや欧州の過半・27ヶ国が参加するまでに拡大したものの、その共通通貨ユーロは今や100円台前半まで急落しています。
ここで、先進諸国が豊かさを実現した1970年以降の、主だった経済関連の出来事を時系列でおさらいしてみましょう。
■市場崩壊年表(1970以降)
1975:赤字国債発行
1985:米・債務国転落,プラザ合意
1989:ベルリンの壁崩壊
1991:日本バブル崩壊,湾岸戦争,ソ連崩壊
1997:山一證券倒産,アジア通貨危機
1998:ロシア対外債務の支払い停止(ロシア経済危機)
2001:米国同時多発テロ, ITバブル崩壊,アルゼンチン・デフォルト宣言(対外国債)
2002:ユーロ発足
2008:サブプライムローン破綻→米住宅バブル崩壊→リーマンショック
2009:ドバイショック
2010:ギリシャ経済危機
2011:東日本大震災、福島原発事故、ドル崩壊、ユーロ危機、国の借金1,000兆
『バブルは必ず崩壊する』とはよく言われますが、先陣を切った日本だけでなく、その後世界各国で行先を失ったマネーが“バブル”となり、そして消えています。
現在、実体経済とは乖離した約15倍ものマネーが飛び交う状態はまさに“架空経済”であり、現在取りざたされているユーロ危機も、この40年のバブル市場の“果て”であり、世界的な“市場崩壊”の危機に貧している。といっていい状態です。そしてECBはあろうことか、ジャブジャブとマネーをつぎ込もうとしているのです。。。
ユーロ危機については、様々な観点で議論されていますが、当ブログでも過去に取り上げているので、参照してみて下さい。
→ユーロ危機1 ヨーロッパ各国が抱える「歯止め」を外すことになったユーロ導入
→ユーロ危機2 ユーロ危機のウラで、着実に死期が迫っているのは、ヨーロッパではなくアメリカ
→ユーロ危機3 欧州周辺国から内情を探る。欧州貴族主導で安定化に必死な状況。
まさに無能の極みであるが、ここで、社会の統合を担う受験エリートたちの無能さを、大衆はしっかりと頭に刻みつけておく必要があるだろう。
同時に、大衆は、「もはや彼らには任せておけない。自分たちで統合課題を担うしかない」と、そろそろ腹をくくる必要がある。
では、この40年間をまとめてみましょう。
貧困が消滅、物的生産が衰退し、市場が縮小し始めた。
人々の活力源は、物的豊かさの追求から、人と人との繋がりへと移行し始めた。
しかし、これらを無視した統合階級は、国債乱発による市場延命策を推し進めた。
行き場を失ったマネーは世界各地でバブル化→崩壊を繰り返してきた。
その後も バブルは巨大化し市場全体を巻き込んで、現在崩壊寸前の危機にある。
最後に、この40年に我々が失ったのはなんだったのでしょうか?
巷で言われている“経済成長”では、断じてありません。
『私権社会から共認社会への根底的な転換点』に気づかず、流産させてしまったこと、
それによって私権時代には封印されていた、人類本来の共認原理に基づいた充足感に溢れる社会の再獲得が大きく遅れてしまったこと、
ですね。
次回は、『失われた40年』に何をすべきだったのかを押さえ、総括を行ったうえで今後の見通しを探っていきます。お楽しみに。
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