2012年02月29日
共同体企業ネットワーク 理論勉強会テキスト2~私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた~
今回は、共同体企業ネットワークの理論勉強会テキスト2を扱います。
テキスト1「これから生き残る企業に求められる能力は?」では、
・時代はかつて無かったほどの大きな転換期を迎えていること
・この大転換に対応する為には、人類の歴史段階的な進化の構造(=実現構造)を解明した概念装置が必要となること
を提起しました。
類グループは、この状況認識を基に40年に亙ってその追求を重ね、サル社会から生物史にまで遡って、人類の歴史段階的な実現構造を解明し続けてきました。
そして今、それら蓄積してきた新理論を、次代を切り開く概念装置として自信を持って社会に発信できる段階に達することができました。
このシリーズで扱うテキストが、正にその概念装置となります。これを習得すれば、あとは、現業課題であれ時事問題であれ、自分で答えを出せるようになります。
よってまず今回のテキスト2では、その概念装置を使って、大転換の意味するところを読み解いていきたいと思います。
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江戸時代の思想5 プロ(科挙官僚)であるが故に、旧観念(儒学)を捨てられなかった朱熹
「科挙」
朱熹は、それまでばらばらに学説や書物が出され矛盾を含んでいた儒教を、性即理説(性=人間の持って生まれた本性がすなわち理であるとする)、仏教思想の論理体系性、道教の無極及び禅宗の座禅への批判とそれと異なる静座(静坐)という行法を持ち込み、道徳を含んだ思想として体系化した。
では、何故、このような思想体系を朱熹は構築しようとしたのであろうか?
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江戸時代の思想4 儒学を体系化した朱子学
「朱熹」
「中国の支配観念=儒学は、科挙官僚の正当化観念である」
「共同体を喪失した中国の官僚の私権観念=儒学が、共同体質の日本に輸入された」では、
中国では相次ぐ戦乱と強制移住によって共同体が失われた結果、科挙官僚制によって統合するしかなかったが、同時にそれは、科挙官僚の出身母体である地主階級の私権獲得(大衆からの収奪)を認めてやることとセットになっており、その正当化観念になったのが儒学だったことを明らかにしました。
問題は、共同体が解体された中国における地主⇒科挙官僚の正当化観念(儒学)が、共同体が残存し共同体質が色濃く残る日本に輸入された結果、どんなことになっていったのか、ですが、
その前に朱子学の内容を紹介する。徳川時代の思想家の理解には、儒学一般に加えて、朱子学の理解が不可欠だからです。
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共同体企業ネットワーク 理論勉強会テキスト(1)~これから生き残る企業に求められる能力は?~
昨年来から多くの経営者の方にご提案させて頂いた共同体企業ネットワークの理論勉強会が近々始まる予定です!
そこで、今回からのシリーズブログでは、理論勉強会で使われるテキストを取り上げて、皆さんにご紹介したいと思います。
第一回目の今週は、「これから生き残る企業に求められる能力は?」というテーマです。
「なぜ共同体企業ネットワークを提案するのか?」、私たち類グループが一企業を超えたネットワークを提案するに至った状況認識と社会全体への問題提起が書かれています。
これから理論勉強会に参加される企業の方に、そして初めて本ブログを訪れた方に読んで頂き、次代の日本を共に創り出していくための状況認識を共有できたらと思います。
続きはこちら
江戸時代の思想3 共同体を喪失した中国の官僚の私権観念=儒学が、共同体質の日本に輸入された
「科挙」
徳のある人物が徳のない大衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。
これが中国の支配観念となった儒学の中核であり、儒学とは科挙官僚制による支配の正当化観念である。
では、科挙官僚による支配の正当化観念は、どのようにして出来上がったのか?
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江戸時代の思想2 中国の支配観念=儒学は、科挙官僚の正当化観念である
画像は『感謝の心を育むには』からお借りしました。
江戸時代の思想を考えるに当たり、儒学、とりわけ朱子学は無視できません。
儒学は江戸時代になってから中国から輸入されたものですが、その思想体系は(本家本元の中国では)どんなものであったのか?
まず、その思想体系を押さえてゆきます。
(孔子がつくった儒教と区別する意味で、「儒学」という名称を使います)
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共同体社会の実現に向けてー20 ~実現論序5.破局後の経済は?その時、秩序は維持できるのか?(その5)~
暦の上では立春とは言うものの、寒さがまだまだ厳しい今日この頃。皆様いかがお過ごしですか?
前回の【秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家】では、米中をはじめとした個人主義国家は崩壊不可避であることとその崩壊過程、そして共同体質国家の可能性について紹介しました。アメリカや中国の秩序崩壊を予測すると、本当に起こりそうで恐ろしいですね。
今回は、「実現論序5.破局後の経済は?その時、秩序は維持できるのか?」シリーズの最終章です。旧勢力の目論見-中央銀行制の維持-は打ち破れるのか?秩序崩壊を食い止め、新しい社会に移行するための鍵となるのは?
近代科学の成立過程19~十六世紀ヨーロッパの言語革命は私権拡大への可能性収束だった
前回(近代科学の成立過程18~十六世紀ヨーロッパの言語革命はキリスト教と金貸しの共認闘争だった)に引き続き今回は山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第9章 一六世紀ヨーロッパの言語革命」の後半部分を要約投稿します。
16世紀になると、西欧では文字文化のあり方が大きく変わっていきます。それまでは、一部の特権階級(教会or大学)が独占していた書籍が印刷技術の発達とともに、印刷書籍が市場に出回るようになります。
そして、印刷コストが下がると今まで書籍を手にする事がなかった一般大衆にも急速に広まるようになり、書籍の内容も大きく変化していきます。
まずは、前回に続き、「言語革命」がどのように推移していったかを見ていきたいと思います。
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12/29なんでや劇場レポート(3)~庶民から新しい観念が登場し始めた(節約⇒食抑、課題収束⇒答え欠乏)~
年末の12/29に行われたなんでや劇場レポート新シリーズより、共同企業体ネットワークの紐帯となり、共認社会実現のための概念装置となる「新理論」構築の可能性がどこにあるのかについて、2回に亘って扱ってきました
1. 私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった
2. 学校やマスコミによって刷り込まれた「絶対に正しい」という旧観念が理論追求忌避の元凶
前回は、
・統合階級による観念支配は、学校教育やマスコミを通して、子供の頃から徹底されてる。私達が普段、何気なしに受け入れていることも、全ては観念支配に繋がっていること。
・潜在思念が新しい潮流の中から本質を掴んで作り上げた新しい観念(“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食抑”など)が知識人からではなく、若者たちの中から生まれてきていること。
を明らかにしました。
今回は、観念のプロではなく、庶民からどのような新しい観念が登場しはじめているのかについて2つ紹介したいと思います (旧観念で飯を食っているプロは潜在思念をほとんど捨象している。それに対して、旧観念で飯を食っているわけではない庶民は旧観念による束縛度が小さく、潜在思念に素直な観念を生み出せる可能性が高い。)
続きはこちら
江戸時代の思想1 天下泰平で秩序安定期待が衰弱し、「民の生活」を忘れていった武士階級
「尊皇攘夷や右翼思想は、敗者の思想ではないか?」では、
【1】江戸時代になって秩序が安定すると(戦争がなくなると)、取り立てられる可能性が閉ざされた浪人たちに不満が蓄積されたこと。
【2】その不満の矛先が徳川体制に向かい、それを背景として、浪人儒学者たちが尊皇思想を唱えはじめたことを明らかにしました。
【3】この徳川体制に不満を持つ浪人たちも、安定秩序からのはみ出し者であり、秩序安定期待から外れた敗者ということができます。
しかし、江戸時代の秩序安定期に不全を抱えたの浪人だけではありません。武士階級全体が不全を抱えることになります。
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