中国どうなる!?15 中国共産党と人事~政治腐敗の本質的な誘因は人事システムそのもの~
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中国どうなる!?14 中国共産党の支配力に迫る!~では、中国共産党の支配力がマスコミ、法律にまで及び、組織の中枢は全て共産党が支配しているという中国の国家体制が見えてきました。
そこで今回は、全てを支配する中国共産党がどのようにしてその支配力を及ぼしてきたのかを探るべく中国共産党と人事の関係について追求していきたいと思います!
~以下内容は主に『中国共産党』リチャード・マグレガー著からの要約・引用です。~
中央組織部の公式な職務は、当たり障りのない言い方をすれば、党の人事管理とされているが、これでは組織部の職務を正確には言い表していない。組織部は特別の任務を負い、国中のすべての国家機関および名目上民営とされている組織のなかにまで入り込んでいく権限を与えられている。
そればかりか、人事に関する審査は秘密裏に行われ、任命理由についての説明は一切ない。昇進の候補者を不適格と見なすときも非公式に行われる。中央政治局は北京のトップ人事をつかさどるが、組織部はすべての候補者をふるいにかける門番の役目を果たす。「一定ランク以上の高官の人事は、組織部の管理下にあります」と王は誇らしげに語った。その口調には、強大な権限を持つエリート秘密組織に属しているという自負がにじみ出ていた。「一九四九年の時点からずっと、一部のジャーナリストの人事も扱っていますよ」と言って王は目配せをした。王のような全国各地の組織部の役人は、湖南省でそうだったように、中国全土の党指導部の構内に出入りできる人間を簡単に識別することができる。役人の階級や特権を自分たちだけが掌握できるように複雑に暗号化することが彼らの仕事なのだ。党は一応、人事システムの透明化を試みてきた。一部の地方の人民代表大会を一般市民に公開して、昇進の候補に挙がっている官僚について意見を述べることができるようにし、そのプロセスを「民主的推薦」という粉飾した言葉で呼んでいる。しかし全体として、組織部の仕事は秘密のベールに覆われている。
組織部は党や政府の重要ポストの任命権を持っているため、体制内の熾烈な権力抗争が渦巻く舞台となる。政治局委員、各派閥、中央政府と地方政府、様々な省庁や産業界と提携している個人-それぞれが、国家機関において権力と影響力を持つポストに自分の配下を就けようと必死に争う。「ある部署のトップの座が空くと、途端に、中央政府の多くの高官がそれぞれ自分の息のかかった人物を後釜に据えようと一斉に動き出します。そうなると、組織部の仕事は非常に難しくなってきます」と、リベラル派の著名な雑誌『炎黄春秋』の編集長・呉思は言う。「本来なら人徳と能力で決めるべきですが、決め手となるのは組織部内のコネと、序列の高い人物による後ろ盾です。とはいえ最終的には、組織部の承認が必要です」政府の要職を得るための選挙や公の試験もないため、要職をめぐる舞台裏での抗争が、中国では政治の本質になっている。そして、情報を集め人事権を握る組織部が、党システム全体の中枢となっている。
地方の党書記や組織部長は、まるでフランチャイズの権利を売る会社のように地方政府の役職を売って、膨大な利益を得ている。
共産党の中央組織部の重要な仕事は私権の上位に立って人事権を獲得することであり、その為にトコトン私権闘争を繰り広げてます。従って党外の状況は意識の外でもっぱら党内の派遣闘争に力を注いでいるのが現在の共産党の内部の状況のようです。
情報を集め人事権を握る組織部が党システムの中枢となっているのが全ての問題の元凶となっていることが分かります。
一九三〇年代、大長征を終えた紅軍が延安に根拠地を構えた直後から、毛沢東は、この砦に集結した革命同志の政治的信頼性を確認するため、専門の部署が必要だと思うようになった。党員の管理を専門とする部門の手本は、ソ連という身近なところにあった。ソビエト・ロシアの組織局は、一九一九年にレーニンがソ連共産党中央委員会の下に設立した二つの部門のうちの一つで、党の日常業務を担当していた。スターリンは組織局の有用性を即座に見抜いた。一九二〇年代前半、病身のレーニンから権力を奪いつつあったスターリンは、組織局を彼の「私的政府を作るための最初の活動拠点」と位置づけた。
毛沢東は、長征を共にした党員以外の、延安に集まってきた革命闘士のなかに国民党のスパイがいると考えており、それはあながち根拠のない疑いではなかった。毛は自分の信奉者で固めた組織を作り、監視係としての役割を担わせた。監視係の仕事はそれから今日まで続いているが、その任務は、党と指導部に対する上級幹部の絶対的忠誠を確実なものにすることだった。延安に結集した当初の革命理念が、砦に立てこもった党内の激しい内部抗争に取って代わられたとき、毛は自分の権力強化のためにもこの組織が役立つと考えた。
中国には帝政時代の先例が多くあるにもかかわらず、毛沢東はソ連のノーメンクラトゥーラをそのまま取り入れて組織部を作った。ノーメンクラトゥーラとは、ソ連共産党の「幹部リスト」で、党の支配層を形成し、政府・企業その他すべての要職に適任とされる党員の名簿のことである。ソ連共産党はこの名簿を作成することで、「末端を除くほぼすべての幹部の任命、転任、昇進、解雇」を管理していた。唯一ソ連と違っていた点は、中国がこのシステムをソ連よりはるかに徹底し、政府や政府管轄機関の末端人事にまで適用したことである。
高齢者団体や障害者団体のトップから、三峡ダムなどの国家的プロジェクトに携わる科学者やその責任者に至るまで、すべての人事は組織部を通さなければならない。民間企業を統轄する全国工商業連合会のトップも、組織部が管理する幹部リストから選ばれる。その結果、ビジネス界の代弁者としての独立性は弱くなっているが、そもそも全国工商業連合会はそうした目的で作られた団体ではない。組織部は人事を担当する以外にも、多民族問題を扱うミニ省庁としての役割も果たす。国内の五五の少数民族の中から従順な人間を選び出して、政府の要職をあてがうのである。チベット族、新疆のウイグル族、回族などの少数民族から、中国共産党への忠誠度にしたがって選抜された人物に対し、ほぼ形だけのポストを与え、それによって多民族を包括する広大な国家という輝かしいイメージを与えようというわけだ。さらに組織部は、国内の八つの「民主的な」政党のメンバーに対しても、政府や学術機関に用意された一定数のポストをあてがっている。このポストの割り当ては、皮肉で言うわけではないが、共産党一党支配を民主主義政党が黙認していることへの見返りとなっている。
八〇年代の組織部は、大学や研究機関など高等教育機関への管理を緩め、党の指示が必要なのは上層部人事に限るとしていた。この緩和策で、大学側が完全に自由裁量を得てリベラル派の母胎となったわけではないが、政府から直接圧力を受けることはなくなっていた。しかし一九九一年五月、党の一声でノーメンクラトゥーラの適用範囲が拡大され、組織部による大学管理は強化されることとなった。同じころ、党は大学への影響力を強めるため、学生や教授陣に年に一度の党の会議への出席を義務づけ、学内の党組織の強化を図った。会議への出席を義務づけることは党にとって別の効果ももたらした。大学が、優秀で有望な新しい党幹部候補生を選抜するための絶好の場所となったのである。
これと同じ頃、一連の布告によって、組織部によるメディア管理が一気に強化された。ジャーナリスト団体や多数のメディア関係団体が正式にノーメンクラトゥーラに登録された。労働組合、青年団、婦人団体を管轄している党機関も、組織部の「監視リスト」に戻された。
始まりは毛沢東の疑心からソ連の党員管理システムであるノーメンクラトゥーラと呼ばれる幹部リストを採用し、ソ連よりも末端まで管理を徹底しました。
また、89年の天安門事件以降から特に反体制と疑われる大学組織と、メディアの管理、取り締まりを公式に強化しているところが日本のマスコミ(共認)支配の流れとも重なってくるのは注目ポイントです!
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「この三〇年で、中国は一つのことだけは一流になりました。経済は発展しました。でも、文化や社会や政治は何も進歩していません」と彼は語る。「本質的に、昔と同じ古いシステムのままです。人々はコネや賄賂で昇進していきます。欧米では、政治家は数年ごとに選挙で選ばれますが、中国では政治家は一生の仕事です。私たちは一生、その政治家から逃れることができないのです」
中国の官職売買では、贈収賄、汚職、背信行為、利己的な利益追求などが特徴だが、その詳細が、東北部のかつての工業地帯、吉林省の組織部が作成した内部文書に、赤裸々かつ皮肉たっぷりに綴られている。文書には、出世競争のありさまが「四種の陸上競技」にたとえて生き生きと描かれている。四種の競技が組み合わされて行われた結果、人事システムを専門化するための組織部内の規則は完全に無視されてしまった。出世競争の「短距離走」とは、役人たちが、指導部が交替した直後に日和見的に支持に回ることをいう。「長距離走」は、あらゆる手段を使って上層部に取り入ることだ。手厚いもてなし、贈り物、上司の抱える様々な問題を解決する手助けなどをして歓心を買う。「リレー競技」では、上層部に近づくために「親戚、友人、学友、同郷者などの推薦状」をできる限り多く集める。「障害物レース」では、直属の上司を飛び越え、しばしば引退した幹部の力まで使って組織部に働きかけ、便宜をはかってもらう。
馬徳は拘留中、悟りきった様子で、政治腐敗の本質的な誘因は人事システムそのものであり、党書記が絶対的な権限を与えられていることにあると語った。「実際どの地方でも、党書記は党と組織部を代表しています」と彼は言う。「そして党書記として、人事の最終決定権を持っているのです」有望な幹部を出世コースに乗せるというシステムも、同じ結果を生む。それは、有望株以外は一定以上の出世がないと公的に宣言しているようなものだからだ。「出世コースを外れた人間は、金儲けに腐心します。そして出世コースに乗った人間は、金が好きな上司に出くわせば、できるだけ早く昇進するため躊躇なく有り金をはたくのです」
このシステムを変えなければ、誰が党書記になろうが事態は変わらない。これを証明するには、汚職取り締まり機関から汚職の前歴がない人物を選んで地方の党書記に任命し、一年間自由にやらせてみるといいと、馬は言う。その高潔な人物も、外部の監視がないところでは、これまで手にしたことのないほどの大金を、あっという間に受け取ることになるだろうという。
※馬徳:牡丹江市の副市長から10万ドルの賄賂で黒竜江省綏化市の党書記に2000年に赴任し2002年に汚職疑惑で逮捕された。
【政治腐敗の本質的な誘因は人事システムそのものであり、党書記が絶対的な権限を与えられていることにある】この一言が共産党と人事から共産党の腐敗していく構造について端的に表しています。
次回は、「中国共産党と軍隊」について扱います。乞うご期待下さい!!
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