2013年09月11日

裏天皇の正体1~大和朝廷成立前夜、倭人の葛城ネットワークと韓人の秦氏ネットワークが並存

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(画像はリンクよりお借りしました)
「天皇制国家の源流」「暴走の源流=平安貴族」に続き、「裏天皇の正体」というシリーズを始めます。
『るいネット』
「日航事故① ’85年、御巣鷹山上空で何が起こったのか?」
「日航事故② 御巣鷹山上空での日米ソ入り乱れた空中戦の真相」
「日航事故③ 御巣鷹山事変を引き起こした旧陸軍勢力」によると、’85年日航機墜落事故は、日航機事故は金属疲労によって墜落したのではなく撃墜されたらしい。
ミサイル攻撃を受け損傷した日航機が超低空飛行で群馬県の御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソの最先端戦闘機が入り乱れて空中戦が繰り広げられ、最先端のステルス戦闘機をはじめミグ25など5種類の戦闘機が全機撃墜された。しかも、日航機の積荷が原爆材料で、その上ミサイルの一部は核弾頭ミサイルだったので、御巣鷹山の墜落現場に放射能が撒き散らされたというという、俄かには信じられない話である。
そして、こんなことを仕出かしたのは旧陸軍勢力であり、その頂点は「裏天皇」だということである。
では、裏天皇とは一体、何者か?
今シリーズでは、その正体に迫りたいと思います。
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その前提として、日本の支配階級の源流をまとめておく。
「金融ワンワールド 地球経済の管理者たち」(落合莞爾 著 成甲書房刊)の、「第4章 日本に渡来した古イスラエル人」を要約した。

●日本民族の三大源流は【1】縄文人、【2】弥生人、【3】古墳人である。
【1】縄文人は①土着アイヌ人、②先住海人族「ヘイ」、③渡来シュメル族「タチバナ」
【2】弥生人は①縄文末期に渡来した古イスラエル北王国十支族(海部・物部・秦)、②海部氏が率いてきた倭族。
多神教のイスラエル北王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、十支族は東方に流移する。その末裔は日本列島に渡来し、海部(アマベ)氏と物部(モノノベ)氏と秦(ハタ)氏になった。これが日本に渡来した古イスラエルの御三家である。
【3】古墳人は①崇神天皇以後の渡来系騎馬民族、②応神期に秦氏が朝鮮半島から呼び寄せたツングース系人

●アッシリアの支配から逃れ、ユーラシア大陸の東南沿岸を北上していたアマベ氏は、華南の越の海岸で倭人に遭遇した。倭人は、原郷の雲南から水稲を携えて長江を下り、越民と混血して半農半漁民となっていた。アマベ氏は、ここで配下となった倭人(越人)を率いて船出し、丹後半島に上陸し、日本では海民の支配者となって各地に海部郷を置く。
アマベ氏は、日本に古イスラエル以来のオリエント多神教をもたらし、太陽神ホアカリを祀る神社を天橋立に建て、自ら祀官となる。これが籠(この)神社で、火明命(ホアカリ)と同体の天照国照彦を併せた太陽神を御祭神として、今も続いている。
アマベ&倭人は、水田を各地で開発し、丹後半島から発して近畿地方の内陸部へと進み、稲作集落を形成してイセと称した。これを証する客観的事実は、滋賀県守山市伊勢町周辺から発掘された巨大な集落遺跡である(集落が営まれた時代は縄文後期から室町時代で、最も栄えたのが弥生時代後期の紀元1~2世紀)
アマベ&倭人が渡来したことにより、縄文時代から弥生時代に切り替わる。
アマベ氏は、女系相続民族で女神信仰の強い倭人が受け入れ易いように、太陽神アマテル彦から「彦」を除いてアマテラスと読み替え、女神に転換して内宮に祀る。こうして、アマべ氏がもたらした古イスラエル神道は日本神道の基本的根底を成す。

●モノノベ氏もイスラエル北王国の末裔で、アマベより遅れて渡来した。軍事民族にして祭祀族を兼ねるモノノベ氏は、大阪湾に上陸し、祖神ニギハヤヒを石切神社に祀り、大阪湾から奈良に入って、原住民で大和国の首長「登美のナガスネ彦」一族と通婚して同盟する。
熱田神宮大宮司である尾張氏は、天火明命(ホアカリ)の子孫で、籠神社の社家海部氏と同体である。住吉大社の社家の津守氏も同族である。
籠神社の極秘伝は「アマテルとニギハヤヒの両神は実は同体なり」としており、アマベとモノノベが合併したことが伺える。応神天皇により海人首長の座を安曇氏に交代させられた海部氏は、世を憚って尾張氏に名を変えた。また、蘇我氏に討たれた物部氏は一部がヤマト朝廷に残ったが、多くは籠神社の伝承にあるように海部氏と部族合同をし、丹波に移住した。

●秦氏も古イスラエル北王国の十支族の末裔だが、秦氏はシルクロードを通って、やや遅れて日本列島に渡来した。
秦氏とは大秦帝国の国名を族称としたもので、本姓は「呂」であり、秦の始皇帝の実父とされる呂不偉一族の末裔である。始皇帝から処罰され、生き延びた呂一族は東方に逃れた。朝鮮半島にたどり着いた呂氏が率いていた集団には、西域民族も多く混じっていた。そこで集団の総称を秦とし、呂氏は秦君、呂一族は秦氏となり、集団は秦人を称する。
秦人は元々商業民なので、当時国際交易特区だった朝鮮半島南端の任那を本拠として、交易を始める。秦氏の居留地は辰韓と任那の国境にあり、秦韓と呼ばれていたが、秦氏は商業民の習いとして、近隣に駐屯していた辰王国の騎馬隊を傭兵とする。
北方民族で、同種に追われて高句麗方面から朝鮮半島に逃げてきた騎馬部族が、軍事キャンプを馬韓の外れに建てて辰王国を称していた。その隊長が辰王である。

大秦帝国は皇帝独裁の軍事国家であったが、秦韓は商業民の秦氏が建てた商業国家であり、秦君が辰王の騎馬隊を用心棒として雇っていた。つまり一種の華僑である。
秦氏は日本にも渡り、豊後の国東半島あたりを拠点として任那と交易していた。現地で宗像三女神を祀っていた縄文海人系の宇佐君は、新来の秦氏を歓迎し、両者は通婚し、宇佐君は実質的に秦氏の血統となる。

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〔呉・越・楚の滅亡と遺民(倭人)の移動〕(図版はリンクよりお借りしました。)
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〔徐福の日本への航路。ちょうど済州島が中間にあり、ここで三派に分かれた〕
日本人の基層を成すのは縄文人であるが、
2480年前の呉、2340年前の越、2235年前の楚の滅亡に伴って江南人が朝鮮半島や日本列島に亡流した。2500年前~2200年前に発生した江南人(呉人、越人、楚人)の流民が倭人である。
彼ら江南流民は、何れも少人数で、日本列島では縄文人に受け入れられ、混融していった。この倭人(江南流民)と縄文人の混血が弥生人である。
そして、後に朝鮮半島へ南下してきたツングース族(扶余族、高句麗・百済)と倭人との混血が韓人である。

『金融ワンワールド』の記述によると、タチバナ氏→アマべ氏→モノノベ氏→秦氏という順番で日本に渡来したらしい。
(『金融ワンワールド』では、タチバナ氏がシュメール発、アマべ氏・モノノベ氏・秦氏が古イスラエル十支族発とされている。今の所、完全否定はできないが、彼らが本当にシュメールや古イスラエル発なのかは検証を要する。また、古イスラエル北王国が多神教であったというのは本当か?)
「日本と朝鮮の支配部族の源流」「日本に脱出してきた徐福が作ったネットワークが大和朝廷」と、『金融ワンワールド』の落合氏の説を補正しながら重ね合わせると、次のようになる。
2480年前(前473)、呉の滅亡→呉人が弁韓へ(呉人タチバナ氏が日本列島へ)、
2340年前(前334)、越の滅亡→越人が馬韓へ(越人アマべ氏が日本列島へ)、
2300年前頃、ツングース系の扶余族が南下し、半島西部に辰国を作り、南部(弁韓)、東部(辰韓)を服属させる。
2235年前(前223)、楚の滅亡→楚人が辰韓へ(楚人の一部は徐福に率いられて日本列島各地へ脱出し、葛城氏と改称し伊豆を本拠として全国的なネットワークを築く。そのうちの軍事部門を所掌したのが物部氏)

この呉・越・楚の倭人勢力が、『金融ワンワールド』の云う海人勢力である。
落合氏は縄文海人系と呼称しているが、正しくは、倭人と縄文人が混融した弥生人である。

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〔秦帝国と万里の長城、朝鮮半島の付け根まで万里の長城が伸びている。そこで強制労働させられていた人々が逃げ出し(図中の矢印)朝鮮半島の辰韓を形成 〕
それに遅れて、朝鮮半島から秦氏がやってくる。
2230年前頃、秦帝国の長城建設の為に強制移住させられていた中央アジア発のモンゴル系部族(スキタイ族?)が楚人と共に脱出・南下。朝鮮半島南端の加耶で交易を始めた。これが秦人である。交易部族である秦人は、ツングース系の扶余族が建てた辰王国の騎馬部隊と手を組んでいた(傭兵として雇っていた)。
秦氏が最初に日本列島に渡ってきたのは1950年前頃であろう。
この頃、ツングース系の扶余族が半島北部に高句麗を建国。その分派が南下して馬韓を奪い百済に。百済が、弁韓(→伽耶)と辰韓(→新羅)を支配。

扶余族、とりわけ高句麗を恐れた秦人は、日本列島に脱出し始める。
亡流秦人たちは、先に大分宇佐に拠点を築いていた倭人(葛城ネットワーク)に受け入れられ、弥生人(倭人)と混血する。宇佐に拠点(宇佐支店)を置いた秦氏は、次第に宇佐のネットワークの主導権を握る。これは、交易部族である秦氏の騙し能力によるものであろう。

「日本に脱出してきた徐福が作ったネットワークが大和朝廷」で述べたように、韓人と弥生人が混血したのが古墳人であるが、その最初が秦氏(韓人)と宇佐の葛城(弥生人)の混血である。これが、宇佐を拠点とする秦氏ネットワークである。
伊豆を拠点とした葛城ネットワーク(倭人→弥生人)と宇佐を拠点とした秦氏(韓人→最初の古墳人)ネットワークが、この時代大和朝廷成立前夜には並存していた。
云わば、中国江南発の倭人(弥生人)ネットワークと中央アジア→朝鮮半島発のモンゴル系韓人(古墳人)ネットワークである。
この両者の関係こそ、その後の日本の支配階級の基層を成すものである。

日本の支配階級の基層は、もう一派ある。ツングース系扶余族である。それを招き入れたのも秦氏らしい。
その経緯は次の記事で明らかにする。

List    投稿者 staff | 2013-09-11 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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