2009年01月31日
『近代国家成立の歴史』14 そして、市場拡大を第一とする国家理論が出来上がった
前回は、『近代国家成立の歴史』13 私権社会を全的に否定できなかったルソーを掲載しました。
今回は『近代国家成立の歴史』14 そして、市場拡大を第一とする国家理論が出来上がったです。
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1609年 | オランダ・アムステルダム銀行設立 ⇒オランダが世界経済の中心(一大金融センターに) |
1609年 | 【ドイツ】週刊印刷新聞Relation(レラツィオン)発刊。 |
1618年 | 三十年戦争勃発 (プロテスタントとカトリックの宗教戦争からヨーロッパ各国間の領土戦争へ) |
1620年 | イギリス・ピューリタントの北米移住 |
1622年 | 【イギリス】週刊新聞WeeklyNews発刊。 |
1628年 | イギリス・ピューリタントによる権利請願 |
1631年 | 【フランス】週刊新聞LaGazette発刊。 |
1642年~1649年 | イギリス 清教徒革命(ピューリタン革命) |
1648年 | ウェストファリア条約(三十年戦争終結) |
1651年 | イギリス・ホッブス「リヴァイアサン」 |
1653年~1658年 | イギリス・クロムウェルの独裁 |
1652年~ | 第一次英蘭戦争 |
1660年 | イギリス 王政復古 |
1683年 | ロック、オランダに亡命 |
1688年 | 名誉革命(イギリス議会が、オランダ統領を国王に) |
1688年 | 権利章典→立憲王政 |
1689年 | イギリス・ロック「統治二論」(「市民政府二論」) |
1694年 | イングランド銀行設立 |
1721年 | イギリスで、責任(議員)内閣制成立 |
1748年 | モンテスキュー「法の精神(三権分立)」【スイス・ジュネーブ】 |
1762年 | ルソー「社会契約論」 |
1775年 | アメリカ独立戦争 |
1776年 | トマス・ペイン『コモンセンス』流行 |
1776年 | アメリカ独立宣言 |
『近代国家成立の歴史』13 私権社会を全的に否定できなかったルソー
前回は、『近代国家成立の歴史』12 個人の「所有権」を最大限認めたロックを掲載しました。
今回は■ジャン=ジャック・ルソー(1712~78年)フランス系スイス人です。
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日本支配の構造22 皇室財産は長州勢による特別資金?
皇室財産を巡ってこの間追求してきましたが、今回はその使途について検討してみたいと思います。なお、前回日本他の中央銀行制度の出資金に皇室財産が使用されたことに触れましたが、今回もその続きとなります。
『近代国家成立の歴史』12 個人の「所有権」を最大限認めたロック
前回は、『近代国家成立の歴史』11 国家と個人を直接結びつけたホッブスを掲載しました。
今回は■ジョン・ロック(1632~1704年)イギリス人です。
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『近代国家成立の歴史』11 国家と個人を直接結びつけたホッブス
前回は、『近代国家成立の歴史』10 近代国家の理論的根拠=社会契約説とは、何だったのか?を掲載しました。
市場拡大を前提とした商人国家」とその隆盛をうけ、当時の思想家たち(ホッブズ、ロック、ルソー)は、既存の国家理論に変わる、新たな国家理論を模索します。彼らが試みた国家理論の中心は、既存の国家が王権神授説に代表されるように神や古来からの慣習法に依拠していたことに対して、そういった神や古来からの慣習法に一切依拠することなしに新たな国家のあり方を説明することでした。
彼らは、個人と国家が「社会契約」することによって生まれる国家こそ、正しい国家のあり方であるとし、三者三様に社会契約説を打ち立てます。彼らはなぜ個人と国家が「社会契約」することによって生まれる国家が、正しい国家のあり方だと考えたのでしょうか?それを知るには、その当時彼らがおかれていた社会状況(外圧)を含めて見ていく必要があります。
今回は、■トマス・ホッブズ(1588~1679年)イギリス人
を紹介してみたいと思います。
1609年 | オランダ・アムステルダム銀行設立 ⇒オランダが世界経済の中心(一大金融センターに) |
1609年 | 【ドイツ】週刊印刷新聞Relation(レラツィオン)発刊。 |
1618年 | 三十年戦争勃発 (プロテスタントとカトリックの宗教戦争からヨーロッパ各国間の領土戦争へ) |
1620年 | イギリス・ピューリタントの北米移住 |
1622年 | 【イギリス】週刊新聞WeeklyNews発刊。 |
1628年 | イギリス・ピューリタントによる権利請願 |
1631年 | 【フランス】週刊新聞LaGazette発刊。 |
1642年~1649年 | イギリス 清教徒革命(ピューリタン革命) |
1648年 | ウェストファリア条約(三十年戦争終結) |
1651年 | イギリス・ホッブス「リヴァイアサン」 |
1653年~1658年 | イギリス・クロムウェルの独裁 |
1652年~ | 第一次英蘭戦争 |
1660年 | イギリス 王政復古 |
1683年 | ロック、オランダに亡命 |
1688年 | 名誉革命(イギリス議会が、オランダ統領を国王に) |
1688年 | 権利章典→立憲王政 |
1689年 | イギリス・ロック「統治二論」(「市民政府二論」) |
1694年 | イングランド銀行設立 |
1721年 | イギリスで、責任(議員)内閣制成立 |
1748年 | モンテスキュー「法の精神(三権分立)」【スイス・ジュネーブ】 |
1762年 | ルソー「社会契約論」 |
1775年 | アメリカ独立戦争 |
1776年 | トマス・ペイン『コモンセンス』流行 |
1776年 | アメリカ独立宣言 |
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アメリカ経済、それ以上に回復困難な欧州
10月21日の本ブログの記事に以下がありました。
●アメリカ覇権の終焉の世界共認
るいネット「ドル崩壊後のシステム画策か?~田中宇:「ブレトンウッズ2」の新世界秩序」より
金融危機でイギリス以外のEU諸国はアメリカ覇権の終焉を読みきったということ。そして、アメリカのドル基軸通貨を成立させたブレトンウッズ会議を再度行うということは、基軸通貨そのもの新たに見直することが必要であり、アメリカ自身も含め、この会議の開催の必要性を感じていることは、アメリカ経済の崩壊⇒ドル崩壊⇒アメリカ覇権の終焉を自他とも認めたということになる。
そしても今まで米英中心主義として一心同体として歩んできた2勢力の片腕イギリスが、ブレトンウッズ2開催で「アメリカは終焉」と判断を下したことが決定的だと思われる。
その後の世界経済状況を調べてみました。
アメリカ覇権の崩壊の状況として、以下が参考になります。
田中宇の2009年1月20日「回復困難なアメリカ経済」
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(さらに…)
日本支配の構造21 紙でやる戦争の仕組み(ある円通貨圏の興亡)
日清戦争後の東洋世界 図はここからお借りしました
日清戦争~日露戦争~日中戦争~太平洋戦争戦争の裏には欧米諸国と日本の決定的な経済的対立構造がある。そのためには日本は戦争をせざるを得なかった。しかし国力の貧弱な日本が戦費を調達し、中国・ロシア・欧米と戦争を継続していけたのはなぜか?
多田井喜生氏の『朝鮮銀行』より要約と引用を試みます
日中戦争が始まった昭和12年7月から終戦の20年8月までの東京の小売り物価は2.5倍の上昇にとどまった。一方占領地の北京や上海の物価は暴騰してこの間に1000倍にもなった。
これも日本円で内地より送金される軍事費や投資資金を、中国や南方の占領地では連銀券や儲備券、南方開発金庫券などで支出し、日本円資金は日本国債の購入に充てて国庫に貫流させるという、占領地の経済を犠牲にした運営がなされていた結果である。占領地の通貨を増発することで日銀券の増発を抑えて内地経済の崩壊を防ぎ、戦争継続を可能にした。
戦争を継続するためにはまず紙でやる戦争の仕組みを作り上げることが必要です。
実は通貨制度というものは、歴史的には戦費調達の手段として始まり、それを支えるのが中央銀行という仕組みであった。
当時の日本はこれに加えてさらに皇室財産という財布を使ってこれらの銀行に出資する仕組み
日本支配構造20”皇室財産”を編み出した。
戦前の日本ではこのやむにやまれず生み出したこの東アジアの円通貨圏の仕組みが、大陸において“金融”での本家本元の欧米を凌ぎ勝利した。
当初は彼らから学んだが、やがて自ら独特の仕組みを考案したのだ。
なんと・・・頭良い 🙄
これが当時の英米の金融資本家たちの反発を招き太平洋戦争の原因となったのは想像に難くない。
以下検証してみます。
その前に
クリック願います
続く
アメリカの銀行も国有化へ?
昨年の10月19日のなんでや劇場では、金融破たん→銀行への資金注入→銀行は、国有化するしかない!参照:10/19 なんでや劇場レポート1 ~銀行国有化しかない~
と予測していました。
あれから3ヶ月。現実味を帯びてきたような記事が見つかったので紹介したいと思います。
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広告収入急減により新聞社は陥落~統合へ
インターネットが社会インフラとしてほぼ定着し、「若者の新聞離れ」と囁かれて久しいが、新聞業界にはいっそう深刻な危機がせまっているようだ。
電通が月次で発表している同社の月次広告売り上げによると、08年12月の新聞は前年12月比で18%も減少している。(東洋経済2009.1.31号記事より)
広告収入が急減しているのだ。
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’09年、マスコミの淘汰過程に入った
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