2011年07月29日

民主主義は自我の暴走装置である(2)~民主主義が歩んだ戦争と内戦の歴史

前回の記事では、「民主主義は自我の暴走装置である」という新しい認識を紹介しました。

民主主義は何よりも発言権や評価件を優先させ、人々は『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化します。民主主義は共認原理に立脚しているのではなく、自我原理に立脚しているのです。
民主主義が自我の暴走装置となり、その結果が経済破綻と地球破壊であり、人類は滅亡の一歩手前にあります。この滅亡を回避して、共認原理の社会を実現するためには、まず民主主義を全面的に否定する必要があります。
そして、民主主義を全否定することは、マスコミや政府を批判する傍観者的な否定と大きく異なり、民主主義に染まって自我の暴走を正当化してきた、自分自身の生き方を問い直す行為でもあります。
るいネット「民主主義は、自我の暴走装置である」より抜粋

前回は、民主主義を全面的に否定することの重要性をお伝えしましたが、これまで、正しいと信じてきた民主主義を、いきなり全否定しろと言われても、皆さんとまどわれると思います。
そこで、今回からは民主主義が自我の暴走装置であることを示す歴史的事実を確認していきたいと思います。今日は、「民主主義国家だから戦争を行ってきた」、「民主主義は自我の暴走装置である~フランス革命のラ・マルセイエーズ」、「民主主義は自我の暴走装置である(ロシア革命の場合)」の3つを紹介します。
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◆民主主義国家だから戦争を行ってきた リンク
民が主である民主主義は疑うことなく正しいもの、と私たちは教えられ信じ続けてきました。しかし、民主主義国家が行なってきた事実を歴史的に見てみれば、私権獲得に走る自我を正当化するためにこそ、民主主義があったことが分かります。
よもぎねこさんのブログから、「民主主義国家は戦争が大好き」を引用します。

「民主主義国家は平和を愛する」「民主主義国家は侵略をしない」と言う人がいます。アメリカなどの国家的見解もそのようです。しかしそんな事は嘘です。
 第二次世界大戦前の地図を見れば一目でわかります。 民主主義国家、イギリスやフランスがどれ程広大な植民地を持っていたか。この広大な植民地はこれらの国々が、市民革命以降侵略戦争を続けた結果得たものです。アメリカ合衆国の領土は、元々東部13州でした。これを現在の領土まで拡張するのに、メキシコやハワイ王朝まで侵略したのです。  
 別に近代に限ったことではありません。高校の歴史を知っていればわかるでしょう?
古代アテネは民主主義化してから、覇権主義を剥き出しにして、ペロポネソス戦争に突入して破滅しました。古代ローマが戦争を繰り返して領土拡大を続けたのは、共和制時代です。帝政に移行してからは殆ど領土は増えていません。
 民主主義国家は戦争が大好きなのです。 そして侵略戦争も盛んにするのです。しかも戦争は滅法強いのです。なぜ強いかは古代のアテネ人が「ペルシャ人への手紙」で書いたように、自由な人々が自分の意思で愛国心に燃えて戦うからです。君主の命令で無理やり徴兵されたり、或いは金目当てに戦う庸兵は、このような士気の高い軍隊に適わないのです。
 それは近代ではフランス革命のときにも証明されました。ナポレオンの軍隊がヨーロッパを征服したのは、ナポレオンの軍事的才能以上に、この兵士達の資質の高さによるのです。これと戦ったプロイセンの有能な軍人達はこの真理を見抜き、強力な軍隊を持つには国民国家の形成が不可欠と考えたのです。そして日本が明治維新を行ったのも、国民国家にしなければ、他の国民国家からの防衛が不能だと悟ったからです。
 また第二次世界大戦で日本やドイツやイタリアにファシズム政権ができたのは、これらの国が民主主義国家だったからです。ドイツが典型ですね。当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法でなければ、ヒトラーのように門地も学歴もない男、美術学校に合格できなくて浪人を続けた挙句に、歩兵伍長になったオーストリア人がドイツの支配者になれるわけは無いのです。
 尤もこれだって古代からの習いで、ソクラテスはその2300年も前に「民主制は僭主制になる」と言っています。民主主義が独裁者を生み、これが戦争に走るのです。これも古代ギリシャから現代まで同じ事を繰り返しているのです。
 でも第二次世界大戦で、枢軸国が負け、連合国が勝つと、彼らは戦争が起きたのは反民主主義国家が好戦的であるからで、自分達は民主主義国家は平和的であると言ったのです。どの口で言うか?と言いたいですけどね。しかしアホ臭い事に、今でも日本人の多くがこれを信じているのです。
 歴史に学べば、民主主義国家が好戦的で、また戦争に強いのです。 
 良く中国の将来に付いて「中国もいずれ民主化されたら覇権主義は止めるだろう」と言う事を言います。しかしワタシは上記の理由から、中国が民主化されたら、平和的になるなどとは、全然思っていません。むしろ今の共産党支配化の中国より更に好戦的になる可能性のほうが大きいと思っています。なぜなら中国の領土は13億の中国人が、彼らの望む豊かな生活を送るには狭すぎます。それで今も共産党は覇権主義に走って居るのですが、民主化されたらこれを今度は国民の総意でやろうとするでしょう。だって民主化されてもそれだけでは、中国の領土が増えるわけではありません。中国人達の欲しがる土地を得るには、覇権主義を続けて領土拡張を図るしかないのです。それは嘗てイギリスやフランスがしてきたことですから、中国もするだろうと言うだけの事です。

◆フランス革命を支配していた狂気~革命歌「ラ・マルセイユーズ」 リンク
民主主義革命の例に挙がるのがフランス革命ですが、その実態はとてつもなく血生臭いものでした。それを示すのがフランス革命歌として歌われた「ラ・マルセイユーズ」です。歌は7番までありますが、1番だけ紹介します。
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・祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
・我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
・血塗られた軍旗がかかげられた
・どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
・子どもや妻たちの首をかっ切るために、
・やつらは我々の元へやってきているのだ!
・武器をとれ、市民たちよ
・自らの軍を組織せよ
・前進しよう、前進しよう!
・我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!
私たち日本人が聞けば仰天するような、狂気に満ち満ちた歌詞です。
殺戮の奨め以外の何物でもありません(このトンデモない歌が現在のフランス国歌です)。
こんな歌を革命軍だけでなくフランス市民が熱狂して歌っていたのです。
このことは、フランス革命当時の大衆意識が自我の熱狂状態であったことを示しています。民主主義が自我の暴走装置であることの一つの証拠だと思います。
◆民主主義は自我の暴走装置である(ロシア革命の場合)  リンク
ロシア革命というと、ロマノフ朝の専制政治を妥当して、農奴を解放した正義の戦いであったかのように言われていますが、その実態は、みんなの幸せなど無視して、革命勢力の諸派が自分たちの正しさを主張して内部で殺し合いを続け、内戦のために農民労働者を強制的に徴兵し、農民労働者からも大きな反発を呼んだ革命でした。
以下、「20世紀の歴史 ロシア革命-その理想と現実」より抜粋

 1917年11月12日憲法制定議会の選挙がおこなわれた。実力で政権を握ったボリシェヴィキが実施を認めたのは自分たちが多数を握れるとの目算があったからであった。ところが、社会革命党が6割占め第1党、ボリシェヴィキは全議席の4分の1にとどまった。
 1918年1月5日、憲法制定議会が開かれた。ボリシェヴィキはソヴィエトの権力承認を求めたが否決され、退席した。そして翌日には議場を閉鎖した。議会は二度と開かれず、社会革命党右派とメンシェヴィキの合法的活動の場は奪われ、ソヴィエト政権はボリシェヴィキと、それに近い社会革命党左派によって独占されることになった。
 1919年ロシアは本格的な干渉戦争、そして内戦に突入した。この非常事態に、ソヴィエト政府は赤軍を志願制から徴兵制に切り替え、労働者と農民を動員しはじめた。その兵力は最大時で550万に達した。さらに、食料調達隊を農村に送り余剰穀物を強制的に徴発した。工場もすべて国有化され、労働者の自主管理にかわって厳しい統制がしかれた。こうした政策は当然のように、農民と労働者の猛反発をよんだ。
 政権内の闘争も激化した。社会革命党左派のテロが続き、8月30日にはレーニンが重傷を負っている。これらの動きに対して、レーニンは徹底的な弾圧でのぞんだ。チェカなる秘密警察で、「反革命派」とみなした人物を捕らえては裁判なしで処刑した。チェカの地方幹部が暗殺されると市民500人を銃殺して報復するというすさまじさであった。
 また、かつての皇帝ニコライ2世一家は臨時政府に監禁された後、ボリシェヴィキ政権によってエカチェリンブルクに移されていたが、この地に白軍が接近したため、7月16日に全員殺された。この事実は、ボリシェヴィキの暴虐性を示すものとして喧伝された。
 1920年11月、内戦は幕を閉じたが残されたのは荒廃した国土と破綻した経済であった。工業生産は大戦前の7分の1、穀物生産は5分の1へと激減していた。とりわけ1920~21年は大凶作となり、500万人が餓死したと伝えられる。
 この悲劇がソヴィエト政権の政策に起因することは疑いない。工業の崩壊は、強引な国有化で管理部門をみずから破壊したことが原因だった。農村では、地主や富農は銃殺もしくはシベリア送りとなり穀物生産は壊滅していた。貧農すら、余剰をすべて徴発されたため生産意欲を失ない、食糧を隠したり蜂起したりして抵抗した。政府は彼らを「暴徒」とみなして弾圧し、女子供、老人をふくむ村民全員を銃殺することもあった。
 飢餓にさらされた都市の民衆の不満は頂点に達していた。1921年2月、ペトログラードの労働者が民主化を要求し、ストに突入した。レーニンは赤軍を派遣してこれを粉砕した。「労働者と農民の政府」が、帝政以上に力ずくで労働者と農民を抑圧する体制であることが明らかとなってきた。
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 3月1日、水兵ら1万5000が反乱をおこした。彼らの要求は、自由選挙・複数政党制・全政治犯の釈放・農地私有の保障などで、ロシア民衆が考える革命本来の精神を代弁するものといえた。レーニンの解答は、武力による鎮圧であった。反乱軍は数千人が銃殺された。
 1922年レーニンは脳卒中で倒れ、実権を握ったのは、党官僚と秘密警察を従えたスターリンだった。スターリンが行ったのが、農業の全面的な集団化であった。集団化によって、農民の生産意欲は減退し、農業生産そのものは落ち込んだ。その結果、1932~33年、すさまじい飢饉が襲った。政府は強制的に徴発を続け、この間の餓死者は600万~700万ともいわれている。
 ある階級を敵と断じ、これを打倒してこそ理想社会が実現できるのだ、という社会主義の理論そのものが悲劇の根本的な原因ではないだろうか。「自由・平等・博愛」をうたったフランス革命ですら醜いテロ合戦で数十万人が命を落としたのだから、「階級闘争」を掲げたロシア革命がそれ以上の犠牲を生んだとしても不思議ではないのかもしれない。
 ある推計によれば、1917年以後の内戦・粛正・飢餓・集団化による犠牲者は6600万人にのぼるとされている。世界史上、これほどのスケールで自国民を虐待した国家はソ連と中華人民共和国以外に存在しない。

◆民主主義が自我の暴走装置であることは歴史が証明している
 これまで、ギリシャの民主主義、ローマの共和制、欧米の民主主義革命、ロシアの社会主義革命といった、主要な民主主義制度を概観してきましたが、その歴史は戦争と内戦の歴史でした。
 民主主義という観念を獲得した民族や国家は、自分の利益をもっと増やしたという、よこしまな思い=自我を、民主主義は正義であるという言葉で正当化し、正義の名の下に殺戮を行ってきました。
 民主主義が自我の暴走装置であることは、歴史が証明しているのです。

List    投稿者 nodayuji | 2011-07-29 | Posted in 08.近現代史と金貸し5 Comments » 

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コメント5件

 国民の生活が第一は人づくりにあり | 2012.06.18 10:52

フランスとギリシャ総選挙結果は「経済活性化こそ国民の声」の反映・日本も続け

 フランスとギリシャ総選挙結果は暴れまわる国際金融資本の動きを封じ経済活性化させることこそ国民の願いの反映、最新のWeb情報は下記、

 通りがけ | 2012.06.19 13:52

【国会議員全員共謀共同正犯(故西岡参院議長)】
今これを阿修羅で拡散中です
>>さらば民主党!  天木直人 
>>http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/551.html#c43
>福島原発の20キロ圏に数百~千の遺体 ”本当に死後の被曝かどうか怪しい” (原発問題) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/657.html
71. 2012年6月18日 06:56:39 : rWn9PLlcps
命が惜しい腑抜け腰抜けばかりじゃ大熊町で命を落とした千人の人たちは皆誰一人も浮かばれない。
72. 2012年6月18日 07:43:31 : rWn9PLlcps >>69
何度でも言うがこれは脱原発など全然関係ない大量殺人事件の犯人捜しだ。
どこに逃げようと殺人者は必ず裁いてやるぜ。地の底から引きずり出してもな。
JCOのことも同じ。保安院西山、おまえだけは絶対に許さんからそう思って震えていろ。
73. 2012年6月18日 09:36:01 : rWn9PLlcps
菅枝野東電保安院そして311の最初から財政出動無しと決めていた野田よ。
殺人犯テロリストと妥協和解することは決してない。
秋霜烈日の刑事法廷で会おう。震え上がって待っておれ。

 金 国鎮 | 2012.06.19 15:52

ツングース系民族は山あり谷ありの地域に住んでいた民族で冬は氷点下の厳しい気候の中食料の確保が大変だったと思うね。
属国意識も裏を返せば腹がすいては戦も出来ぬということでしょう。
彼らが肥沃な土地を求めて南下するのは自然の摂理です。
百済の領地は朝鮮半島では珍しく山が少なく耕作地が多い肥沃な地域。
昔の朝鮮半島や中国東方地方は今と違って人家から少し森に入れば野生の虎・豹・熊が生息していた地域ですよ。
それも半端な数ではない。
鉄砲はほんの数百年前に西洋から伝わりました。
日本にはその当時百済の耕作地に匹敵するような耕作地はなかったと思う。
今日本の各地域に点在する耕作地は長い期間
多くの人が荒地を開墾して耕作地に作り替えたものでしょう。
東京・名古屋・大阪等はほんの一例です。

 青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ | 2012.06.19 23:48

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6月17日放送「たかじんのそこまで言って委員会」の動画を見つけました。
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