『アメリカの共和党と民主党』18・・・窮地に追い込まれ、矢継ぎ早にカードを繰り出す暴走国家へ(1/2)
年代 |
国際情勢 |
アメリカ情勢 |
共和党/民主党 |
1960 ~ 1970 年代 |
≪参照≫ ↓ 『アメリカの共和党と民主党』16/アメリカの『力の限界から多極路線』へ(1/2) 『アメリカの共和党と民主党』17/アメリカの『力の限界から多極路線』へ(2/2) |
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1981 | イラン・イラク戦争 | レーガン暗殺未遂 | 共和党レーガン大統領就任 |
1982 | メキシコ発の債務危機が他の途上国に波及 | 双子の赤字顕在化 | レーガノミックス実施 |
1983 | ベイルートの米国大使館爆破事件 | グレナダ侵攻 | |
1984 | ロス五輪開催 | レーガンドクトリン発表 | |
1985 | ゴルバチョフがソ連共産党書記長就任 | WINEP設立(ユダヤ系) | プラザ合意 |
1986 | リビア空爆 | ||
1987 | ブラックマンデー | 世界一の債務国となる | |
1988 | CSP設立(ユダヤ系) | レーガン大統領がソ連訪問 | |
1989 | ベルリンの壁崩壊 |
共和党ブッシュ大統領就任 マルタ会談(冷戦終結) パナマ侵攻 |
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1990 |
イラク軍がクウェートに侵攻 東西ドイツ統一 |
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1991 | エリツィンがロシア連邦大統領就任 | 湾岸戦争 | |
1992 | ロサンゼルス暴動 | ソマリア侵攻 |
『アメリカの共和党と民主党』16 ・・・アメリカの『力の限界から多極路線』へ(1/2)
『アメリカの共和党と民主党』17 ・・・アメリカの『力の限界から多極路線』へ(2/2)
とここまで見てきたように、アメリカは産業資本家の台頭⇒軍産複合体の強大化によって20世紀初頭には世界一の経済大国にのし上がったものの、その後の産業不振と米ソ冷戦構造の限界、さらには諸外国の復興によって、1960年頃から徐々に力の限界が顕在化し始める。そんな中、ニクソン・ケネディという二人の現実主義派の大統領の登場によって、一極覇権、あるいは米ソ二極対立から多極化路線への転換が図られることになった。
一方で、ウォール街を中心とした金融市場(金融資本家)の台頭もこの頃から始まっており(産業資本から金融資本への転換)、これらの勢力も当然ながら政界に大きな影響力を持つようになっていった。
このような状況下において、アメリカは以下の三枚の外交カードを駆使するようになっていく。
① 単独覇権主義(→戦争市場)
⇒戦争を引き起こすことで、軍需産業の利益拡大を図る。≪略奪≫
② 国際協調(多極)主義(→貿易市場)
⇒他国の市場へ介入し、自国のものを売りつける。(WTO、FTAなど)≪脅し≫
③ 米英(白人中心)主義(→金融市場)
⇒他国の金融市場へ参入し、他国の資本を騙し取るor掠め取る。≪騙し≫
これらは何れも自国の市場拡大のためのアメリカ流のやり方である。
行き詰まったアメリカが、上記三つのカードを使い分け、更なる市場拡大を図ろうとする様子を、レーガン大統領以降から現在に至るまでを、以下に見ていきたいと思います。
応援よろしくお願いします
※以下の各小タイトルの後ろの数字①②③は、上記政策カードのどれに当たるかを示しています。
■■ レーガン政権(1981/01/20 – 1989/01/20)
◇ 政権の閣僚に関して
ロックフェラーから多額の献金を受けていて、かつロックフェラー主導の三極委員会(TC)メンバーであったジョージ・ブッシュ(ブッシュパパ)を副大統領に据えた他、主要閣僚であるCIA長官や国務長官、財務長官、商務長官には同じくロックフェラー主導の外交問題評議会(CFR)のメンバーを配置している。
このことからレーガン政権は、ロックフェラーをはじめとする産業資本、軍需産業からの支援(影響)が大きい政権であったと考えられる。
■ 共和党の支持基盤となる保守派の組織化(⇒①)
アメリカン・コンサーヴァティヴ・ユニオン(ACU)
ヘリテージ財団
アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)
ケート研究所
これらの保守系財団が台頭し、共和党の支持基盤となっていった。
※設立から30年余りながら現在、ヘリテージ財団はワシントンのシンクタンク中でも強い地位を得ている。
■ レーガンドクトリン(⇒①)
「強いアメリカの復活」を標榜するレーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」と名指しで非難。国防予算を大幅に増額して戦略防衛構想(通称スターウォーズ計画)を一方的に推進する。
ヘリテージ財団が、1980年代から1990年代前半にかけてのレーガン・ドクトリンの主要な立案者かつ支援者だった。米国政府はこれによりアフガニスタン、アンゴラ、カンボジア、ニカラグアなどで反共主義を掲げて公然、非公然諸々の介入を行い抵抗運動を支援した。また冷戦の期間中全世界的に反共主義を支援した。
■ グレナダ侵攻(⇒①)
小アンティル諸島のグレナダでクーデターによって左派政権が成立した。しかし、1983年に親ソ勢力が更にクーデターを起こし、首相を殺害。軍司令官ハドソン・オースティンを議長とする革命評議会が樹立した。
これに対し、カリブ海での共産主義勢力の増大を恐れるアメリカは、7000人の軍をカリブ6カ国軍とともに派遣し介入。オースティインを逮捕し(後処刑)、革命政権を崩壊させた。翌年総選挙が実施され、中道政権が樹立した。
■ リビア空爆(⇒①)
1986年、アメリカが「テロ支援国家」に指定する社会主義人民リビア共和国に対し、テロ活動への報復として、首都トリポリを爆撃。同時に西側諸国に向かって、対リビア制裁に加わるよう働きかけた。
■ レーガノミックス(⇒①、③)
ヘリテージ財団が提唱するサプライサイド経済学に大きく傾倒したレーガノミックスと呼ばれる一連の政策が、レーガン大統領により実行された。その内容は大きく以下4つ。
① 減税
② 福祉予算削減し軍事支出に転換
③ 規制緩和
④ 金融政策(インフレ抑制)
これは、結果的には一部の金持ちに対する優遇政策に過ぎなかった。
これによってアメリカの経済格差は大きく拡大。さらに軍事費急増が急増したことによって、貿易赤字(経常赤字)と財政赤字という双子の赤字に陥る結果となった。
■ プラザ合意(⇒③)
1985年におけるアメリカの対外不均衡解消を名目とした協調介入への合意で、対日貿易赤字の是正を狙い、円高ドル安政策を採るものであった。歴史的な会議であったが、事前に内容は詰められており、会議自体の所要時間はわずか20分程度で終わった。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し120円台での取引が行われるようになる。
これにより日本は円高不況⇒金利引下げ→投機過熱→バブル発生→崩壊。さらにそれまで保有していたアメリカ資産(国債など)は、為替レートの急変動(円高)によって、資産価値が著しく目減りし、結果的にアメリカに多額の資産を譲り渡す形となった。
※この筋書きを書いたのが、当時デヴィッド・ロックフェラーが名誉理事長を務めていた国際経済研究所(IIE)のピーター・G・ピーターソンだった。彼はまた、85年にデヴィッド・ロックフェラーの次の外交問題評議会(CFR)の理事長にも就任している。
<参考>プラザ合意=お金をあげる約束?!
■ 途上国の債務危機を誘導、そして市場開放要求(⇒②、③)
シティバンクを始めとするアメリカ(及びイギリス)の巨大銀行には、1970年代の石油ショックによって膨張した資金がOPEC(石油輸出国機構)諸国から預け入れられていた。そして、この巨大銀行はそれらの資金をもとにメキシコやブラジルなどのような途上国に貸付を増やしていた。これらの国々は急激に増大した石油代金を支払うための資金を必要としていたからである。OPECの資金が増えれば増えるほど、「非産油発展途上国」の国際収支の赤字は増えていった。
しかしこれらの第三世界の債務国は、1980年代に「債務危機」を迎える。この危機を表面化させたのは、FRBを始めとする先進国の高金利政策で、それと並行して起きた景気後退と共に、借入国の元利返済が一挙に困難になったのである。高利貸しは、最初は威勢良く貸して、やがて身ぐるみを剥いでいくものだが、途上国の債務危機でも同じようなことが起きた。
借り主に対して追い込みをかける役割を果たしたのが、国際通貨基金(IMF)であった。IMFは、債務の猶予や再編成を行う条件として、国内支出の削減や主要国営産業の民営化を債務国に突きつけた。
こうして、金融資本とIMFが結託することで、途上国を次々に国際市場に巻き込んでは、その豊富な資金力で企業を買収するなどして、途上国の資本に乗っ取りを仕掛けていった。
■■ ジョージ.H.W.ブッシュ政権(1989/01/20 – 1993/01/20)
現ブッシュ政権スタッフのメンバーと同様の人物が、ここで台頭している。
国務長官にべーカー
国家安全保障問題担当大統領補佐官スコウクロフト氏のスタッフに、C・ライス
国防長官がチェイニー
統合参謀本部議長がパウエル
国防次官にウォルフォウィッツ
※ネオコンといわれている人物が政権スタッフに食い込んでくるのも、この政権からである。
■ 冷戦終結(⇒②)
1989年12月3日のアメリカのブッシュ、ソ連のゴルバチョフの両首脳がマルタにおいて会談し、冷戦の終結が宣言された。
■ パナマ侵攻(⇒①、②)
1989年、パナマのノリエガ将軍を麻薬密輸の容疑で逮捕するという名目で、米国はパナマに侵攻するとともに、ノリエガ将軍に代わってエンダラを大統領に就任させた。
但し、侵攻の真の目的は内政干渉であったらしい。そこには、パナマ運河を抱えるパナマの内政をコントロールするという歴史的な思惑がある。また、侵攻後に、パナマの麻薬売買の量は格段に増えたという指摘もある。
■ 湾岸戦争(⇒①)
1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、アメリカが中心となり、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。この戦争を始めるに当たってブッシュ大統領は国連を重視した。そして、ソ連と協調、さらにあくまで侵略の阻止を打ち出した。これを3つの原則と呼ぶ。
国連決議を始めとする周到なお墨付きを得た後に、パウエルを司令官に、アメリカ軍と多国籍軍はイラク軍と交戦。約2ヶ月で停戦まで持ち込んだ。
※ 湾岸戦争の戦費を騙し取った!?(⇒①)
湾岸戦争で日本はサウジアラビア 163億ドル、クエート 160億ドルに次ぐ135億ドル(1兆7千億円)をアメリカに払わされた。この時集めた資金の合計は 610億ドルと言うことになっているが、実際はその半額しか使わなかったという。
当時、ドイツのゲンシャー外相はこれを発見し、まだ戦争も終わらぬうちにワシントンに乗り込み、ホワイトハウスと国務省に対して数字の説明を求めて、追加支払いを拒否した経緯がある。これはアメリカの主要紙すべてが伝えたが、「日本の新聞は全く触れなかった」。逆に、「カネだけで血を流さない日本に、議会をはじめとしたアメリカの不満、さらには怒りが増大する」といった報道ぶりであったことは、周知の通り。
■ ソマリア侵攻(⇒①)
アメリカ軍は1992年、内戦中のソマリアの治安維持と国民の保護を目的で、ソマリアに侵攻した。
しかし、アメリカ軍は部族紛争に対応できず、アメリカ軍兵士が武装民兵に殺害されたので、1994年クリントン大統領は、ソマリアの治安維持と国民の保護という目的を達成できないまま、ソマリアから軍を撤退した。
■ 冷戦後の新世界秩序の構築(⇒①、②、③)
世界を一致調和する目的で超大国または世界政府が安全と“世界平和”を約束し支配権を持ち、一般的宗教の実施と世界中を一つの経済システムに統一し、世界を優位国または世界政府に服従させることを目的とした「新世界秩序の構築」を、湾岸戦争後に提唱したブッシュ大統領だったが、経済不況が本格化していくこともあり、このころから支持率が急落していく。
そして再選を賭けた1992年の大統領選で、クリントンに惜敗することとなった。
『アメリカの共和党と民主党』19・・・窮地に追い込まれ、矢継ぎ早にカードを繰り出す暴走国家へ(2/2)
へ続きます、、、
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コメント5件
路上で世直し なんで屋【関西】 | 2008.11.13 23:10
EU・ユーロ圏の分析 経済基礎データ
『EUって、どうなっているの?』1 プロローグ:金融危機で最も危ないのは欧州!http://blog.trend-review.net/blog/2008…
あさおかG | 2008.11.18 19:51
tennsi21 さんコメントありがとうございます。
新たな金融秩序をつくる国際金融機関(IMF)の転換が、イギリス主導だと、金貸し規制どころか新たな金貸しの抜け道になってしまいます。
そうならないためにも、このシリーズで事実を追求して発信していきたいと思いますので、応援よろしくお願いします。
mbt shoes sale germany | 2014.02.22 5:29
mbt sapatu 日本を守るのに右も左もない | 『EUって、どうなっているの?』1 プロローグ:金融危機で最も危ないのは欧州!
Learn More Here | 2014.03.28 17:09
hermes paris bombay 日本を守るのに右も左もない | 『EUって、どうなっているの?』1 プロローグ:金融危機で最も危ないのは欧州!
田中宇の国際ニュース解説2008年11月13日より引用
★「世界通貨」で復権狙うイギリス
米国の経済崩壊、ドル覇権体制の崩壊に備えた、英国の新たな世界戦略の一つが、かいま見えてきた。
それは、1944年のブレトンウッズ会議で英国代表のケインズが提案したが、米国の反対によって実現しなかった世界共通通貨(国際決済通貨)「バンコール」(bancor)の構想を復活させることである。
11月15日に米ワシントンDCで「第2ブレトンウッズ会議」の通称を冠されたG20サミット会議が開かれる。
この会議の発表されている主なテーマは、国際金融危機を繰り返さないための体制作りである。
この会議に対し、英ブラウン首相は10月初めから「ブレトンウッズ2が必要だ」と言い続けてきたが、1944年のブレトンウッズ会議の主なテーマは、第二次大戦後の国際通貨体制の確立であり、金融制度ではない。
なぜ金融制度の会議に、通貨制度の会議の名前をつけるのかと私は疑問に思っていたが、どうやらブラウンは、ブレトンウッズ2会議(11月15日のG20会議、もしくはその後繰り返されるであろう同種の会議)で、IMFがドルに代わる新しい国際決済通貨を発行する「世界政府」的な「新世界秩序」を提案するつもりらしい。
引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ユーロもドルも国際決済通貨という新たなバスケット制を構成する
通貨の一つとなり、その発行機関たるIMFを支配するのがイギリスというワケなのだ。