2008年03月12日

日本支配の構造3 太平洋戦争~敗戦

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国際文化会館
 
1937年に日中戦争、更に1941年に日本は米国に宣戦布告し太平洋戦争に突入します。これまで日本が台湾、朝鮮、満州へと進出していく過程を国際資本や国内資本(特に三井物産)の動きから見てきました。太平洋戦争以降日本は国家総動員となります。戦時下ではまさしく自前で食料、物資を調達せねばなりません。
 
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8.戦時下の物資争奪戦 
 
文献「財閥と帝国主義」坂本雅子著 より引用します。
 
「戦時下の三井物産にとってアジア、特に中国市場は極めて大きな比重を占め、中国を中心とする食糧、物資の取扱いは、同社の国内・国外を含めた業務全体の過半を占めるものとなっていた・・・(略)日中戦争そのものが蒋介石軍、共産軍との物資争奪戦、とりわけ食糧争奪戦の様相を呈したのであり、食糧確保こそ現地日本軍の補給と占領地の治安確保にとって最も重要で、戦争の帰趨を決するものであった。(略)
この物資確保戦において軍部は日本の商社―とりわけ三井物産に大きく依存した。三井物産の活動は商業活動の域を超えて、補給と治安維持という戦争行為そのものとなった。」
 
経済活動は全て戦争のために統制されるようになっていきます。 
 
以下、法政大学大原社研 戦争突入期の戦時経済と経済統制より引用です。
  
 「戦争開始後まもなく、労務調整令・企業許可令・物資統制令・農業生産統制令が次々と公布され、外国為替相場は廃止された。さらに一九四二年にはいって、戦時増税案や第二次生産力拡充案が発表され、衣料切符制が実施され、食糧管理法・新日本銀行法・企業整備令などがこれに統いた。ハワイ真珠湾の不意打ち襲撃とマラヤ半島上陸作戦に始まる日本軍の緒戦の戦果は、予想を越えて圧倒的なものであり、開戦後半年の間に、東南アジアの主要地域はことごとく日本軍の占領下にはいった。戦時経済の隘路をなす不足原料物資の供給地に目せられた「南方共栄圏」の建設も、一時は好調に進展するかにみえた。司政長官以下が続々現地に派遣され、また南方開発金庫が設立されて、物資獲得に使われる現地通貨の印刷に狂奔した。
しかし緒戦期の圧倒的な軍事的優位も長くは続かず、一九四二年六月のミッドウェー島作戦の敗北によって、戦局は転換しはじめた。海運と造船の増強策が次々と取られたにもかかわらず、戦時経済の命の綱であった海上物資輸送を担当する船舶保有量は、一九四二年から歴然と激減しはじめた。(略)
 一九四三年にはいると、戦時経済は早くも決戦態勢へ本格的に移行せざるをえなくなっていた。政府は年初早々、「戦時行政職権特例」および「戦時行政特例法」を閣議決定したが、これによって、鉄鋼・石炭・軽金属・造船・航空機の五重点産業を指定し、戦力増強の非常措置をとって、産業行政の一元化、重点産業の強化、官僚統制の是正を行なおうとした。」
 
 
当然といえば当然ですが、もはや商売どころではなくなっていきました。しかし、戦争前後では、日本の市場を巡って国際資本が暗躍していたようです。
 
9.戦前、戦後の国際資本 
  
 戦前の日米財界では戦争回避へ動いた人々が居たようです。科学研究費成果報告書 「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」より抜粋・引用します。
 
クライマンは戦前、日米戦争回避のための水面下でさまざまな努力をおこなっていた人物で、 1938 年頃から開戦の前の年ぐらいまで日本に何回か来日していますし、ニューヨーク方面においても日米戦争回避のための一種の民間外交を繰り広げていたわけです。
 
 クライマンが来日したのは、ひとつは戦略爆撃調査団の仕事ということもあるのですが、(略)彼にとってある意味でより重要な仕事としては、彼がおこなおうとしていた戦後のビジネスを推進する上で、 日本の政財界の人たちと再びコンタクトを取りたいというのが大きな個人的な目的であったものと思われます。(略)要は、アメリカにおいて凍結された日本の資産をその資産の持ち主の日本の会社に戻すことにもしクライマンが成功した場合、 その戻した財産の価値の一割をクライマンにサービス料として支払うという、 そういう約束事が書かれてある手紙の草稿が何枚かあります。(略)これは複数の草稿がある中ではっきりしていることは、木内文書の関係では、横浜正金銀行の資産を横浜正金銀行に戻すことにクライマンが成功した場合は、その資産の一割をクライマンに報酬として渡すということなのですが、こっちのションバーガーの史料には、三井財閥の在米資産をクライマンが三井のほうに戻すことに成功した場合は、 その三井の在米資産の一割をクライマンに成功報酬として渡すということです。」

 
註;日本は貿易や国際的な金融取引を通じて外国に資産を保有していましたが、戦争に入ると諸外国は敵国となる日本の在外資産を管理、凍結します。この凍結資産をネタに商売しようとした外国人、と言うことのようです。
  
 「特に満州への投資に関するプロジェクトを推進したのが、 ちょうど鮎川構想がだんだん挫折しはじめた40 年の半ば以降ですけれども、 40年の夏にオライアンというニューヨーク出身の元少将が来日するのですが、そのオライアン工作にマックスウェル・クライマンがついてきて、彼は澤田節蔵とはそれ以前から知り合いだったので……、(略)クライマンはそういうプロジェクトもやるし、また鮎川義介に、満州をヨーロッパのユダヤ人の難民に開放したら、自分はクーン・ローブ商会と人脈関係があるのでクーン・ローブ商会からの対満州投資の斡旋を試みるとか、そういう話を鮎川としているのが1939 年のクライマンの姿です。それから日米戦争回避の努力として、たとえばセオドア・ルーズベルトの姪か甥と一緒になって、ニューヨークでそういう平和運動というのを展開したりしています。ただ、彼の日本との関係の発端は、1930 年代の初めに各務鎌吉と仲良くなったのがきっかけです。鮎川がマックスウェル・クライマンと知り合ったのは確か1938 年で、大蔵官僚の石綿荘太郎が彼を鮎川に紹介したんです。」 
 
註;鮎川義介とは、日産コンツェルンの創始者で当時三井にいた井上馨の庇護(井上とは縁戚)を受けて成長し、満州重工業社を興した人物です。
 
 更にクライマンとは別のジャパン・ロビイストにウィリアム・ドレイパーと言う人物も居たそうです。
 
 「ドレイパーは対日リバースコースが実行に移される時の陸軍次官であったわけですが、たしか 48 年の 12 月に、戦前に役員を務めていたディロン・リード証券に戻っています。社長はディロン・リード商会の創始者クレアランス・ディロンの息子のC・ダグラス・ディロンという人で、後にケネディ政権のときの財務長官を務めて、去年九十八歳ぐらいで亡くなりましたけれども、共和党のいわゆる国際派で、人脈的に言うとネルソン・ロックフェラーの系統ではないかなと思うのですが、(略)この50 年の朝鮮戦争が勃発した前後、ドレイパーはたとえば白洲次郎や一万田日銀総裁と会ったりして、日本経済の立て直しや、国際通貨基金や世銀への加入について日本側からアドバイスを求められたりしています。いわゆる日本側は、戦前のクーン・ローブ商会やモルガン商会のような役割をディロン商会に期待していたようで、 ドレイパーはそのような日本側が期待を注ぐ会社のキーパーソンとして、 いろいろと建設的な助言をおこなっていたようです。」
 
 なお、クライマンが商船三井の共同経営者であったと指摘する向きもあります。戦争直前からこれまでのイギリス資本に替わりアメリカ資本との結びつきが強まるようです。なお、こうした繋がりは、敗戦で米国による占領統治下でより明確なものとなったでしょう。ディロンリード社は、ロックフェラー系統です。
 
10.敗戦~財閥解体
 
 敗戦によって三井他財閥は解体されました。しかし、これはあくまでも資本集中を起こさせないための解体で、一時凍結された資本の凡てを接収してまったく存続できないようにしたものではありません。むしろ戦後の日本統治を模索していた米国は、様々な方法で日本を狡猾に支配しました。中には阿片の資金で岸信介が総理大臣になったように、使える資産を持たせておくこともあったでしょう。又、松方コレクションに見られるように敗戦国の個人資産を戦後に取り戻すことなどが出来た例もあります。
 
※ここでいう松方とは明治の元勲松方正義の息子であり、彼のコレクションの一部を取り戻した孫の松本重治は、後にロックフェラーの援助のあった国際文化会館の理事長に就任しています。
 
 これまで明治維新以降、日本政府の動きとともに財閥、国際金融資本について見てきました。考察はしばらく後で行ないますが、政治家とは異なる資本家による帝国主義が戦前の日本に歴然と存在し、国家はむしろ彼らの権益を実現するために動いてきたようにも見えます。
  
 最終的に日本の帝国主義は、米英の巨大な武力の前に敗北しました。しかし、資本家は国家とは別に例え敵国の資本家であろうとも「利益」に繋がると見れば結託していたようです。その見事な「利益主義」は、例え敗戦であっても死滅することは無く、今尚企業、資本家として存続していることは驚くべきことです。そして注目すべきは、明治大正期の英国資本との結びつきが、満州~太平洋戦争直前の頃から米国資本とのそれへと移り変わっていくことです。

List    投稿者 saito | 2008-03-12 | Posted in 04.日本の政治構造1 Comment » 

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コメント1件

 mbt shoes san diego | 2014.02.22 5:14

mary jane shoes 日本を守るのに右も左もない | 権利って何?自然法の歴史からその成立過程を読む(1/2)

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