アメリカによる世論支配のために与えられたマスコミの特権、「報道の自由」
7月18日の記事「アメリカ=GHQの占領政策①『マスコミ他編』」で紹介されている「『日本弱体化政策』の検証~日本の再生をめざして」には、戦後日本のマスコミ支配の原点に関わる重要な記述がある。
要するにアメリカ=GHQの言う通りにしないと発行停止処分にするという脅しを掛けておいて、(実際にほとんどの報道機関を発行停止にした)転向した新聞社だけが、新聞を発行できるという,有無を言わさないで、占領軍の宣伝機関に変じられた。そうしておいて、「新聞と言論の自由に関する新措置」指令が出された。この指令によって、日本の新聞は、「いかなる政策ないし意見を表明しようとも」「決して日本政府から処罰されることがない」という特権的地位を与えられた。国家よりGHQの意向を反映する機関として、制度的にも保障したのである。
一方、るいネット「『報道の自由』を盾に、社会秩序を根底から破壊してゆく者たち。」には、次のような記述がある。
これまで、報道機関は、その報道を規制する法律が殆ど存在しない等、ほぼ無制限とも云える「報道の自由」を保障されてきた。しかし、それは「強大な国家権力や資本権力と対峙する必要から与えられたものである」という大前提を忘れてはならない。そのようにして与えられた、ほぼ無制限とも云える「報道の自由」を武器にして、報道機関は強大な世論形成力を獲得してきたが、近年、報道機関はしばしば国家権力や資本権力のような強大な力を持っていない一企業や一市民を標的として、その強大な世論形成力を行使し、攻撃するようになってきた。
確かに日本の報道機関は、特権とも言える「報道の自由」を保障されてきた。例えば、放送法第三条には「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」。しかも、罰則が非常に軽く、報道の中身に対しての罰則はない。言わばザル法に近い。
これほどまでの特権が与えられたのは、一体なぜなのか?
諸外国の報道機関については調査の必要があるが、これだけ無制限に近い「報道の自由」が保障されているのは、実は日本だけなのではないのか?
常々疑問であったのが、わかった気がする。
「『日本弱体化政策』の検証~日本の再生をめざして」の記述が事実だとすると、
国家さえも処罰できないほどのマスコミの特権「報道の自由」は、戦後日本の世論支配を目論むアメリカによって与えられたということになる。「国家権力や資本権力と対峙する」というのも実はお題目にすぎなかったのだ。
昨年10月15日の記事「テレビも反共の防波堤として始まった」にもあるように、戦後日本のマスコミは、新聞もテレビも最初からアメリカによる世論支配の道具としてスタートしたというのが真相ではないのか。
『日本弱体化政策』の検証~日本の再生をめざして」によると、日教組もアメリカの肝煎りで組織されたとのこと。マスコミだけでなく、戦後の左翼・個人主義勢力はアメリカによって組織されたと言っても過言ではないだろう。
そう考えれば、2005年の郵政選挙の時、マスコミが国家権力と対峙するどころか、小泉前首相賛美に回ったことも、よりスッキリ理解できる。戦後一貫してマスコミとって大事なのは「国家権力と対峙すること」ではなく、アメリカの意向だったのではないか。
(本郷)
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