2012年08月23日

幕末の思想6 共同体(共認充足)を再生する日本の世直しと、破壊する西洋の社会運動

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「地租改正反対一揆(伊勢 1876年)」
画像はこちらからお借りしました。
「幕末の思想」シリーズ1~5のまとめです。
「幕末の思想1 下級武士が西洋思想に収束したのはなぜか?」
「幕末の思想2 下級武士が尊王攘夷に収束したのはなぜか?」
「幕末の思想3 市場化による共同体の崩壊から生まれた世直し期待と民衆宗教」
「幕末の思想4 吉田松陰は単なるテロリストに過ぎない!!」
「幕末の思想5 司馬史観の嘘、歴史小説家の罪」
ここから、日本人の世直しと西洋の社会運動は正反対のものではないかという視点が浮かび上がってきました。

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「江戸時代の思想 共同体に立脚した江戸幕府と、共同体を破壊した明治国家」で明らかにされたように、
江戸幕府の統治は庶民の共同体に立脚しており、最低限必要な法度等を定めるのみで、後は庶民の共同体の自主管理に委ねていた。その法度も富や権力の集中を防ぐことに焦点が置かれていた。共同体における共認充足こそが民の最大の期待であり、それを破壊しないこと、制度や法律でがんじがらめにしないことが民にとっては何より望ましいことだった。
それどころか、江戸時代の法度は支配者発で民に押し付けられたものではなく、農民の規範を元に法制化されていた。
そもそも、江戸時代には農地の私有権は存在していなかった。農地は村の共有財産であり、その上の大名も領地の管理者にすぎなかった。
ところが、江戸時代も後半になると、市場の拡大による貨幣経済の波が農村にも押し寄せ、村落共同体も徐々に崩れてゆく。
農業生産を経済の基礎とし、そこから年貢を取り立てることによって成り立つ幕藩体制の仕組みは、天保期頃に本格的な行き詰まりを示した。商品生産が発展し、貨幣経済が浸透してゆく。
農村荒廃の一方で、問屋制家内工業や分業と協業による手工業などの資本主義的な生産が発展するなど、社会・経済構造の変化は幕藩体制の危機であったと同時に、村落共同体も崩れてゆくことになる。例えば、富農や豪農が登場し、一般農民との貧富の差が拡大していった。
この市場化の流れの中で、下級武士たちも幕藩体制に対する不満と否定意識を募らせてゆく。
【1】そもそも江戸時代初めから都市(市場)の住人となった下級武士は共同体と社会的役割を喪失した遊民と化しており、自我・私権欠乏が潜在していた。
【2】かつ、喪失した社会的役割の代償として施された理想主義的教育の結果、武士たちは現実の圧力から乖離した観念思考に傾斜していった。
【3】さらに市場拡大の流れの中で下級武士は年々貧しくなる一方で、立身出世の可能性もないために幕藩体制に対する不満と反体制(反秩序)意識が強くなっていった。「封建制は親の敵なり」と言った福沢諭吉がその代表である。
この共同体の喪失による自我・私権収束と、理想主義教育による観念思考と、幕藩体制に対する不満と否定意識が、下級武士たちが西洋の近代思想と尊王攘夷に収束していった根本的理由である。
とりわけ、近代思想の中で下級武士たちが惹かれたのは、共和制と自由観念、すなわち民主主義である。そして、民主主義には次のような三重の騙し構造がある。
【1】素朴な貧困からの脱出願望が、私権欲求にスリ変わる。
【2】大衆が救いの対象から、たんなる扇動の対象にスリ変わる。
【3】民主主義は、金貸しにとっては資本支配を正当化する武器であるが、資本力のない大衆においては、利用されるだけの呪文にスリ変わる。そして、一旦、その呪文に染まってしまえば、死んでも騙されたことに気づかない。
当時の武士の中には、天明・天保の飢饉や、貧困、浸透する市場拡大(貨幣経済)に対して、どうする?という素朴な問題意識を持っていた者も少なからずいたはずであるが、そういう素朴な脱出願望から近代思想(民主主義)を吸収した層も、その騙し構造に嵌ってゆき、自我・私権の塊となっていったのである。
そして、この武士たちの私権意識・否定意識に発する西洋思想と尊皇攘夷は倒幕運動へと合流する。
そのイデオローグの最右翼が吉田松陰である。松陰が思想家や教育者というよりテロリストであり、実際に大老井伊直弼や老中間部詮勝の暗殺を計画していたことは「幕末の思想4 吉田松陰は単なるテロリストに過ぎない!!」で明らかにされた。
しかし、それだけでは倒幕は実現できない。
この倒幕運動が成功に至ったのは、成功に至ったのはロスチャイルドの力があったからである。
実際、仏ロスチャイルドが幕府に武器や資金を援助し、英ロスチャイルドが薩長を支援しており、薩長による倒幕の実現はロスチャイルドの支援があったればこそである。
しかも、倒幕を果たした同じ志士たち→明治の元勲たちの主張が途中からコロっと変わっていることも注目すべきだろう。幕末までは尊皇攘夷を主張していた同じ人物が、明治以降は文明開化(西洋化路線)へと転換している。
これも、倒幕運動がロスチャイルドの差し金であったことの証拠の一つであるが、幕末の志士たちが金貸し支配に組み込まれていったのは、彼らが近代思想(民主主義)の騙し構造に嵌ってゆき、自我・私権の塊となっていったからである。逆に、それを良しとしなかった者たちは非業の死を遂げていった。西郷隆盛がその代表である。
そして、薩長、とりわけ長州閥があらゆる部門を掌握するという体制が出来上がった。それが明治維新である。
そして、ロスチャイルド政権である明治政府は、地租改正等の私有権制度や学校制度によって共同体を破壊した上で、中央銀行制度や議会制度(民主主義)を導入し、金貸し支配国家となっていった。
この共同体の破壊に対して、幕末の農民たちはどう対応したか?
江戸時代後半から進行した市場拡大によって共同体崩壊が進行し、それが頂点に達した幕末から明治初めにかけて、秩序化期待(共認充足の再生期待)が生起した。
それが世直し期待であり、そこから幕末にはさまざまな民衆宗教が登場した。

言い換えれば、共同体(共認充足)の維持・存続こそが農民にとって何よりも大切なものであり、それが崩壊の危機に晒されたことで世直し期待(共認充足の再生期待)が広がり、それによってはじめて農民自身がモノを考え始めたのである。
明治維新の後、地租改正や学校制度が導入された時に、それに反対する一揆が起こったのも同じ理由である。それら明治の新制度(私権制度)が共同体を破壊するものだったからである。
このことは、日本人(庶民)にとっての世直しとは共同体(共認充足)の再生であることを示している。
それに対して、西洋の社会運動はどうだったのか?
「前期魔女狩り1480~1520 市場拡大のために農村の共同体的風習を破壊した魔女狩り」「後期魔女狩り1560~1680 民主主義と近代社会運動の源流は魔女狩りなのでは?」と提起されている。
自我に発する魔女狩りによって近世西洋では残存する共同体的風習が破壊され、国民一人一人を国家が直接管理する近代国家体制が出来上がった。近代国家を作り上げた魔女狩りは、市場拡大を目論む金貸しとエリートが仕掛けた社会運動であり、そういう意味で西洋の民主主義や社会運動の源流は魔女狩りである。
ということは、西洋の社会変革運動は自我の暴走による共同体の破壊だったのではないか。
実際、西洋の社会運動の代表であるフランス革命を見れば、そのことは明らかである。革命歌ラ・マルセイユーズ(現在のフランス国歌)は殺戮を扇動する歌であることやギロチン処刑の横行などから見て、フランス革命を支配していたのは魔女狩りと同じ狂気(自我の暴走)と見て間違いない。また、フランス革命が革命に抵抗したブルターニュ地方の共同体を虐殺したことも、西洋の社会運動は共同体の破壊物であることの証左である。
『るいネット』「フランス革命を支配していた狂気~革命歌ラ・マルセイユーズ」
「共認原理と民主主義が正反対である証拠~仏革命によるブルターニュ共同体の虐殺」
日本人の世直しと西洋人の社会変革運動は同列に扱われることが多いが、このように、その中身(ベクトル)は全く正反対である。
日本人の世直しが共同体(共認充足)の再生であるのに対して、西洋の民主主義や社会変革運動はそれと正反対の自我発の共同体(共認充足)の破壊なのである。
このことを現代的に捉えなおせば、次のようになる。
豊かさが実現された’70年以降、近代思想は生命力を失い、社会運動は衰退する一方であったが、その一方で、庶民の意識潮流は私権収束から共認収束に転換し、一貫して共認充足を高める方向に進んでいる。「共認収束への大転換⇒実現の時代へ(1) ~起点となった’70年の大転換~」
「同(3)~‘02年収束不全によって生まれた当事者意識の高まり~」
「同(4)~’02年、自我の終焉→加速する同類探索が課題収束を顕在化させた~」
そして、’10年代に至って市場社会の終焉が明らかになった現在も、日本人はウォール街占拠に代表される西洋流の社会運動ではなく、企業の共同体化に向かっている。
「企業における共同体的仕組みの事例」
「新時代を開くのは、共同体企業のネットワーク」
「共同体企業のネットワークをどう構築してゆくか」
このように、’70年以降一貫して日本人は社会運動(自我発の共同体破壊運動)とそれを導く近代思想を捨象し、共同体(共認充足)の再生に向かって進んでいる。
このことが、日本人の世直しが共同体(共認充足)の再生であり、日本人がその実現に向けて着実に歩んでいることの何よりの証左であろう。

List    投稿者 staff | 2012-08-23 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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