2009年05月08日

金貸し支配と労働運動は繋がっていた?

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金貸しによる日本支配が強まった契機を成すのが’85年プラザ合意だが、それと前後して起こったのが、日本の労働運動の再編だ。
当時の労働運動の再編の大きなトピックは、
【1】1987年 国鉄分割民営化→国労の解体、JR総連の発足と分裂
【2】同年 労働4団体(総評・同盟・新産別・中立労連)の解散→「連合」への統合

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【1】国鉄労働組合(国労)は、当時日本最大の労働組合であり、社会党の主要な支持母体である総評の中心的な存在でもあった。その国労が国鉄分割民営化によってが解体され、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)に再編された。その後、労使協調で旧鉄労系中心、旧民社系中心の日本鉄道労働組合連合会(JR連合)がJR総連から分裂発足したが、どちらも「連合」に加盟している。当時の中曽根首相はその後、国鉄分割民営化の真の目的は、労働組合の解体にあったと述べている。
【2】では、JRの労働組合をはじめ、全国の労働団体を統合した「連合」とは?
以下、ウィキペディア「日本労働組合総連合会」から引用。

1960年代後半から繰り返し志向されてきた日本社会党系の日本労働組合総評議会(総評)、民社党系の全日本労働総同盟(同盟)、全国産業別労働組合連合(新産別)、中間派だった中立労働組合連絡会議(中立労連)の労働4団体の統一を目指す「労働戦線統一」の動きは、1982年12月14日の全日本民間労働組合協議会(全民労協。初代議長は竪山利文・全日本電機機器労働組合連合会委員長)の結成により大きく進展した。 全民労協が1986年11月の第5回総会で翌年秋の連合体移行を確定したことを受け、まず同盟が1987年1月の第23回年次大会で解散方針を決定。 総評、中立労連、新産別の3団体も秋までに「連合」への合流を決定した。
1987年11月19日、同盟と中立労連が解散し、 翌日・11月20日に55単産、組合員539万人を集めた全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」。 初代会長・竪山利文)が発足した。 新産別も1988年10月に解散して合流。 総評は翌1989年9月の第81回定期大会で11月解散を最終的に確認した。
1989年11月21日、東京厚生年金会館で日本労働組合総連合会の結成大会を開き、初代会長に情報通信労連委員長・山岸章を選出。 総評系単産を加えて78単産、組合員約800万人を結集させ、労働4団体の統一を完成させた。なお、山岸は“労働戦線統一の功績”により2000年4月に勲一等瑞宝章を受章した。

そして、この「連合」という巨大労働組織は日本の民主党の支持基盤となっている。そして「連合」が加盟しているのが、労組最大の国際組織「国際労働組合総連合」(ウィキペディア)

2006年11月1日、オーストリア・ウィーンの設立総会にて、それまでの国際自由労働組合総連盟(国際自由労連・ICFTU)と国際労働組合連合(国際労連・WCL)、そしてそれまでどちらにも加盟していなかった幾つかの国の労働組合中央組織(ナショナルセンター)によって設立された。日本では連合が加盟されているほか、世界156カ国、延べ1億6600万人が加盟されている。

「連合」は、1987年2月20日の結成大会で、国際自由労連への加盟を決定している。
金貸しの日本支配が強まる契機となった1986年プラザ合意と前後して、労働組合・運動が急速に再編されはじめた。これは偶然とは思えない。
日本だけではなく、アメリカ民主党の支持基盤はウォール街と労働組合である。金貸しと労働運動は実は密接に繋がっているのでは?という疑問が生じる。潰れかかっている米自動車大手の経営陣が社用機を使って批判を浴びたが、それに劣らぬ特権を米自動車労組UAWは有してきた。「日経ビジネス~全米自動車労組、悪名高き“特別待遇”に決別」より引用。

その特別待遇とは、世間の批判を浴びている「ジョブズ・バンク」制度だ。ビッグスリーとUAWが数十年前に合意した労働協約で導入された制度で、レイオフ(一時解雇)期間中も組合員に賃金の85%を保障する。組合員の中には、会議室で仕事を待ったり公園の清掃に回されたりする日々を何年間も続けた者もいる。その間もずっと賃金に近い額が支払われていたのだ。ジョブズ・バンクは組合権の乱用の象徴となり、自動車業界関係者以外からは“デトロイトのお手盛り待遇”と揶揄されるようになっていた。UAWのロン・ゲトルフィンガー委員長は、「ジョブズ・バンクはUAWを非難する格好のネタとなり、袋だたきに遭った」と語る。

このような特権をアメリカの労働組合はどのようにして獲得したのか? そのような特権は経営者が認めた(与えた)からであり、それは各企業に金を貸す金貸しが認めたからに他ならない。ここでも、金貸しと労働運動の繋がりが透けて見える。
このように、労働運動、さらには左翼運動全体が金貸し支配と繋がっていた疑いが出てくる。
労働運動、さらには左翼運動は金貸し支配の道具の一つだったのではないだろうか? 
これが今後追求すべきテーマの一つであろう。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-05-08 | Posted in 08.近現代史と金貸しNo Comments » 

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