国家と市場の退場・・・新たな未来像、何が求められるのか?
時代がどんどん変わっている。これは人々の意識が作り出す総体である。しかしその実体を鮮明にとらえることは意外に難しい。
歴史構造を押さえていないと捉えられないし、この歴史構造は教科書には書かれていない。ここでは大きく構造を捉えてみたい。
●物的な豊かさの実現。戦争と国家の退場
戦争は約5500年前のイラン高原で、乾燥化→飢えを契機に始まった。皆殺しの略奪闘争が繰り広げられ、勝者がすべてを所有し、敗者を奴隷として従属させる序列統合国家が成立した。戦争が世界中に広がり、国家同士が領土をせめぎあう社会が成立した。それが20世紀中ごろまで、5000年間続いた。
※国家は、飢え・貧困⇒私権収束⇒奪い合い⇒戦争⇒国家の武力による統合という構造、大本は飢え・貧困が原動力になっている。
しかし、1970年頃、日本では豊かさが実現→先進国での戦争封鎖。ついで2000年頃世界的な供給過剰→世界的な戦争封鎖。(一部アメリカの金貸しが人工的に作り出すテロ集団(アルカイダやIS)が限定的に戦争を起こしているだけ。→プーチンの登場で、ロシアによる軍事制圧が進む。)
貧困の時代は、物やお金が必要。権限を持つ上司や権力者に取り入る必要があった。
しかし、物やお金はありふれたものになり、顔色をうかがうという面倒くさいことをする人は殆どいなくなった。
・・・序列統合が有効に機能しなくなった。→1970年以降のマスコミの力の増大。
国家だけではなく、企業においても同じである。私権上位があたりまえのように指示すればすぐ“上から目線”と言われるだけ。
※お上は、この「国家の解体」を必死に押し留めようとしている。森友学園のような戦時体制学校を作ろうとしているのも、安倍の戦争できる国づくりも、様々な制度上の圧力強化もその延長上にあるが、時代の流れに逆らうこと自体無理がある。
●市場の衰弱、金融勢力の衰退
物的豊さの実現とともに、市場も衰弱する。物が揃えば買う必要がなくなるからである。1970年以来、無理やり経済成長させるために、国家に借金をさせて市場を拡大させてきた。その赤字が天文学的な日本国の借金1000兆円である。先進国はどこも同じような借金経済に陥った。
貧困が残っていれば、戦争に誘導して焼け野原にすれば、金貸しはそこに資金投入すれば稼げるので一石2丁だった。貧困の時代は非常に戦争を起しやすかった。金に吊られて動く人間が多かったからである。金貸しはそうやって国家同士を争わせながら、国家の外から金融力で支配する方法をとった。
国家の内部からも、金の力で国家を動かす仕組みを構築した。それが近代・現代の仕組み・制度(近代観念・民主性・選挙・法制・学校etc)を作ってきた。
しかし、1970年頃の先進国の貧困消滅は決定的だった。それ以降世界的な戦争は起せていない。戦争マシーンアメリカを使っても、起せたのは局所戦争ばかり。
市場も拡大停止してしまい。それ以降は国家が借金して経済成長させる輸血経済が主流になった。
豊かさの実現→国に借金させることとバブル化させることがこの50年間の延命処置だった。
金貸しは展望を失った=未来像を描けない→こうなった集団は必ず負ける。
●何が求められ、どんな時代になるのか?
貧困発の強制圧力や国家制度が消失した(形骸化した形で残ってはいるが生命を失った)。
重石が取れた人々は今、時代の変化を感じ幾つかの可能性を模索している段階と思われる。ここに新たな未来展望がある。
・当面、脱強制、脱制度、脱市場の動き →業態革命や脱学校の動き
・本質的には、何よりも周りの人々が何を求めているのか?の探索と追求
・5500年前の戦争が始まる以前へ→原始共同体に近いありかた、人間関係における充足感
→なし得なかった、人類の社会統合をどうする?
→自然の摂理や未知世界の追求、宇宙や自然との一体性の回復
・近代市場が作り出した危機(環境破壊や人工物質、精神破壊)をどうする?
このように物やお金に代わって求められているのは、本物の追求力・実現力であり、人間関係における充足力である。
(by Hiroshi)
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2017/03/6601.html/trackback