2008年06月09日

『アメリカの共和党と民主党』15・・・どちらが政権をとってもロックフェラー

みなさんこんにちは~ 😀
アメリカ大統領選挙、民主党の候補者選びはオバマ候補に決まりましたね
アメリカの政党を追い続けてきた私達も、大統領選に大大注目です 🙄 🙄
さて、今回の章では、アメリカの申し子 ロックフェラー一族に迫ってみたいと思います
ロックフェラー
このシリーズでもたびたび登場しています。
クリスマスツリー の有名なロックフェラーセンターも、この一族ジョン・D・ロックフェラー2世の資金提供により建設されました
国際金融資本家 産業資本家つまりとってもお金持ち アメリカの大富豪です
ちょっとアメリカの歴史を遡ります
アメリカは、「西侵→帝国化」という露骨な力の原理で領土を広げ市場を拡大させてきました
(『アメリカの共和党と民主党』4・・・世界一の経済大国へ)
その過程で、ロックフェラーなどの産業資本家が台頭し、収奪した富はそこに集中しました
市場国家アメリカは、略奪する事でしか市場を維持、拡大することはできません
(『アメリカの共和党と民主党』5・・・戦争をすることでしか、平等も市場拡大も不可能な国)
市場を拡大する為に移民を受け入れ、そして行き着く先として戦争市場に突入し、そのためにさらに移民を受け入れ続けました
(『アメリカの共和党と民主党』9・・・アメリカ移民の歴史(1/3)
『アメリカの共和党と民主党』12 ・・・軍産複合体はペテンの戦争脅威で儲ける(1/3):軍産複合体の誕生)
ロックフェラー一族は、市場拡大の原理を私益拡大の手段とし、石油(資源) 金融 軍事 をおさえる事で一族の基盤を築いていきます
まずは、産業資本をもとに膨張・拡張してきたアメリカで、巨万の富を得たロックフェラー財閥の足跡を辿ってみたいと思います 🙂
□ロックフェラー一族の家系図


参考 るいネット ネルソン・ロックフェラーの家系図
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□ ロックフェラー足跡
1870年   スタンダードオイルを設立→1880年代 全米石油シェア80%を独占
1911年   スタンダードオイル社解体
       →「エクソン」「モービル」「ソーカル」(後のシェブロン)と名前を変え、筆頭株主としての地位
        を維持
       →石油メジャーへ
1913年   FRB(連邦準備銀行)設立
       →NY連銀は、ロックフェラーのシティ、チェース銀行が52%の株を持つ、他はロスチャイルド
        系
1914年   第一次大戦、→1917年 アメリカ参戦
       →国際金融資本は、FRB→金融支配と、マスコミを通じたアメリカ大衆のコントロール
       モルガン財閥を通じ、ロスチャイルド系は以前主導的な力を保持しつづけている。
       ロックフェラーは田舎の新興財閥
1919年    CFR(外交問題評議会)設立
1920年代   中東をめぐるロスチャイルドとロックフェラーの縄張り争い
1929年    ニューヨーク株式大暴落→大恐慌
         →アメリカの基幹産業を握っていた旧宗主国ロスチャイルド系凋落
         →ロックフェラー系アメリカ資本が国内を固めていく
1939年    国務省「戦後問題処理委員会」
        →ほぼ全員がCFRメンバー
1944年   ブレトン・ウッズ体制確立=ドル覇権の確立
        →ドルの基軸通貨決定
        IMF、世界銀行の創設 
        →ポンド覇権(イギリス・ロスチャイルド系)の終焉
1949年~  米ソ冷戦:ソ連原爆実験成功
        →第二次大戦後、アメリカのみが突出した力を持つ
        →アメリカの対抗勢力として、ソ連を意図的に軍事大国に育てあげていく
1965年   ベトナム戦争(軍産複合体による戦争)
       →軍産複合体と軍需による収益構造
       →計画的に戦争で荒廃した各国を復興させ、投資。各国の急成長とドルの流通拡大で、
        資金需要高
1972年    ロックフェラーによる米欧日三極会議(TLC)
1974年    ドル・石油体制
        →当時のOPEC(石油輸出国機構)との間の合意で、「全世界の全ての原油価格は必ず
        独占的にドル建てでしか決定できない」「ドルでしか原油の取引はできない」という協定を
        結んだ
        事実上ドルの価値は、石油によって裏付けられる

参考 るいネット ロックフェラーメモ①
           ロックフェラーメモ②
           ロックフェラーメモ③
           ロックフェラーメモ④

□ シンクタンク
CFR(外交問題評議会)
トーマス・W・ラモント(ウィルソン大統領の財務顧問、ロックフェラー財団理事)、ジョン・D・ロック
フェラー、J・P・モルガン、ロスチャイルドに使えたヤコブ・シップなどにより設立
アメリカ合衆国の外交問題・世界戦略を研究する組織
アメリカの政策策定における最有力勢力として君臨。
(イギリスのRIIA(王立国際間題研究所)の姉妹機関として、パリで結成され、半世紀の間、公衆に知ら
れることなく隠密のうちに活動)
国際金融、産業、学問、政治、財団、マスメディア、労働界の各分野のアメリカの工リートが会員
大統領以下の政府要職の大部分を送り出す
ロックフェラー家がCFRのトップに座り、ロックフェラー帝国の参謀本部として成長
第一次世界大戦後、アメリカが策定した主要な外交政策のほとんどすべてに関与
第二次世界大戦後、多数の外交政策専門家を閣僚に送こむ
外交問題評議会によって中央銀行(連邦準備制度)が設立される

米欧日三極会議(TLC)
デビッド・ロックフェラーが主導  
米欧で世界の政治経済について協議影響力の衰えたCFRの役割を継続するという目的で発足
世界的な経済協力体制を強化し各国政府に圧力をかけ、国際金融財閥が支配する多国籍企業にとって有利な状況を作り上げる
→G5「主要国蔵相・中央銀行総裁会議」へ
→サミット(主要国首脳会議)へ

石油資本を利用し金貸しと変貌したロックフェラーですが、直接的には、政治を動かす事は出来ません
アメリカにおいて政治は、市場経済社会の統合手段、そしてその過程の中でロックフェラー一族は、財閥の拡大の為に、財団、シンクタンクを通じ、政治家、大統領とも繋がりをもち、政治を動かしてきました
次に、ロックフェラー家と大統領の関係を図解にまとめました

参考 シティーバンクとチャース・マンハッタン銀行
ロックフェラーには、国家の論理、民族の論理など無用です
資本の論理、市場の論理のみで貫通されています
まさに、市場大陸国家アメリカ、移民国家アメリカの申し子であり、1860年西部侵略、1869年アメリカ横断鉄道開通で、世界一の工業大国そして経済大国にアメリカがのし上がる中で軌を一にして、ロックフェラーものし上がってきました。
1900年前後からのアメリカの成長そのものが、ロックフェラーの成長を示しているともいえるのです

List    投稿者 nishika | 2008-06-09 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造1 Comment » 

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コメント1件

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