2022年04月21日

【日本の活力を再生する】共認時代の企業経営~自主活動のすすめ~

前回、『離職率のあがるホワイト企業』という記事で、働きやすいけど不安で離職する若手の姿を紹介しました。

時短、有給消化、福利厚生待遇の改善など、多くの企業が社員の活力のために様々な働き方改革、制度改革、業態改革を行っていますが、有効打になっていない現実があります。

 

一方で、『人の幸福感とは、他人のために自ら行動を起こすこと』という記事では、幸福感を築く3つの要素を紹介しました。

 

>1つ目は、約50%の影響で遺伝的あるいは子育て環境に要因がある。これ母親からもらう肯定感が影響していると考えられる。

>2つ目は、約10%の影響で人間関係やお金、健康などが要因となり、主に環境的な要因になる。環境要因は即効性があるが、長続きはしない。

 

>遺伝・子育ては、個人の努力ではどうしようもないし、環境要因も持続性に欠ける。

 

>実は、残りの40%の要因は「自分から積極的に行動を起こしたかどうか」が影響を与えるという。

>つまり、「自ら意図をもって行動を起こすこと自体」が人の幸せになるのである。

 

この調査結果からすると、先に紹介したホワイト企業の取っている様々な働き方改革、制度改革などの手立ては、人の幸せ=活力源のほんの10%にしか効果がないことがわかります。

 

人の活力源の40%を占める「自ら行動をおこす」という行為自体が、新たな企業経営の可能性を拓くのではないか。

今回は、この行為を「自主活動」と位置づけ、その可能性について追求したいと思います。

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■本源時代の生産基盤は「人そのもの」

 

自主管理への招待

 

私たちは何よりもまず、自らの生きる場を自らの手で築いてゆきたいと願う。そして新しい歴史時代を、自らの力の及ぶ地点まで実現してみたいと願う。だがそこで何よりも問われるのは、総体的な関係能力(組織能力)の獲得である。技術者が自らの手で組織を管理し、経営などの活動を担い続けてゆかなければならない。そこで求められているものこそ、意識生産に要求される関係能力の真髄なのである。技術力だけでなく組織能力をも獲得してゆく事、そこにこそ意識生産者に委ねられた本来の人間労働の世界がある。

 

 類設計室は共同体である。しかしそれは、決して甘い幻想の上に成り立っているのではない。自己の全意識を最も根底的な歴史認識に収束させてきた成果が、その実現を可能にし、自己の全能力を最も現実的な生産活動に投入してきた成果が、その発展を可能にしたのである。類設計室という一つの生産体を、誰か他人のものではなく自分のものとして捉える事ができるかどうか、それは会議をはじめ様々の類的な活動を、強制されたものではなく目的的な活動として獲得してゆくか否かに、かかっている。狭い私益と職能の檻に留るか、自らの意識を解き放ち、全力を傾けて『類』の地平を獲得してゆくか、それを選択するのは、一生をかけた君自身の判断である。

 

 

会社や集団を所与のものではなく、共同体として自ら管理=経営・運営していく。

今やどんな業態であっても「技術力」「専門性」だけでは生き残っていくことが困難な時代になりました。

資本力を基盤とした私権時代から、共認・本源時代では、「人間力」「活力」が唯一の生産基盤です。

著名なハウツー本から手っ取り早く気づきを得ようとか、狭い職能意識にとどまることなく、経営・体制・人材等、「組織づくり」の課題を自らの手で担い続けてゆく=自主管理力の獲得こそが「人間力」と言われる人の根幹能力の真底をつくる活動ともいえます。この集団をつくる活動は、もはや「仕事」という枠を超えた活動=自主活動そのものだと言えます。

 

■自主活動のすすめ

自主活動の前提は、相手発・組織発・みんな発の収束力。まさに『本源の素養』。

 

自主活動は、自主判断の“選択”を前提にするも、組織の期待と各成員の欠乏がつながった共認=“合意”に基づく活動。(片方発では成立しない)

それは、仲間関係の基盤を深める親和、闘争の基盤を深める技術追求、集団・社会づくりの基盤を深める認識追求など、多様・自在な自主活動。その“豊かさ”と“質”が、組織を勝たせる高度化につながる。

 

まさに、自主活動を増やしていけば増やすほど、幸福度が高まり、結果として、挑戦的な活動が増えていく。

 

 

本業にせよ、組織づくりにせよ、もっともっと深めようとすれば、ものごとの「本源」のあくなき追求主体に至るのが必然。本源追求の対象は、社会・集団・人、生命原理、自然の摂理。

こうした、自在で豊かな追求活動を、みんなで活力高く、おもしろくやっていくのが、共認時代の新たな企業経営の姿として目指すところなのではないでしょうか。

List    投稿者 nakatani | 2022-04-21 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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