社会≠政治なわけ
若者を中心に「社会収束は進んでいる。」これは実感できる。
→だから「政治に対する関心も高まって当然」と考えるのは早計のようだ。
【社会的関心≒政治的関心】という図式が成り立っていたのは過去のこと。
いまや若者と中高年では、期待収束先がまるで異なる。
中高年の社会的話題は相変わらず、新聞・TVがネタ元である。
だから、“国益派か否か?”という話しでも、既存の政治家やマスコミ、学者を前提に話が進む。
コレに対して社会的関心が高いと思われるなんで屋の弟子たちでさえ、若者は、総じて選挙や政権、国会の議論など、新聞やTVで報道されるような“政治的出来事”に対しては、中高年層より無頓着である。
ここに、大きな認識転換が現れているように思う。
「社会のことを考えるのは政治家の役割」という期待は既に封鎖もしくは消滅している。
先般のなんでやサロンで、「法律=国会にしろ、制度=行政にしろ、裁判=司法にしろ、現在政治と呼ばれている領域が、全て掠奪闘争以降に、 【私権対立の秩序化装置≒調整弁】として成立した」ことが明らかになった際、若者たちの頷きは大きかった。
中高年の社会的関心が、これまでの序列秩序の上位;統合階級≒政治(家)に向う のに対し、若者の社会的関心は、日常の現実~普通の人≒みんなに向っている。
『現実(社会)とは人々の意識である』
私権⇒共認原理社会に転換している時代、“社会と政治のギャップ”もどんどん顕在化してくるのは間違いない。
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コメント2件
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