2011年12月16日

共同体社会の実現に向けて-13~実現論 序4.統合階級の暴走で失われた40年(その2)~








 
こんにちは
前回に続き「失われた40年」を扱っていきたいと思います。

 
豊かさが実現し物的欠乏が衰弱した以上、物的市場は縮小せざるを得ない。しかし統合階級はこの数十年、経済成長戦略、市場拡大一辺倒の思考しかありませんでした。そしていくら国債を発行しても、莫大な借金が積み上がるばかりで、一向に実体経済は回復しなかった、これがこの数十年のまぎれもない事実です。

 
では、’70年の貧困の消滅、市場の縮小を受けて、本来、日本や世界はどこに向かえば良かったのでしょうか?改めて、この40年を総括してみます:D

 

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【失われた40年】
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
 
この世には、医療だけではなく、農業や介護や新エネルギーの開発etc、市場ではペイしないが、社会的に絶対必要な仕事がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的消費ではなく、あるいは福祉と称して非生産者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。

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●上記文章の冒頭にある『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかった。とありますが、どう解釈すれば良いのでしょうか?
まず「ゼロ成長」とは、具体的には「売り上げUPゼロ」「給与UPゼロ」「預金UPもゼロ」という事で、これは、物財のほとんどが揃った’70年代以降、実現可能だったハズです。そうすれば、市場拡大の手法だった「バブル」にはならず、バブル崩壊もなかったわけです。
今まさに、世界中でバブルに踊り、その崩壊に苦しんでいる様子とは無縁の、安定した経済を維持していたら、日本の「国際競争力」が失われる事もなかったのは自明ですね。(ただし、ゼロ成長戦略で、緊急時など預金から賄われる出費については、別の仕組みが必要。興味のある方はこちらを→国家紙幣によるゼロ成長の経済運営http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=256788)  

●「国際競争力」の件は、上記だけでも十分かもしれませんが、少し掘り下げてみましょう。
反論として考えられるのは、最近の事象を受け、「円高でも日本は頑張っているじゃないか!?」という点でしょうか。
円高で輸出企業が苦しいのは事実ですが、実は「日本は輸出国というのは幻想」なんです。事実はGDPの9割近くを内需が占める「内需大国」であり、また市場拡大の可能性を求めて、2010年度には中国等のアジア向け貿易は51.1%に上昇(金額ベース)しています。(かつての相手はアメリカ)
その取引内容も円建て輸出の比率は全体で42.2%と強気で、原油の輸入もドル失墜を受けて円建て取引きされています。(参考:『日本は輸出立国であるというのは、大企業にとってのみ都合のいい固定観念』→http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=259512)
こうして表の現象事実を見ると、「国際競争力」は失われていない。とも言えそうですが、問題は、表にはなかなか出てこない裏の状況、つまり金貸しとの力関係にあります。

1.金貸しの言いなり
「金貸し(国際金融勢力)支配」という視点で世界の経済状況を俯瞰すると、やはり日本は弱い立場にある、と言わざるをえません。
・そもそもバブルになったのも、90年代のバブル崩壊後に戦略転換する事ができなかったのも、資金の注入先を誤ったのも、全て金貸しの影響を受けていました。そしてもう一つ、象徴的な事柄をあげておきます。
いま日本は、膨大なアメリカ国債を保有しており(一般に60兆円といわれている)、日本の政府や金融機関が米国連邦政府に貸している債権残高は今日まで500兆円という説があるほどです。この多額の金を奪還できれば、震災復興資金には十分で、増税など全く不要なのですが・・・金貸しとの力関係上、出来ていません。(参考:『利子だけで20兆円!日本の対米債権は、どうなっている?』
金貸しはこれまで、主にアメリカを利用して日本を蹂躙し、ことある度に日本の競争力を低下させてきたのです。

2.なぜ今、円高?
今経済を考えるとき、避けて通れないのが、円高の真相でしょう。311大震災後に不自然な円高が続き、その後ドル、ユーロの下落と同時に、円高基調が加速しています。・・・これも金貸しの思惑を読めば、見えてきます。
最も整合度の高い仮説を以下に書いておきます。
・原発事故以降続く円買いは、米国債デフォルト→米国債暴落→世界中の国債暴落という経済破局にむけた最終局面の動き。
・金貸しにとっては、日本の国債だけが暴落しないという状況は都合が悪い様で、世界中の国債暴落=旧紙幣価値の崩壊を計画中 →したがって日本国債も同時に暴落させる必要がある。
そのための日本国債買いであり、これが不自然な円高の理由ではないか。
(詳細は、今後このシリーズ記事で扱う予定ですが、早く知りたい人はこちらを♪→『米国債デフォルト:金融勢力の狙いは旧紙幣の廃棄』
※上記以外にも「国際競争力」の捉え方は様々あるでしょう。表面的には勝っていると見えても、結局のところ裏では、世界市場を支配している金貸し勢力に、牛耳られ、彼らの都合で勝ち負けを繰り返しているに過ぎません。
日本独自の国家戦略など、そもそも許されない、極めて弱い立場に日本は置かれています。力関係で負けているのです。

 

このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。  
 
問題は、統合階級が、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家によって支えられた国家市場しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。

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なぜ統合階級は「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかったのでしょうか?いくつかの特権階級の立場ごとに見ていきたいと思います。
 
■政治家
’70年、貧困の消滅=豊かさ実現を経て、市場が縮小段階に入ります。しかし、それまで成長を続けてきた市場が縮小していくと、特権階級は国民からのバッシングに遭い、自身の特権を失う恐れがありました。
そこで彼らが取った方策は、国債を発行し、市場に資金を注入することで市場の成長を維持するというものでした。こうすることにより、市場は成長を続けることが出来ました。そして国債を投入しているにも関わらず、見せかけ的には「自由競争・自由市場」が維持できているとしてきました。
 
■マスコミ
マスコミは企業からの広告資金によって成り立っているので、市場が縮小することは死活問題です。そこで、CMやドラマなどを通して、消費の拡大を推奨してきました。そして、市場拡大を賛美し、市場での勝ち組を美化してきました。
 
■金貸し
政治家やマスコミがこれほどまでに「自由競争・自由市場」の維持に必死になってきたもう一つの理由に金貸しの存在があります。「自由競争・自由市場」は金貸しにとって非常に都合のよい仕組みです。なぜなら、「儲けたもん勝ち」だからです。どんな汚い手を使おうが(当然それは明るみには出ないようにしますが)、市場の中で金を儲けることが出来れば、市場では勝ち組になれるのです。管理市場ではそうはいきません。
だから、金貸しは政治家やマスコミを動かし、「自由競争・自由市場」を維持させたのです。
 
その結果がどうなっているかはご存知の通りです。必要以上の資金注入を行うと市場に資金が溢れます。しかし物的需要は衰弱しているので、その溢れたマネーは投機に回り、バブル経済を引き起こし、いずれは崩壊します。本来縮小すべき市場に資金を注入することで、バブルとバブル崩壊を繰り返すマネー経済になってしまいました。また、金貸しが儲ける一方で国の借金はふくらみ続けており、現状では資本主義各国で国家破綻の危機が起こっています。さらに、大量消費によって成り立っている現在の市場構造は、環境破壊の一大原因となっています。
 

彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。

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■市場が国家に支えられている構造の根拠・国家による支援の事例
 
「自由市場は国家を超えてグローバルに展開している」、などと市場主義を標榜する人たちは言いますが、はたして本当でしょうか?
1991年に崩壊した平成バブルは、最終的に債務超過に陥った金融機関を救済するために国家から資金が提供されました。
2008年リーマンショック後の米国でも国家による支援措置を背景にFRBからの資金提供による金融機関の救済でやり過ごし、欧州ユーロ危機も国家を背景にした中央銀行による救済措置によってなんとか危機状況を先延ばししている状況。そして、今も危機状況は続いています。
財界からは、「金融システムが崩壊すると社会秩序が維持できないから公的な支援が必要だ」などと、市場主義者と思えない主張をしているありさま。
このような現実を見れば、「市場は国家によって支えられている」のは間違いありません。
なぜ、そうなるのか?その構造を改めて確認してみましょう。
 
るいネット  超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない
るいネット  超国家・超市場論12 市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある
 
<超国家・超市場論11>より抜粋
事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
ここまで来れば、市場が国家の寄生物でしかないことは、誰の目にも明らかだろう。
要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。
 
<超国家・超市場論12>より抜粋
市場は、社会を統合することが出来ないという決定的な統合限界を刻印されているだけではない。市場は、自分自身の内に絶対的な拡大限界をも孕んでいる。
市場は、生存圧力(実体的には貧困の圧力)に基づく私権闘争を圧力源=活力源にしている。従って、市場活動によって物的な豊かさが実現すれば(=貧困の圧力が消滅すれば)、必然的に市場は活力源を失って衰弱(=縮小) してゆく。そして、むしろこの矛盾と限界こそ、市場の現実に差し迫った絶体絶命の限界である。
もし、国家(国債)による延命策がなければ、(バブル化もせず)市場はすんなり縮小過程に入った筈である。要するに、このまま市場を放置すれば市場は急速に縮小し、国家が延命策を施し続ければ国家が崩壊する。
 
この記事は2002年(9年前)のものですが、まさに今世界が直面している状況を言い当てています。市場活動の結果、物的な豊かさが実現されると市場は縮小してゆく。市場を維持拡大させようと国家が支援すると現在のような国家財政の崩壊を招く。
市場は自立できない、国家によって支えられるしかないものであることは、既に現実が証明しています。
 
 
次回は、なぜ彼ら統合階級が、これほど無能になってしまったのか?そして、最先端の現在、支配勢力と大衆の関係はどのようになっているのかを追求します:D
さようなら。

List    投稿者 mizuguti | 2011-12-16 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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コメント1件

 suisse hermes bags | 2014.02.01 19:43

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