中国どうなる!?13 「中国株式会社」 ~国営金貸しと化した中国共産党~
先回の記事 リンクでは、中国共産党はアメリカ(背後の金貸し)の支援で政権を樹立したこと、しかしその後共産党は、金貸しの意図通りには動かなかったことについて扱いました。
1989年の天安門事件。この事件は、欧米金貸しと国内の危険分子によって共産党と中国がいつ転覆されるかわからない恐怖心を共産党指導部にもたらしました。また世界的な共産党の崩壊のなかで、中国共産党が生き残るためにはどうしたらよいかという強烈な危機感をもたらしたはずです。中国共産党はこの危機にどう対処したのでしょうか?
~今回の以下内容は主に『中国共産党』リチャード・マグレガー著からの要約・引用です。~
天安門事件の2年後の1991年、天安門広場から数百メートル離れたホテル、北京飯店の会議室に役人、学者、新聞編集者からなる小数のグループが集まった。中国共産党が生き残るにはどうすればいいのか。北京飯店で開かれた会議では、この1点に集中して議論がなされた。そして出た答えは提案として1万4千字に及ぶ綱領にまとめられたという。
かれらは、中国共産党を、広大な国をまとめることができる唯一無二の組織であり、何よりその優位性を支持すべき存在と定義し直した。これは、その後の中国共産党の変化を見据えるものだった。
そのための方針は以下。
・党による中央集権体制の復活
具体的には
・軍部の把握だけでなく、資産経済も党の所有・管理下におく。
国有資産、エネルギー関連企業、土地保有会社、などすべての所有権を政府ではなく、共産党名義で保有する。
・その上で、党がそれらの組織の人事権を完全に握る。
●中国のネオコンによる起死再生策
この方針を策定した中国の勢力は、共産党の独裁的な地位を保ちながら、改革として市場制度を導入することを主張し、自らを新保守派(ネオコン)と自称していた。
彼らは、自らを保守派としていたが、なかでも現代的な保守派だと自負していた。党による強力な支配と愛国心教育があれば、西洋式の市場制度を段階的に取り入れてもかまわないというのが彼らの考えだった。
自らは、「新保守派」、略して「ネオコン」と称したネオコンが、標的としたのは、毛沢東思想の信奉者ではなく、リベラル派だった。中国の政治用語で「右派」とよばれる政治的なリベラル派こそ、党にとって最大の脅威と見なされた。リベラル派は民間経済を推進するために執拗にロビー活動を行い、党に批判を浴びせ続けていた。ネオコンは、1989年のデモ運動を焚きつけたのもリベラル派だと考えていた。
あの1万4千字の綱領では、リベラル派が「財産制度の全面的な変革を求め、いずれは政治システムの変革をも視野に入れて中国共産党に狙いを定めており、現在の秩序を転覆することも辞さない構えだ」と指摘している。ネオコンはリベラル派への対抗策として、膨大な国有財産のすべてを党の名義で所有するという、リスクは高いがリターンも大きい方法を選んだのだ。ネオコンの綱領作成に携わった陳元(国家開発銀行 初代行長)は、党の正当性を取り戻すためには、古いイデオロギーを振りかざすだけでは不十分で、中央集権体制を復活させる必要があると考えた。
●中央集権化
天安門事件の前には、国有企業においても、金融システムにおいても権限が事実上各地方に委譲されていた。
経営人の人事はたいてい省や市レベルの役人が決めていた。金融規制も各地方に任されていた。
その地方分権の進んだ経済システムを中央の管轄に戻すことにした。その手法は極めてシンプルだ。『党中央組織部』と連携し、国内のあらゆる銀行や国有企業の幹部の任免権を中央が握ることで、地方の有力者の力を殺いだのだ。共産党政治局が党中央組織部を通して、金融機関の幹部を監視する。
※人事権の掌握は、国有企業に留まらず、地方政府や軍を含む人事全般に及んでいる。
>「米国で一つの団体が、米国の内閣全て、州知事と代理、主要都市の市長、各規制機関の責任者、最高裁判所の裁判官の使命を監督することを想像して欲しい。さらに、 ゼネラル・エレクトリック、ウォルマート、エクソンモービル、その他、米国最大50社の最高経営責任者の指名も、同団体が認可するということを仮想して欲しい。そして、この団体は、『中央組織部』と呼ばれる」
(この部分はhttp://www.epochtimes.jp/jp/2010/08/html/d49215.htmlより引用)
●国有企業改革
並行して行ったのは、国有企業の思い切った合理化だった。そこで生き残った企業を、党の管理下において発展著しい中国経済の牽引役とし、さらにグローバル企業に育て上げようという目的だ。
それから10年の間に、政府は国有企業の労働者5000万人を解雇した。これはイタリアとフランスの労働人口を足した人数に相当する。当による経済支配の中枢であった国有部門は、まるで崩壊したかのようだった。
強引な改革によって、体制を揺るがすような混乱がいつ起きてもおかしくないといった不穏な空気が流れた・・・。
●上場による劇的な変化
国有企業の再編は、1つのパターンに従って、少しずつ時間をかけて行われた。国有企業の株の一部を海外市場で売りに出し、70~80%近くの株は政府が保有し続けるというものだ。海外市場に上場されたのは、ごく一部の株式にすぎないのだが、多くの外国人はそれを民営化だと勘違いした。
上海ペトロケミカルの海外市場への上場を機に、中国の国有企業は劇的な変化を遂げた。数々の企業が海外で上場するようになり、10年前に想定していたよりはるかに厳しいビジネス環境で事業を展開するようになった。海外企業との提携も増え、役員に外国人が入るようにもなった。
崩れかけた共産主義体制の巨大な遺物として見られた国有大企業だったが、10年のうちに、組織、支払い能力、収益性が一変した。突如何十億ドルという利益を生むようになった。そのような利益が出せたのは、政府による競争相手の排除、豊かな資本、組織の再構築による効率性のおかげだった。
長く苦しい試行錯誤の上にうまれた「中国株式会社」は、不思議な生き物だった。共産主義と資本主義を併せ持つ、党の思惑どおりの企業である。国有企業が持つ2面性が注目される。
「中国株式会社」のこうした幹部の変身ぶりは、今も人々にめまいを起こさせるほどである。中国輸出品が安すぎると批判する欧米に対し、市場原理に従わなければならないと熱心に説いたかと思えば、その舌の乾かぬうちに国民に向かって自由な資本主義の恐ろしさとマルクス主義の信奉を吹聴する。その変わり身の速さは、ウォール街の銀行家が電話ボックスに入ったかと思えば、数分後に出てきたときには、カール・マルクス風に変身しているようなものだ。
その変わり身の早さで軍を抜いているのが、劉明康だ。文化大革命後の1979年、33歳で銀行家になった劉は、数々の国有企業、政府の仕事を経て短期間で昇進する。中国銀行、福建省政府、中国人民銀行、そして2003年には中国銀行業監督管理委員会を設立した。その間にロンドンのシティ大学でMBAも取得した。かれは現在でも、有望な金融関係の役人を国費で同大学に送り込み、進歩的な金融学と経済学を学ばせている。
ちょうど同じころ、中国建設銀行の郭樹清は、「最新の共産主義理念を実践に移す唯一の方法は、株主に対する配当を最大限にすることである」と喧伝していた。中国建設銀行の最大の株主は中央政府機関であり、それを実質管理しているのは中国共産党である。よって銀行が持続的な利益を上げることは党の利益に繋がる。
劉の「中国版マルクス主義」と郭の「株主の利益に依存する中国経済」という2つの矛盾する概念は中国全土に広がる巨大な国有部門の再構築にもっともよく現れている。国有企業の財政面での再建プロセスはわかりやすくもあったが、同時に痛みを伴うものであった。国有企業の幹部は、それまで考えもしなかったほどのプレッシャーを海外の投資家から浴びるようになった。そして昔ながらの国有という体制に生活のすべてを頼ってきた古いタイプの役人たちは一掃された。
一方で。利益を上げ世界経済の舞台で勝ち抜くために、国有企業のトップたちには、10年前には想像もつかなかったほどの大きな裁量権を与えられている。それゆえ、人間の常として、その自由を悪用し、会社を個人的な大帝国に作り上げた者も多い。しかしこの国有部門の再建を通じて、党は企業幹部の人事権を完全に掌握し、それによって強い影響力を保持したのである。人事権を握ることで、事実上企業をコントロールすることができるのだ。
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(要約・引用以上)
【天安門事件と日本のバブル崩壊という危機】
1989年の天安門事件で、強烈な危機感に襲われた中国共産党は、欧米金貸し(金融資本)のやり口と秘密を徹底的に研究したのではないか?天安門事件の直後、日本のバブル崩壊も起きている。日本が崩れていく様子もつぶさに観察していたと思われる。そして、対策を立てた。
方針としては、
1)中央集権化(党に権限と情報と資源を集中させること)。
2)その上で、情報・資源・インフラ関連の国有企業に重点的に投資し、共産党がコントロールする戦略的旗艦企業とした。
3)国有企業の株は共産党で握り、人事権も共産党で握り、優秀な人間を『回転ドア』よろしく配置した。
(ある時は国有企業の幹部、ある時は地方政府のトップ、その成績によって報酬と出世が決まっていく。元締め(金貸し)の位置に共産党がいる。)
4)そして、市場開放すると見せながら、一部の株を公開して、外人役員を招き入れノウハウを取り入れていった。
5)国際市場で勝ち抜き、かつ先進国の余剰マネーと外資を呼び込むベースとして、中国人民の安い労働力を最大限利用した。
※市場開放の圧力に対しては、中国は“共産主義だから”というロジックでかわしている。
※中央銀行による紙幣発行も人事を握った党による完全なコントロール下にあると考えられる。
現在中国の国有企業は劇的に変わり、世界市場での存在感が急速に高まっている。(下表)
【国営金貸しと化した中国共産党】
市場の活力を取り入れながら、党(国家)が市場をコントロールするにはどうするかという答えが上記の方針だった。大ざっぱに言えば、中国という大市場をちらつかせながら、経済は外資に開放し、党が完全コントロールするという方針である。もっといえば、共産党自らが金貸しとなり市場を拡大させ、欧米の金貸しに負けない資力を付けるということである。
その結果、
・日本に代わって世界の工場となっても、市場のコントロールは党が握り続けている。
・国家に莫大な貿易黒字が溜まり、それを元手に国営金貸しとして、米国債投資やロスチャ系企業への出資を始め様々な形で外国へ投資を行うとともに、
資源確保に動いている。
・バブル崩壊の影響を中央集権化した党による金融政策によって最小限に食い止めている。
(exリーマンショックは中国経済を崩壊させるという話もあったが、そうはならなかった)
・BRICS開発銀行や発展途上国への融資に見られるように、国際的にも金貸しとしての中国共産党の存在感が高まっている。
欧米金貸し(国際金融資本)との熾烈な縄張り争いがこれから開始されるだろう。
・反面、全てを握っている党幹部の腐敗が著しい。
※はっきりしないのは、中国の金貸し化・台頭にロスチャイルドが一定協力していると思われる(元安の維持etc)ことである。ロスチャイルドは中国の大国化にどのようなメリットがあるのか?リスクのほうが大きかったのではないのか?
最後に
天安門事件を契機に、中国共産党は大変身を遂げた。中国の一般大衆、人々は共産党ということをどう考えているのだろうか?
労働者による平等な共産主義社会を実現しようと考えている人々はまだいるのだろうか?
ネオコンの綱領を作成した陳元の言葉を引用する。
「共産党はわれわれなのですよ、共産主義がどういうものかは、われわれが決めることです。」
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中国はどこへ向かうのか?しばらく中国の根幹を握っている共産党について調べていきます。
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